音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

ディスレクシアとマルチメディアDAISY -当事者そして教育者の立場から-

岐阜県立関特別支援学校 教諭 神山 忠

高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。
勤務しながら夜間の短大に通い、教員免許(中学技術)を取得する。
中学校の教員となり、通常学級を6年、特殊学級(情緒障害3年 知的障害2年)計5年受け持つ。
その後、岐阜養護学校に異動し7年勤務する。
2007年4月から岐阜県立関特別支援学校(小学部)に勤務。
自身も読字障害があることをカミングアウトしたことを機に、 特別支援教育の実現に向けて、特殊教育学会、LD学会、DAISY関連セミナーなどで講演を行っている。
ディスレクシアの子どもたちがつまずいているところを察知し、適切な支援があればみんなと一緒に学べる喜びや、知らない情報を知れる喜びを得られると信じ、「生きててよかった」と思える社会になるよう、教育を通じて活動している。

講演要旨

はじめにディスレクシア(Dyslexia)とは学習障害の一種で、失読症、難読症、識字障害、読字障害 とも言います。知的能力及び一般的な学習能力の脳内プロセスに特に異常が無いにもかかわらず、書かれた文字を読むことが出来ない、読めてもその意味がわからないなどの症状が現れます。逆に意図した言葉を正確に文字に表すことができ なくなる「書字表出障害(書字障害 ディスグラフィアDysgraphia)」を伴うこともあります。また、文部科学省が行った4万人対象の調査では、およそ4%の児童生徒がディスレクシアであるという調査結果が出ました。 つまり、どの学級にも一人か二人はいる特性と言えます。

そんな特性を持っている私は、小学生からずっと学習に対して困難を抱えています。しかし、「みんなのように勉強ができるようになりたい!」「みんなと一緒に勉強がしたい!」「自分の好きなことや興味があることをたくさん学びたい!」という思いで自分に合った読みの方法(独自の読字)を試行錯誤して獲得してきました。

ある時、私はマルチメディアDAISYと出会いました。目から鱗!今まで苦労して作り上げた独自の読字法がこのマルチメディアDAISYに集約されていることにショックに近い感動を覚えました。そして、「もし、自分の学齢期にこの支援ツールがあったら…。」こんな思いに襲われました。私が教師になったのは、自分のようにつらい思いをする子どもたちを作らないためにという思いです。このマルチメディアDAISYが子どもたちの学びやすさに生かされ、どの子にも適切な学びの保障がなされることを心から願っています。


ディスレクシアとマルチメディアDAISY

こんにちは、岐阜から来た神山です。
今日は当時者として、また、後半は、教育者の立場でもお話ができるかなと思っています。
「ディスレクシア」という言葉の意味、ディスレクシアを知っている方?
かなりいますね。
こういう話をし始めた頃は全然手があがらなかったのですが、最近は半分ぐらい手を挙げてくださるようになってきて、だんだん知れ渡ってきていると、嬉しく思います。

実際、私が文字を見るとどう見えるかですが。

LIFEの文字

白いキャンバスに黒大豆がばらまかれたように見えます。

これを見て、ぱっと読めた方は?

約1割の方の手が挙がりました。その方はすごく安心でいられると思います。「何であれが読めるの?」と、手を挙げられなかった方は、心臓がバクバクしたり、不思議な気持ち、緊張状態にあるかと思います。そういう状態で学習障害、読み書き障害がある子は1時間、授業を受けています。

その子たちの学びを保障するためにいろいろなツールが要る。本人の見え方に合わせた支援が必要かなと。

LIFEの文字

これも、要らない行を上下かくしてやると、「LIFE(ライフ)」と読めてくるわけです。素材と素地といいますか、黒に目をやればいいのか、白に目をやればいいのか、私もそうですが混乱して読めない子がいます。

これも長四角…。

ココロの文字

上下を隠してやれば、なーんだ、ココロかと。

その子の見え方、つまずきに合わせた支援さえあれば、学習が進めていける。学習障害といえども、適切な支援さえあれば、学習は進めていけます。そういう支援がもらえ一緒に勉強ができた時の喜びは、普通の子に比べて、うーんと歓びも大きいかと思います。

