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山田町 沼崎喜一町長会見記録

日時:2011年4月15日(金)15:00~15:20
場所:山田町役場
佐藤勝一副町長も同席

※山田町役場は被害の大きかった地区より高台にあり、奇跡的に被害を免れた。ただし、地下階には海水が入り込み使用不能。狭い道を一本隔ててすぐの所まで火災が家々を焼き尽くしていた。面会時間がちょうど救援物資の配給と重なっており役場には町民の列ができていた。面会を行っていた部屋からは500m先の山田湾が見渡せた。

山田町での会見の様子

藤井:改めてお見舞い申し上げます。沼崎町長や佐藤副町長のご家族や家は無事だったのですか。

沼崎:私の家族は無事でしたが、自宅が川筋にありきれいさっぱり流されました。家族が無事であることで良しとしないといけませんね。

佐藤副町長:私のところは自宅が浸水しました。自宅には妻と高齢の母親がいました。浸水で母親の寝ていた介護用のエアベッドが1.5m程、2回浮き沈みして、母親と妻はそのベッドに乗って難を逃れたそうです。浸水した地区の一番端だったものですから助かったのだと思います。

藤井:3.11のその時、町長はどうしていましたか。

沼崎:ちょうど議会の最終日でした。午前中に予算委員会があり、午後1時30分から休憩で、午後3時からの本会議の再開を待っているところでした。2時46分に大きな揺れのあった後、とりあえず議会の延会の手続きをして解散しました。多くの議員・執行部は窓から津波を見ていました。その時帰った議員さんが一人流されて亡くなりました。車で流されたと聞いています。議員は6~7人被災。職員は180人中83人が被災しました。幹部職員が一人行方不明になっています。大槌町や陸前高田市と比べて職員・議員の人的な被害は少ないです。ただ住民の皆さんの被害は甚大です。今日現在で、900人以上の住民が犠牲もしくは行方不明の状態です。

山田町の被災状況1

藤井:まだ検証は難しいかもしれませんが、高齢者や障害者の被害はいかがですか。

沼崎:町の老健施設の被害がひどく、100人の利用者の半分以上が犠牲になりました。80人いる職員からも犠牲者が出ました。そこの事務局長さんも責任上最後まで入所の方の支援をしていて巻き込まれたようです。何とも残念です。

藤井:知的障害者が中心の入所施設である「はまなす学園」は。

沼崎:被災した老健と同じ並びにあり、建物は同様に壊滅しましたが、高台にある青少年の家に避難して犠牲はありませんでした。地震直後に逃げることができたのです。

藤井:これから復旧、復興ということになろうかと思いますが、この時点で、国や国民に訴えたいことがあろうかと思います。いかがですか。

沼崎:ここにきて支援物資は順調に入るようになりました。どちらかというと、充足に近い状態にあります。送っていただくのは大変ありがたいのですが、物資の置き場や選別に労力がかかっています。送って下さるのであれば、まずは当方のニーズをよく聞いていただければ助かります。
国に対しては、とにもかくにも経済面の立て直しを支援してもらうことです。産業復興の目がでるかどうか、漁師がやる気が出るかどうか。すべてがここにかかっています。一番大事な船が大量に流されてしまいました。約900隻ある動力船の内、残っているのはおよそ150隻だけです。浜の漁業関連施設も無くなったり壊れたままの状態でまったく復旧のメドは立っていません。ここは、従来の制度にとらわれない抜本策を講じてほしいと思います。例えば、国がレンタルで船を貸し出すとか。融資ではダメです。山田町は漁業がメインの町です。特にカキ・ホタテの養殖が盛んですが、施設は全部ダメになりました。漁船は、小さいものは壊滅状態です。イカ釣り漁船など大きい漁船は津波が来る前に沖合にでて無事でしたが、港に帰ってみたら漁具が無くなっていたり、家が流されていたり。漁具が無ければ船だけあっても漁ができません。要するに漁業は壊滅だということです。また港の付近にあった水産加工業者も、確か8企業だったと思いますが、全滅しました。従業員は全員解雇されました。今の所展望がない状況です。ある企業からの相談では、取り引きのあった企業から、「前通りに取引しますよ」と言われていても、前通りの生産体制に戻すのに10億から15億の資金が必要とのことです。現行の町独自の企業誘致制度では、1億円の融資が上限で、とても話になりません。後の足りない部分をどうするか。企業としては月々の返済可能額内で借りないと復興ができません。まったくお金が足りていない。この部分を国がどうするかだと思います。

