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第3回国連防災世界会議関連事業
「高齢者・障がい者と防災シンポジウム」
復興の力:ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくりに向けて
報告

日本障害者リハビリテーション協会 情報センター 太田順子

 2015年3月16日、第3回国連防災世界会議の関連事業として、高齢者・障がい者と防災シンポジウム「復興の力:ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくりに向けて」が、新しくできあがったばかりの陸前高田市コミュニティホールで開催された。コミュニティホールは、シンガポールの支援によって建設され、ホールは、シンガポールホールと名づけられている。シンポジウムの様子は、第2会場のキャピタルホテルや自然災害多発地域であるフィリピンのマカティー市にもインターネットで配信された。

陸前高田市コミュニティホール

シンポジウム看板

 大船渡線BRT(バス高速輸送システム)を降りて、会場の前に来ると、シンポジウムのプレ企画である陸前高田市立気仙小学校の児童によるけんか七夕太鼓(伝統の太鼓と笛の演奏)がちょうどはじまるところであった。地域の伝統を継承していくという気概が感じられる演奏だった。

陸前高田市立気仙小学校の児童によるけんか七夕太鼓

 シンポジウム本編は、主催者挨拶、シンガポール共和国代表スピーチ、協賛者挨拶、岩手県知事祝辞(副知事代読)、陸前高田市アクションプラン発表、パネルディスカッション、アトラクションという構成で行われた。(プログラム参照)

主催者挨拶 中満 泉(国連事務次長補、国連開発計画総裁補・危機対応局長)

 アクションプランは、5分野(A.防災・コミュニティ・情報提供・PR、B.教育・子育て、C.保健・医療・福祉・介護、D。産業・雇用・観光、E.建物・道路・公園・交通)56アクションから構成される。庁内のあらゆる部署の若手を中心にチーム会議を立ち上げてプランが策定された。さらに、「はまってけらいん かだってけらいん」(集まって語り合おうを意味する気仙沼の方言)を合言葉に、「未来図会議」が開催され、市民参加のグループ討議が行われ。多様な意見が出された。「病気、障害、困難の実情についてお互いに言える、聞くことができる、見える、感じ取れるまちづくり」、「全市内知人関係づくりで気づき合う、助け合いのまちづくり」がスローガンとなった。

 アクションプランの発表は、副市長、陸前高田市職員、学識経験者、障害者支援団体、当事者等、プランの策定に関わっている10人が交代で登場して行なった。障害当事者や障害者支援団体の担当者が、市の職員とともに、自分たちの住む地域の「アクションプラン」についてともに語る姿が大変印象的であった。

 国際的には、障害者の権利条約の成立過程から現在の障害者権利委員会に至るまで、障害当事者の参加があった。国レベルでは、障がい者制度改革推進会議を経て、障害者政策委員会が開催され、障害者基本法の改正、障害者総合支援法、障害者差別解消法の成立の一連の流れがある。そして、地方レベルでも、障害者差別禁止条例や手話言語条例を制定しようとする動きが活発化し、障害当事者が「私たちのことを私たち抜きに決めないで」という意志を持って、その活動に参加している。そういった流れが、陸前高田の活動にも確かにつながっていることを感じた。

アクションプランの発表

 パネルディスカッションの冒頭では、藤井克徳氏が震災直後の2011年4月13日に陸前高田市を訪れ、震災直前に市町になったばかりの戸羽氏と対話をしたVTRが流れ、マイナスからのスタートだが、10年、20年かかっても住民みんなが住みやすいまちづくりをしていきたいと語っており、今につながるものが震災直後からあったことがうかがえた。

 パネルディスカッションは、モデレーターの藤井克徳氏が、3つのポイント((1)振り返り、(2)生活の質からみた現状評価、(3)これからの課題)について、登壇者に話を聞くという形で進行した。

 戸羽市長は、冒頭のVTRに触れ、震災直後に藤井氏が訪れたときの心境、当時、個人情報保護法がある中で決断して、南相馬市に次いでJDFに障害のある人の情報を公開したことに触れた。米国滞在時にがん患者や車いす使用者に接した経験から「人はこれほどまでに前向きに生きることができるのか」ということを感じたこと、「日本にないまちをつくろう」という思いが、震災を経て、「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」につながっていったことを語った。