ダルメシアンの絵

こういう図もなかなか見えません。

ダルメシアンの絵

ここら辺にいるよって囲われてもわからない。

ダルメシアンの絵

ここを切り取っても分かりません。

ダルメシアンの絵

でも、ちょっと線を入れてもらったら、ちょっと見えてきたぞ、また色をつけてもらったら、ダルメシアンかなって。

びっしりと書かれた文字

素材と素地が混同しやすい私には、こういう図もなかなか見にくいんです。実際の文字も図のように見えてしまいます。でも、これは文字のはずだから、黒に目をこらそうと思ってみると、何とか見えてきますが、ごちゃごちゃすぎて、何のことか読めない、わからない。

別の文字を隠した文章

でも、上下左右を隠すと、注目すべきところが見えてきて、拾い読みではあっても、何とか読めるような感じです。読めたからと言って意味がわかるわけじゃないんです。

アルファベットの羅列

そんな私ですが、こういうものを見て、これは何だろう、DNAの配列かなって思ったりせず、パッと見て、人の頭だなと直感で思います。

アルファベットを使った人の顔の絵

だから私の脳は、文字としての認識はしにくいけど、図としてはとらえることができるという特性があるのかなと思っています。

記号の配列

これも数学記号だというよりも、「あ、魚が3匹いるな」とすぐに思うわけです。

針と文字盤

時計の学習でもつまずきました。 パッと見て「何時何分?」と言われても、なかなか難しいですよね。逆に針だけだとわかりやすい。 こういう時計を見せられて、まず目に入るのは、こういう図です。

時計の文字盤

きれいな図形じゃないですか。縦横に八角形があって、間に小さい八角形がきれいに並ぶ。これだけに目を取られると針に目がいかない。

時計の針

針と文字盤の位置関係を読み取って時間を読み取るなんて、すごくレベルが高いことで、そこまでのキャパはありません。

針の部分だけが見えるように工夫した時計の図

色をつけて、まずは青い針だけ見えるような厚紙を準備して、読み取って、ぐるっと回して赤い針の先を読む。こういう厚紙を自分で作ってから読めるようになりました。
全く勉強ができないわけではなく、目的に合ったツールさえあれば学習は続けていくことができます。

あとは文字によっても何とか読めるものと、捉えにくいものがあり、明朝体はとても苦手です。

明朝体で書かれた支援という文字

地図を見るのが好きな私にとって、これは絶対、南北の通りの方が優先道路で、細い方の右側は、一時停止しなくてはならないかなと。端っこに三角形があるけど、文字としてなかなか入ってきません。これが一番かっこいいかな?とか思ってしまう。

ゴシック体で書かれた支援という文字

丸ゴシックとか普通のゴシック体の方が文字として読みやすいです。

今日は天気がいいので外で体育をします。

これは小2の時の話。2時間目と3時間目の間に長めの休み時間があって、黒板に先生が縦書きで、「今日は外で体育をします」と書いていった。3時間目に私は拾い読みで何とか読んだんですが、意味がわからず、外に行けずに叱られたことがありました。なかなか「拾い読み」をしても意味が理解できないという特性もあります。

こういう話をすると、自分で読んだのを耳で聞いて理解すればいいんじゃないの?といわれるのですが、そこまでのキャパがない。どうしたら意味がわかるようになるかというと、何度も読んで、暗記状態になって、目で追う集中力を、次は、意味理解にまわす余力が出てきてやっと意味がわかります。 だからすごく時間がかかります。

そんな私にとって、じゃ、どんな支援は必要なのかというと、ギュウギュウ詰めではなく、意味のまとまりごとで、分かち書きにした方が意味は取りやすく、また早く意味が理解しやすくなります。 実際、本を分かち書きにするのは大変なので、どうやったかというと、最終的には赤で斜線を入れることにたどり着いたんです。それまでは「○」で囲ったり、下線を引いたりしましたが、自分では斜線/で区切るのが有効でした。