藤井:岩手県沿岸の被災地帯の首長さんに共通しているのは、「当座は仮設住宅を含めた住宅の確保、それと重なりながら重要なのは働く場の確保」ということでした。この点については、沼崎町長さんも同じでしょうか。

沼崎:まったくその通りです。話は戻りますが、例えばカキの養殖については、今から仕込んでも収入になるのは3年後です。ですから2014年ぐらいまでは収入のない状態が続くことになります。その間、特別に緊急雇用制度を拡大的に適用してもらい、とにかくつなぎの策をとってもらうしかないように思います。そうしないと、どんどん人口が他に流出してしまうのではないでしょうか。大変なことになると思います。

藤井:緊急雇用といった場合にどんな仕事が考えられますか。

沼崎:まずはがれきの撤去等では無いのでしょうか。極端にいえば自分の家でも良いので、撤去を行ったら、緊急雇用に見なすぐらいの思い切った政策をとる必要があろうかと思います。厳密に言えば、個人の住宅の撤去や整理となると、個人の財産形成に関係してくるかもしれませんが、そこを何とかしてでも対応していかないと町の再生は無いと思います。

藤井:山田町の復興に向けての大切なポイントは何と思いますか。

沼崎:これだけの打撃を受けたわけですから「安全なまちづくり」が基本です。例えば船越地区は明治29年の大津波で壊滅状態になりました。その後は高台に住居を作ったため、今回は被災していません。率直に言って、「堤防で守る」という過信がありました。明治29年の大津波時を参考にして、長い時間と巨費を投じて堤防を作ったが役に立たなかった。これまでのまちづくりや防災対策が何であったのか、悔やまれます。今後新たな堤防の修復という事について否定はしませんが、同時に基本的な考えとしては、安全な地帯でのまちづくりということが大きなテーマになりますが、問題は財源です。例えば安全な高台に町を移すために、前の土地を国に買い上げてもらう。こうした支援策でもしてもらわないと町の再興は成り立たない。

藤井:安全は大切なテーマです。ところで山田町の有効面積はどれくらいですか。

沼崎:町の面積263k㎡の内92%~93%は山林か原野、しかも山林の多くは国有林です。町全体の高台への移転となると簡単ではありません。ただ集落ごとには可能な地域があると思います。問題は中心市街地です。町の中心機能をどうするか、今の市街地をどうするか、その部分が新たなまちづくりの大きな焦点になります。

藤井:そうした復興にあたっては、障害者や高齢者の意見も反映してほしいと願っています。

沼崎:今、国から国交省の職員が1人とURという組織から2人の合計3人に来ていただいています。とにかく皆の意見を聞いて新しいまちづくりをしていきたいと考えています。もちろん、障害者や高齢者の意見も聞かなければなりません。

藤井:繰り返しになりますが、山田町の再生に向けて、沼崎町長の胸に秘めたるキーワードを聞かせてもらえませんか。

沼崎:まだ復興までの道すじを描くところまでいっていません。日々の避難所の皆さんのケアの問題、たとえば仮設住宅の確保等でいっぱいです。率直に言って、気持ちの余裕がそれほどないのが現実です。ただ住民の皆さんは山田が好きだと思います。山田に残って生活を取り戻したいと思っています。そういう思いを共有して頑張っていきたいと思います。

藤井:長くかかると思いますが、是非とも頑張ってください。私たち障害分野としても、できる限りの応援をしていきたいと思います。ありがとうございました。

山田町の被災状況2