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教科書のバリアフリー化に向けて一歩前進

障害者放送協議会著作権委員会委員長
井上芳郎

1. はじめに

 通常国会の会期末が迫る2008年6月10日、「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」という長い名称の法案が、衆議院本会議において全会一致で可決成立した。そして2008年9月17日に施行され、2009年度採用となる教科書から適用されることとなった。なお「教科用特定図書」とはこの法律で新たに定義された用語で、従来の「拡大教科書」と「点字教科書」とを指している。

 この法律は、主に弱視児童生徒の教育や支援に携わる関係者からの長年にわたる働きかけにより実現したもので、これまで不十分であった拡大教科書の供給体制整備を、国の責務として明確化させ、また拡大教科書の製作を促進させる目的から、ボランティア団体等へ原稿用デジタルデータを提供するよう教科書出版社に対し義務づけることとした。

 さらに、発達障害等の理由で通常の教科書での学習が困難な児童生徒にも拡大教科書等の活用ができるよう、調査研究を推進するものとした。関連して著作権法第33条の2の一部が改正され、はじめて著作権法において「発達障害」等に対する配慮が明記された。

 それでは、この法律の成立までの経緯、期待される効果、そして将来に残された課題などについて、以下にまとめてみることとする。

2.拡大教科書の現状

 小・中学校の通常学級に在籍する弱視児童生徒に対して、国による拡大教科書の無償供与がはじめられたのは、義務教育であるにもかかわらず、ようやく2005年度になってからであった。

 しかし実際には教科書出版社から発行される拡大教科書は少なく、その多くがボランティア団体の努力により製作されている。しかも製作には多大な時間と労力とを要するため、供給が需要に追いつかないのが現状である。

 2005年1月の著作権法改正により、ボランティア団体が拡大教科書を作成する際には、著作権者の許諾を得ずとも複製が可能となったが、デジタルデータ提供については難色を示す出版社が多く、ボランティアの方たちは相も変わらず手入力やスキャナーで取り込みOCRにかけるといった労を強いられている。2006年7月以来、文部科学大臣名で出版社側に対し、拡大教科書の出版やデジタルデータ提供の要請が行われてはいるが、状況はあまり改善されていないようである。

3. 法律成立までの経緯と期待される効果

 この法律成立の大きな契機として、それまで拡大教科書供給促進のために尽力されてきた筑波大学附属視覚特別支援学校の宇野和博氏が、2007年10月に「教科書バリアフリー法私案」を公表されて賛同者を募り、関係方面への働きかけを精力的に進められたことがあげられる。障害者放送協議会著作権委員会としても2007年5月と7月の2回にわたり、文化審議会著作権分科会の小委員会において意見発表の機会を得て、「障害者の情報保障や学習権の保障を進めるためには、著作権法の改正と教科書バリアフリーの課題がセットで解決されるべき」との提言をしたところであった。

 法案審議の過程では、出版の義務化が必要との意見もあったようだが、これは見送られて出版社の努力義務とすることで決着をみた。その代償というべきか、ボランティア団体等へのデジタルデータ提供が義務づけられることとなった。また拡大教科書供給に関する責務は国が負うものと明確化されたことで、今後の全般的な供与状況の改善が期待される。

 ただし、拡大教科書の「標準規格」や、ボランティア団体等に提供されるデジタルデータの種類、提供方法、管理方法などについては、2008年4月21日に文部科学省が設置した「拡大教科書普及推進会議」において現在も検討中であり、今後の動向に注目する必要がある。

(国の責務)
第三条 国は、児童及び生徒が障害その他の特性の有無にかかわらず十分な教育を受けることができるよう、教科用特定図書等の供給の促進並びに児童及び生徒への給与その他教科用特定図書等の普及の促進等のために必要な措置を講じなければならない。

(教科用図書発行者の責務)
第四条 教科用図書発行者は、児童及び生徒が障害その他の特性の有無にかかわらず十分な教育を受けることができるよう、その発行をする検定教科用図書等について、適切な配慮をするよう努めるものとする。

(教科用図書発行者による電磁的記録の提供等)
第五条 教科用図書発行者は、文部科学省令で定めるところにより、その発行をする検定教科用図書等に係る電磁的記録を文部科学大臣又は当該電磁的記録を教科用特定図書等の発行をする者に適切に提供することができる者として文部科学大臣が指定する者に提供しなければならない。

※「電磁的記録」とは、いわゆる「デジタルデータ」のことである。

4. 発達障害等の児童生徒への対応

 2007年4月より特別支援教育が本格実施されたことにより、それまでの特殊教育の対象に加え、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥/多動性障害)、高機能自閉症等の発達障害の児童生徒も対象となった。この特別支援教育の理念としては、一人一人の教育的ニーズに対応した、適切な個別の指導や支援が行われるものとされている。しかしながら、拡大教科書等は弱視児童生徒用であるという制度上の制約や、録音図書は視覚障害用であるとの認識から、その学習支援上の効果が確認されているにもかかわらず、発達障害等の児童生徒にはほとんど利用されてこなかった。