「きょうはてんきがいいのでそとでたいいくをします」の分かち書き

上の区切り方と下とでは違うんですが、下は「てにをは」も一緒にしています。 下のやり方がわかったのが、中学校に入ってからです。それはきっかけがあり、中学校に入ると、「アイ・マイ・ミー」など「丸暗記しろ」と覚えた。その時、「I」だけで「私は」なんだと。

I my me・・・

自分の頭の中で、「私は」の1まとまりで意味を理解すればよいのではないかと気がつき、この方法で、意味理解ができるようになりました。

小学校3年生のとき、音楽班になり、音楽の準備をするのですが、先生がメモでこういうものをくれました。

たいことばちをもってきて

私は、前から意味のまとまりのあるもので読んだら、こう読めました。「今日の給食、鯛が出るの?」と読んでしまった。すごいな、「ことば」は図書館、「ち」は理科室、誰が一番早く帰れるかなと思ったら、授業のチャイムがなってしまいました。「何をやらしてもグズで使えん子やね」と怒られました。正しいところで分かち書きにするのは苦手です。その頃、私は、「と」と「の」の意味がわからない状態でもありました。どうしていたのかというと、今、たいこは足りてるけどばちが足りないと。 じゃ、両方とも持って行こうと。

文字や言葉でわからない部分を雰囲気から察しておぎなっていたので、すごく疲れていました。廊下から教室に入るときに、物理的に敷居が高く感じて、この中に入ったら、わからないことだらけで恥をかくから、自分の持っているアンテナを全部ぴんぴんにあげて、分からないところを補って生活しなければならないと思うと、勇気がいり、「よし」と気合いを入れて教室に入っていました。

先ほどから「イメージ」という言葉を使っていますが、私は聞いたり見たりしたものをすぐ理解するタイプではなく、1回、図に置き換えて理解しています。 私が「たいことばち」と言われたときのイメージは左で、この絵のようになっています。 「たいこのばち」なら右です。

太鼓とばちの絵

どうしても縦書きが本当に苦手で、今でもだめです。そんな私が小学校の高学年から、寝る前に、「明日、朝起きたら目が縦に並んでてくれないかな」と思って寝ていました。朝、起きたら、なっていないとがっかりしました。目が縦に並ぶと、縦書きの字が読めるかもしれないと、真剣に思ってたんです。小学生といえども、この状態で町中を歩けばどんな風に見られるかは想像がつくけれど、でも、それよりも授業中わからないまま1時間座っていなくてはいけない、勉強しなくても、わからないことだらけでついていけない、(勉強したくても)自分には苦痛でした。 こうなったらいいなと願っていました。

拾い読みをしても分からないというのは疑似体験でわかってもらいたくて、こういうスライドを作ってみました。縦書きのギュウギュウ詰めの日本語表記と同じ。

縦書きのThisieapen

これを読んでパッと意味が分かった人?上から読むと…(スライド参照)なかなか分からないのですが、横書きの分かち書きにすると、「あ、なんだ」ってなりますよね。こういうところで、日本語はつまづきやすく、ぎゅうぎゅう詰めになることで、拾い読みしても分からないというのは、こんな感じかなとわかってもらえたと思います。

横書きでThisieapen

自分の認識の仕方をまとめてみました。 目で文字として認識したものは、頭で音とのマッチングはして、なんとか拾い読みだけど、流暢さはないけれど、音声化できるのかなと。

文字と音のマッチング

でも、音とのマッチングなので、私が理解しようとすると、図ともマッチングしなければならないので、これでは理解に至らないし、耳で聞いて理解する余力がなくわからない。 でも全くわからないわけではなく、字面として認識すると、こういう字のかたまりは、あのイメージだった、あの図だったなと、図とのマッチングで理解ができる。 それは音とのマッチングではないので、言葉で音読できないんです。 こんな回路で回ってるのかなと思っています。

字面と図のマッチング

小学校4年のとき、班でまわすノートがはじまりました。クラス替えして、新しい班が決まって、先生が班に1冊ずつノートを配って、一人ずつ持って帰り、次の日は他の子に回して、みんなでまわしあうノートだよ、と。終わるかなと思ったら、思い出したかのように、先生が、「神山君の班だけ、みんな、ひらがなで書いてあげてね」と。それを聞いた私は、今度の先生は僕にすごい配慮をしてくれる先生だと感謝の気持ちが持てたかというと、そうではなく、教室から駆け出したい、机の下に潜りたい、そんな思いになりました。