 西條一恵氏は、あすなろホーム(主に知的障害者が通所している施設)の施設長である。ご本人、施設の利用者、家族の経験に基づく当時の振り返りは、非常に臨場感があった。中でも、引きこもっていて外に出ることができない人のこと、そして、その人を置いては逃げることができなかった家族がいたこと。そういった本人。家族が、亡くなられた方の中には少なからずいるのではないかというお話が印象に残った。常日頃から、困難があることをカードに書いて出せる、助ける方も自然と助けることができるような関係性とまちづくりの必要性、そして、障害のある人も助けられるだけの存在だけではなく、個々の個性、障害特性に応じてできることがあることについて語った。

 石井靖乃氏は、日本財団で行なってきた支援活動や障害当事者が防災に関して参加して、障害者の視点を盛り込んだ枠組みの作成が必要という理念から、第3回国連防災世界会議に向けて働きかけや準備を進めてきたことを報告した。

 伊東亜紀子氏は、国連の障害者施策(完全参加と平等、障害者の権利条約、障害者がリーダーシップをとってすべての人のための社会をつくること)について述べ、第3回国連防災世界会議ではハイレベルの演説に障害が防災にとって大事な視点であることが触れられたこと、障害にかかわるシンポジウムに世界各国からの参加があったこと、今後予定されている国連の会議においても陸前高田市が市民社会として、震災の知識や経験について発信して共有していくことの必要性などについて述べた。

 陸前高田市に期待することは、伊東氏は「陸前高田市の生の声を国際的なレベルで発信すること」、石井氏は「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちを実現し、日本から世界から大勢の人が視察に来るようなまちになること」を挙げた。

 西條氏は、絆について、「遠く離れていても思いを寄せてくれる人がこんなにたくさんいることを今回の震災をきっかけに知った」と述べ、「震災があっての現状と障害があることをいろいろな人に知っていただいて、ともに限られた人生を生きる中でみんなが過ごしやすいまちになるようにできることをひとつひとつやっていきたいと」と述べた。

 フロアの指定発言の中で、視覚障害当事者の熊谷賢一氏は、避難所にいるときに、もっと障害のあることを表明し、助けを自然に求められれば良かったと発言された。これは、今後のまちづくりの中で日頃からできるようになっていくとよいことのひとつであると感じた。また、お知らせが紙でしか来ないので、復興が進んでいる実感がないと率直な感想を語った。障害のある人にわかるように自治体の情報を発信していくことは、陸前高田に限らず、全国的な課題である。これも合理的配慮のひとつとしてクリアしなければならない。質問で手を上げたある視覚障害当事者は、「絆とは何ですか」という質問をし、この質問は登壇者への問いかけともなった。

パネルディスカッション

 今回のシンポジウムは、仙台で国連防災会議が行われているタイミングで開催された。マルガレータ・ワルストラム氏(国連事務総長特別代表-防災担当、兼UNISDRヘッド)が陸前高田を訪れた際に開催されたシンポジウム「誰もが住みやすいまちづくりに向けて」(2013年10月29日 陸前高田市キャピタルホテル 国連国際防災戦略事務局(UNISDR)駐日事務所、日本財団、日本障害フォーラム(JDF)主催)を第1回と捉え、今回を第2回と捉え、今後も同様のシンポジウムを継続するということを、パネルディスカッションの最後に、戸羽市長が力強く決意表明をされていた。今後、まちづくりに10年、20年取り組んでいくという決意表明でもあったのだと感じた。

 陸前高田市は、まちのかさあげ工事が進められているところで、「まち」の再興ははじまったばかりである。シンポジウム「誰もが住みやすいまちづくりに向けて」で表明された「被災地からの提言-誰もが住みやすいまちづくりに向けて」は、この2年で「アクションプラン」という形になった。当事者参加でつくられている「アクションプラン」がどのように実現されていくのか今後も注目していきたい。

 なお、登壇者に確認が取れた当日の資料は、追ってDINFに掲載する予定である。