 今回成立した法律では、発達障害等の児童生徒が使用する拡大教科書等に関する調査研究を国の責務として推進することが謳われている。発達障害の児童生徒に対し拡大教科書を無償供与とさせることは当初は困難だとしても、保護者からの要望や学校現場での判断によって利用できる可能性が広がったのであるから、今後は積極的に活用していくべきであると考える。

 発達障害等の児童生徒に対しての拡大教科書等の学習支援効果について、特に学校現場での実践的な調査研究の推進が必要になる。ここで拡大教科書「等」としたのは、紙ベースのものではない、例えばDAISY(Digital Accessible Information System)のようなデジタル化されマルチメディアに対応した教科書の活用が期待されるからである。読みに困難のあるLDやディスレクシア(読字障害)の児童生徒に対して、マルチメディアDAISY化された教材を使った支援が、すでに一部で始まっており成果を上げている。

 今回、著作権法第33条の2が併せて改正され、複製の方式について「拡大」のみに限定せず「必要な方式により・・・できる」とされたのは、このような将来のDAISY準拠のデジタル教科書の作製と活用を促進するための条件整備であると捉えるべきである。

(発達障害等のある児童及び生徒が使用する教科用特定図書等に関する調査研究等の推進)
第七条 国は、発達障害その他の障害のある児童及び生徒であって検定教科用図書等において一般的に使用される文字、図形等を認識することが困難なものが使用する教科用特定図書等の整備及び充実を図るため、必要な調査研究等を推進するものとする。

(教科用拡大図書等の作成のための複製等) ※ 改正著作権法
第三十三条の二 教科用図書に掲載された著作物は、視覚障害、発達障害その他の障害により教科用図書に掲載された著作物を使用することが困難な児童又は生徒の学習の用に供するため、当該教科用図書に用いられている文字、図形等の拡大その他の当該児童又は生徒が当該著作物を使用するために必要な方式により複製することができる。

(以下略)

5. 今後の課題と展望

 この法律が衆議院で可決された際に、同院文部科学委員会から附帯決議が提出されている。附帯決議そのものに法的効力はないけれども、政府が法律を執行する際にとるべき留意事項を示したものであり、その趣旨は最大限尊重されるべきものとされる。今後に残された課題の多くが、実はこの附帯決議で指摘されているといってもよいだろう。なお、参議院文教科学委員会からも、ほぼ同趣旨の附帯決議が提出されている。

衆議院文部科学委員会提出の附帯決議(抄) ※ 二、三、五、七、は略。

一、 拡大教科書等の供給・普及の促進という国の責務を果たすためには、教科書発行者による拡大教科書等の発行が重要であることにかんがみ、その発行が一層促進されるよう、必要な措置を講ずること。

四、 将来の教科書や教材のデジタル化に備え、すべての児童生徒が障害の有無や程度にかかわらず、快適に利用できる電子教科書や電子教材が開発されることとなるよう、継続的に調査研究を推進すること

六、 高等学校において障害のある生徒が使用する拡大教科書等の普及の在り方の検討に当たっては、拡大教科書等購入費の自己負担の軽減など必要な具体的支援について検討し、その結果に基づいて適切な措置を講ずること。

八、 特別支援学校高等部専攻科において、いわゆる音声教科書購入費の自己負担の軽減が図られるよう、すみやかに必要な措置を講ずること。

 学校教育の場面に限ってみても、学習活動において教科書以外の図書に依存する割合は、学年が進むにつれ増えていく。教科書以外の図書とは、例えば辞書や資料集、学習参考書、一般書籍等のことである。本来はこれらの図書も、出版段階でバリアフリー化されているのが理想だが、現実問題としてそれが叶わないのであれば、少なくとも非営利の教育目的等での利用については、著作物の公正利用(フェアユース)の観点から、自由に拡大図書や録音図書、マルチメディアDAISY図書として複製できるように、さらには出版社からのデジタルデータの提供が受けられるよう、引き続き著作権法等の見直しを求めていく必要がある。法改正等の結果、著作権者側への補償金が必要な場合があるとしても、出来る限り公的な負担とすることが望ましいと考える。

 また、マンパワーやデジタル化された資源を有効活用するためにも、米国で策定され、すでに一部運用が開始されているNIMAS(National Instructional Materials Accessibility Standard)のような、デジタルデータ集中管理のための仕組みが、わが国でも必要である。システム構築のための初期投資や、著作権者側への補償金など少なからぬ財政支出が必要ではあろうが、長期的に見れば日本社会全体としての投資効果は大きいものと思われる。

 全国各地の学校、公民館、図書館、博物館等や、場合によっては自宅のパソコンなどからこのようなシステムを利用して、誰もが手軽にバリアフリー化された著作物を読むことができる日が、一日も早く到来することを待ち望むものである。


【参考】「教科用特定図書等普及促進法」の全文は、次のサイトなどを参照されたい。

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/access/copyright/barrier-free_houan.html

※ 本稿は、雑誌「ノーマセライゼーション」2008年8月号所収のものに補筆したものである。