実際に班の子はひらがなで書いてくれましたが、全くわからなかったです。ひらがなの文章って、皆さんもこれを見て、何か分からないと思うのですが。

あるみかんのうえにあるみかんをもっていって。

アルミ缶の上にあるミカンを持っていってなのか、

アルミ缶の上にミカンがある

アルミ缶の上に、アルミ缶を持って行くのか、

アルミ缶の上にアルミ缶がある

ひらがなばかりではわかりませんよね。

字面で捉えると意味をくみ取ることが多少できるので、カタカナ・漢字・ひらがなが混在されていた方が私はわかりやすいです。

アルミ缶の上に在る蜜柑を持って行って。

あ、これなら果物のミカンだなとか、これは缶のほうだなとかわかるので。

でも、実際にもらえた支援は、勉強のできない子=ひらがなで、というのが定説になっていて、余計混乱させられました。

下駄の字

つまり、これを見て、ゲタと読めなくても、あ、こういう字面は、このイメージと同じだと頭でビビッとくるので、熟語表記のほうがまだ助かるんです。皆さんも、漢字とひらがな、どちらで歯医者をイメージできるかというと、やっぱり漢字で書かれたほうがイメージできると思います。ひらがなは、すべてにとって優しいかというと、そうじゃないことも知っていただければと思います。

小学校の教科書には、すごい落とし穴があります。習った漢字と習ってない漢字が混在して、習った漢字は漢字表記だけど、習ってないのはひらがな表記なんです。「ドカ」かと思うと「努力」、「カケソク」かなと思ったら「カケアシ」だとか。

教科書でのひらがなと漢字の混在の例

左側の表記が教科書でされているので、意味としてはくみ取れませんでした。自分としてはどれがいいかというと、熟語で表記し、なおかつ色をかえてフリガナがあるといいなと思います。フリガナで色をかえる必要があるのは、漢字に対してのフリガナがあっても、素材と素地の見分けが苦手な私にとって、例えば「害」の上の「がい」というフリガナが、たけかんむりの新種かなと思って、どこまでが字のかたまりなのかわからない。

発達障害という文字

色が違えば、ルビがどこで字がどこか分かるので、色がついている必要があります。そういう支援が有効です。赤い下敷きみたいなフィルムをかぶせて、マークした部分が見えるとか見えないとか。そうやると、フリガナが消えたりして、学習のチェックができたり。それにも生きるので、色をかえたフリガナは、私にとって有効な支援です。よく間違えます。

よく間違える例

字面としてとらえるので、中田さんと田中さん。ウコンとウンコとか、字面として似ているものは、いまだによく間違えます。

旧西ドイツ、旧東ドイツ

これもテレビのテロップで出て、間違えて読んで家族に笑われました。察しがつくと思います。1日西ドイツ、1日東ドイツと読んでしまいました。

いまだにわからない部分はほかの情報で補っています。ナレーションの中で、古館伊知郎のワールドカップ応援弾丸ツアーというのがありました。弾丸ツアーというのは、行って応援して、1泊もせずに帰ってくるツアーだ、じゃあ1日なんだと思って、さっきのを1日西ドイツというように読んでしまった。

W杯応援弾丸ツアー、旧西ドイツ、旧東ドイツ

娘に言って笑われたんですが、「コンソメついに結婚?」って言ったら、ユンソナでした。いまだにそんな間違いをよくします。

今、職場は学校なので、職員会なんかでは、スリットを準備して、職員会の資料にあてて、左右を指で隠して見ています。 今はスリットに黄色いセロファンを張って、バージョンアップしています。 それによって字がくっきり見えるようになります。

スリットの写真

いろいろ小学校時代には、つらいことが多かったんですが、今だに覚えているのは、2年生の授業で、読み物をもらって、1時間読んで、次の時間に感想文を書く授業でした。40分ちょっとかけて、読めたのは3行と3分の1、4行目を一生懸命指で押して読んでいました。授業の終わりぐらいに先生が寄ってきて「神山君、まだこんな所?」って言ったんですね。周囲の友達が一斉に僕のほうを見て、「嘘だろ、お前、本当にやる気あるんか?」とか、お前はバカやな」とか言われてつらかったです。

小学時代に言われたこと

自分なりに一生懸命やったんだけど、それに対してそういう言葉というのは、すごく辛かったです。絶対、この指をはなしたら、どこまで読んだか分からなくなる、絶対にはなさんぞと決めていた指も、いつの間にか外して、机の下でグーッと握って、ぶるぶる震えていました。目でもにらむように、どこの字まで読んだかを見ていたんですが、だんだんプールの底に書いてある字がゆがんできて、最後に大粒の涙がポロッと出ました。

その瞬間、絶対本なんか嫌い、字なんか読まない、勉強なんか嫌いだと思って、努力さえしなくなった時期をしばらく迎えてしまいました。「まだ、こんな所?」という言葉はつらかったです。 あと、目を見て話を聞きなさいと強いられました。 頭で理解するために、イメージを浮かべる私にとって、目から視覚的に、別のものを見せられて、頭で言われたことをイメージするのは、すごい困難なことなんです。

「目を見て話を聞きなさい」という人の目っていうのは、ほがらかな目なのか、怖い目をしているかというと、怖い目をしてますよね。そんな怖いもの見せられて、意味を理解しろって言われてもそんなん、到底無理な話。でも目を見ないと怒られる。目を見て話を聞くと、意味が分からない。 しかられて指示された直後にやることは、言われたことと違って、またすぐに「お前、今言ったばかりなのに!」と叱られるというスパイラルに入って、すごく辛かったです。 廊下に立ってなさいと言われたことも多々ありました。

いろいろなことが小学校時代にはありました。 適切な支援ではなく、さぼってるという決めつけでしか見られなかった気がします。 「まだこんな所?」ではなく、あのとき、先生が、「神山君、ここまでだったけど、主人公の気持ちを大事にしながら読んだね、頑張ったね」と言ってくれたら、読むのも嫌いにならずに、努力を続けたかなと思います。

中学校時代も辛かったです。明日本読みがあるとなると、一生懸命やります。まず何からやるか。赤ペンを持って斜線を引く、分かち書き作業を始めます。中学校の国語の読み物は何ページにもわたります。それを分かち書き作業するにはだいたい1時間半ぐらい。それからやっと読みの練習です。 トータル3時間かけても、流ちょうさは全然なくて、つまりつまりしか読めません。授業中あてられて、みんなの前で立って詰まりながら読む。

それだけでも、非常に恥ずかしいのに、やっと終わって座れると思った瞬間、「神山ちょっと前に来い、こんなもん、読めんのは小学生以下だ」って言われ、チョークで角刈りの頭に×を書かれて、「1日消すな」と言われたこともあります。できばえだけで評価される。多分、前の日に、本読みだけで3時間かけて行ったのはクラスで僕だけだったと思うけど、でも、評価されるのはそういう扱いで、非常に辛かったです。

中学時代に言われたこと

思春期を迎えてるのに、みんなの前で叱られるというのは、すごくつらかったし、先生から「人間のできそこない」「クズ」という言葉も言われて、勉強できないと生きててもあかんのやな、とか、生まれてきてあかんかったんやなと、いつも思って過ごしていました。 授業中、みんなの前で叱るのではなく、もし前日先生が、廊下ですれ違ったときに、「明日本読みあるけど、ここの3行を当たるように回してあげる、ここだけ練習してこいよ」と言われたら、みんなの前で恥をかくこともなかったかなと。それだけ練習すればよかったかなと。 やはり、その子その子に合った目標設定が必要かなと思います。

あと苦手なことで、駅の柱の縦書きとか、お寿司屋さんのお品書きとか、レンタルショップ、ビデオ屋、本屋の背表紙は全部縦書きです。そこから見つけるのは非常につらいです。

本屋とレンタルビデオショップの写真

でもフローチャートに出会ったとき、すごくわかりやすいなと気づきました。文章で示されると分からないけど、フローチャートで示されるとわかるので、なんで物語も、こうスライドのようにならないのかなと思ったりして。全部フローチャートにすればいいのにと。それまで全く自分は勉強ができないと思っていたけど、ちょっと自分が得意なことが見つかってうれしかったことがあります。だから未だにパソコンで教材を作ったりしています。

マインドマッピング

高校までは行きましたが、すごく勉強もできないことで、つらい日々で、非行に走るか不登校になるかというところで、自分は非行に走りました。そこで高3のときに事件とかをやらかして…。自己有用感とか自尊感情が全くなかったので、やたらケンカばかりしていました。高校3年のとき、これではいけないと、自分をたたき直そうと、高校を卒業し、自衛隊の道を選びました。すると文章が少ない教育を初めて受けて、それがすごく自分には合っていて、「見て盗め!」というのが自分にはピッタリで、いろいろなことができるようになってきました。

自衛隊では見て盗め!

これは入隊してすぐに地雷の埋設を任されたときの写真です。

自衛隊時代の写真

次の年には偵察機や小型戦車を任されたり。4年いたのですが、4年めではパレードがあったのですが、観閲行進のときに戦車を操縦させてもらったりとか。自分は勉強をしても成果が上がらないと思っていたのが、自衛隊で自信を取り戻せて。今までウジウジしていたのは、親や先生のせいだと決めつけていたけれど、そうではなく、自分が勉強のできない子の気持ちのわかる教師になったり、適切な支援ができるよう頑張れば、自分みたいな子をつくらなくてもいいかなと、夜間の短大に、自衛隊に行きながら通わせてもらって、今に至ってます。夜間の短大では文章が多くつらかったのですが、写真と録音の形で講義を記録して、単位を取っていきました。

夜間の短大では

これは6年前から1年かかって自分の家を設計してつくりました。勉強はできなかったのですが、こういうことはなぜかできるんです。次の年、息子と生コン入れて車庫を造りました。やっと今になり、カミングアウトできるようになってきて、自分の特性を許せるようになりましたが、すごく学齢期はつらかったです。

家を作る神山氏の写真

家を作る神山氏の写真

神山氏の建てた家の写真

本も読めないし、友達の中に入って、話題をはずますこともできないことがつらかったです。うまく反応できないと、感じる心もないみたいな感じで、アイツはバカやで。アイツは言い返さないと思われて、粗末な扱いを受けたりしました。うまく言えないのですが、でも、自分は生きている、生きていかなければいけないと、頑張っていたころがありました。あの頃はつらかなったなと思います。日本で4.3%くらいがLDと言われていますが、アメリカでは10%ぐらいいるといわれています。アメリカではDAISYはすごく普及しています。有名な人はディスレクシ=文章が読めない人がいます。紹介します。

ナレーション/世界最大級の恐竜博物館です。ティラノザウルスやトリケラトプス、貯蔵されているものは5万点。化石の多くは、ある学者の研究チームが発見しました。恐竜研究の第一人者、ジャック・ホーナー教授です。彼は恐竜の研究を飛躍的に恐竜ブームを起こした映画の主人公のモデルとしても知られています。映画「ジュラシック・パーク」。リアルに動きまわる恐竜の姿や動きは教授の研究を元に再現されました。ホーナー教授はは虫類に近いと思われていた恐竜は、鳥に近いことを証明し、それまでの恐竜像を一変させました。これまで100を超える研究論文を発表してきたホーナー教授。 世界各地の研究者と共同で、幾つものプロジェクトを進めています。

次々と恐竜の生体を明らかにしてきたホーナー教授が苦手にしていることが1つあります。文字を読むことです。....文章を指でたどり、読める単語だけを声にだして言う。ホーナー教授が読字障害と診断されたのは30歳の頃。読む能力は小学3年生程度と言われています。単語のアルファベットを1つずつパソコンに入力し、変換された音声を聞いて文章を理解します。

ホーナー教授/私にとって、文字は、言葉ではなく、絵のようにしか見えません。 それぞれの単語が意味していることを理解するには、時間がかかってしまいます。

まだ続くのですが、有名な方でも、非常に文字に対しては苦手感があります。でも、パソコンというツールを使うことですごい能力を発揮できているので、日本の子どもたちでも困っている子には、有効なツールをどんどん使えたらなと思います。

読字障害の子はダブって見えたり、ゆらいで見えたり、かすんで見えたり、点描画のようにしか読めない子がいます。

点描画

こういうものも、二色のペンでなぞってごらんと言うと、普通はこうなぞるでしょうが、

点描画のなぞり方

重なりが苦手なので、違うなぞり方をします。

点描画のなぞり方

また、斜線があることで下のハサミの絵が見えなかったり。

ハサミの絵

ハイライトを変えてやれば、しっかり見えます。

ハサミの絵

特性にあった支援さえあれば、学習はやっていけます。私がDAISYに出会ったとき、ショックを受けました。自分が今までいろいろ試行錯誤してたどり着いたことがここに集約されているじゃないか。もっと、自分が小学生や中学生の頃にこれが開発されて、出会っていたらよかったのにと思ってすごくショックに近い感動をおぼえました。実際に見てもらう前に、簡単に説明します。

マルチメディアDAISYの特性

読まれるところがハイライトされて、どんどん進んでいきます。例えば、こんなふうにゆらいでいても、真ん中辺りを読んでと言われても、皆さんも読みづらいと思うのですが、

ゆがんだ文字

ハイライトが入ることで目で追うことが可能になります。

文字がハイライトされている

読まれるところがハイライトされ、移動していくのは非常に見え方に困難を抱えていても、有効なツールです。では、実際に見てもらいます。これは、小学校1年生の教科書をDAISYにしたものです。

(パソコン音声:ハイライトした部分を読んでいます)

神山/これ、どんどん続きます。 ハイライトされた部分が移動していきますが、これほど詰まっていると、私は全然ダメです。 こんなふうに行間を空けることも可能ですし、もっと文字を大きくすることも簡単にマルチメディアDAISYは対応できます。これは違う学年のものです。

DAISY図書を再生する神山氏

(パソコン音声)

スピードも速くできます。速さを変えたり、移動していくので見やすいのですが、素材と素地を見抜くのが苦手な私にとっては、図が邪魔です。消すこともできるんですが、枠を付けるだけで、文字の部分なのか絵の部分なのか、見分けやすくなります。こういうこともDAISYで簡単にでき、混乱を避けることも可能です。

音を消しますが、色が変わったルビが振られています。こういうものもDAISYだとできます。すごく学習障害の子が見え方、困っているところに合った支援が、ちょとした工夫でできます。非常に有効で、もっと自分が小さい頃にこれに出会っていたらと思っています。あとは…。これを見てもらいましょう。

今は簡単に操作できるボタンのあるプレイヤーもできていたり、斜線があってハサミが見づらいような子に対してはコントラストを変えたりして、見やすくすることもできます。

私は特別支援学校に勤めています。肢体不自由の特別支援学校です。肢体不自由があることでページがめくれず、それで本が読めない子もいます。ノート型の5万円前後のパソコンでちょっと触るだけで、タッチパネルで読めるようにして、子どもに与えたら、すごく喜んでやるようになりました。初めは、簡単に、棒スイッチで操作するようにしていましたが、自分で操作したくなって、今までは少ししか動かなかった子が、すごく自分から手を動かそうということで、手が動くようになった。そういうリハビリにもつながりました。

こういうツールは、子どもの意欲をかきたてて、いい支援につながるのかなという感じでいます。DAISYに出会って、苦労しなくても読めるようになってうれしいという言葉や、本の面白さを知ったとか、勉強が好きになったという子もいるし、友達が増えたという子もいます。ぜひ、DAISYをもっとメジャーにしていきたいと思っています。

このパソコンを使ってと話した子はこの子です。勉強しようかというと、すごくいい顔でノってきます。教師冥利につきます。この笑顔はすごくうれしいです。

生まれてて良かった!生まれてきてよかった!そうココロから感じ、喜びながら人生が送れるように!

合理的配慮が得られる社会の実現を目指しましょう

誰もが生きててよかった、生まれてきてよかったと心から感じて、喜びながら人生を送れるように、合理的配慮が得られる社会を目指したいと思っています。長くなりました。ご清聴ありがとうございました。