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平成19年度 DAISYを中心としたディスレクシアキャンペーン事業
シンポジウム DAISYを中心としたディスレクシアへの教育的支援 報告書

講演2「ディスレクシアに対する教育的支援の現状とニーズ」

講演を行う品川裕香氏の写真

品川裕香(ノンフィクションライター・編集者)

皆さん、おはようございます。よろしくお願いします。できるだけゆっくり話したいと考えておりますが、早口なので聞き取りにくく なりましたらすみません。頑張ります。

いただいたテーマは、「ディスレクシアに対する教育的支援の現状とニーズ」ということですが、ただ今、神山先生のお話を聞いて いただいたので、大体ディスレクシアがどういうものかということはご理解いただけたかと思います。 ディスレクシアとは、読み書きに特化したLDのことです。

知的能力は普通なのに聴覚の情報処理、視覚の情報処理がスムーズにいかない、視覚記憶、聴覚記憶が苦手など複数の要素が絡み合う ことから、字という記号と音が結びつきにくくなり、読んだり書いたりするのが困難になるといわれています。

もう一つ大事なのが、スピード、流暢性の問題です。書字や読字の課題はある程度克服できても、最後まで流暢性の面では課題が残る といわれています。これは世界的にも共通課題として研究が進められていることでして、他言語でも最後に残るのはスピード、流暢性の 問題だと言われています。鳥取大学の小枝先生は、実は日本語におけるディスレクシアの一番の課題は流暢性にあるのではとお考えに なられ、研究しておられます。

大事なことは、ディスレクシア用の薬があるわけではないということです。だからこそ教科的な訓練がとても大事になってくるのです。 目が悪い人にとってメガネをかけることがサポートになるのと同じように、読み書きがしんどい当事者にとっては教育的な訓練が確実に 必要になります。

ただ、なぜここでわざわざ「読み書き障害」とか「読字障害」と言わずに「ディスレクシア」と言っているかと申しますと、日本語での 定義が今日現在、曖昧だからです。

ご存じのとおり文部省は学習障害については定義を決めて、ホームページにも発表していますが、ディスレクシアという言葉を聞いて、 「これがディスレクシアだわ」と皆さんがイメージできるかどうか、そこが問われているわけです。

先ほどの神山先生のお話はすごくわかりやすかったと思いますが、私が取材をした子どもたちの中には、例えば字がこういうふうに2行分が ダブって見える子どももいれば、2行がダブって見えるうえに、文字がさらに斜めに見えるという子もいます。あるいは5行が1行にしか見えな いという子もいれば、お手元のパンフにあるように全部ひっくり返って見えたり、一つひとつの字が動いて見えたり、子どもによって見え方 がいろいろなんですね。字だけではないんです。字だけだと思われると誤解が生じてきます。例えば五線譜がこうやって続いて見えるとか、 形もうまく見えていないということがあります。

二重にダブってみえる

文字が二重にダブって見える

ひっくり返ってみえる

文字がひっくり返って見える

ゆがんで見える

文字がゆがんで見える

以上の図は拙著『怠けてなんかない!』より引用

要するに、読んだり書いたりするのが困難というのは、あくまでもしんどさの一面でしかないということなんです。先ほど言いました 「流暢さが最後まで残る」。これが見過ごされがちなんですね。なぜなら、テストなど具体的な場面で不利益が生じてくるからです。 表面に表れている状態像は、読むのが苦手、書くのが苦手、スピードは遅いというものですが、ベースには、先ほど言いましたように、 例えば視覚の情報処理とか、聴覚の情報処理、あるいは視覚の記憶、聴覚の記憶がどうか。それから短期記憶がどうかということもあります。 それから目と手の協応が悪いという場合。それから空間認知が悪いという場合もあります。

それから課題の一つに目の輻輳機能などの問題があります。欧米では、ディスレクシアの検査をするときに、必ずオプトメトリストが関わり ます。オプトメトリストというのは日本であえていえば視能訓練士ですが、日本の視能訓練士とは仕事の質というか内容が違います。 特に学習障害について訓練されたエジュケーショナル・オプトメトリストの方々が、最初に左右の目の機能が合っているかとか、左右の目を 使って焦点を合わせて見られるかどうかなどを検査します。実は先ほどの物が二重にダブって見えるとか動いて見えるという子どもたちの 中には、この目の輻輳機能を鍛えることで、ダブって見えなくなる子もいます。要するにLDと診断される子のなかにはちゃんと授業で見えて いない子どもたちもいるわけです。ところが残念ながら日本の場合にはこのオプトメトリストがほとんどいません。 つまり目の機能不全を確認できないままLDではと思われている子がいるということになります。

一応、参考までに申し上げると、大阪医科大学のLDセンターで竹田契一先生が監修されてオプトメトリストの奥村さんが、訓練用のDVD ソフトを出しています。いくつかの学校でこれを紹介しましたところ、字が読みにくいとか書くのが遅いという子どもたちの中に効果のあがった 子がいるという声がありました。そういう子たちは、ディスレクシアではないんです。目の機能の問題ですから。でも残念ながら日本にはオプト メトリストの方たちが、まだまだ全然少ない。

このように、その状態像を示すおおもとの原因となるデコボコのボコ、つまり苦手な部分を鍛えないと、結果的にディスレクシアの症状が 残っていくわけです。

ディスレクシアの難しさというのは、本人が自分で気がつかない点なんですね。先ほど神山先生が、「じっと見てれば何とかなると思った」 と言っておられましたが、ほとんどの子どもたち、私が取材している子どもたちのほとんどは、自分だけがそう見えているということを知らない んです。みんなそう見えていて、みんなは僕よりも努力しているからできるようになっていると思っているんです。だから大事なのは、周囲の大人が、 その子が字を書いたり読んだりするのが苦手だとか、勉強を嫌がっているなというときに、ちゃんと見えているかというところからチェックする 視点を持つことなのです。本人はまず気がつかない。そこを理解しておかなければなりません。

というのは、私が見えているこの青の色が、皆さんが見ている青と同じ色かどうかというのは絶対わからないですよね。例えばタイカレー、 辛いですね。私の辛さと皆さんの感じる辛さが同じかどうかなんて絶対わからないのと同じように、どう見えているかというのは他人にはまずわ からないのです。だからこそ周囲の人間が気がついてあげる必要があるのです。

世界的な文献を調べていくと、例えばこれはオックスフォード大学のジョン・シュタイン研究室の論文ですが、英語圏では、ブルーか黄色の フィルターをかけることによって、動いている字がピタッと止まったり、二重に見えていたものが一重に見えたり、3Gで立体的に見えたものが ピタッと落ち着いて見えたりということが、エビデンスベースのデータとして出ています。

ですので、欧米にいくと、先ほど神山先生がお作りになったスリットがありますが、ああいったものが1ドルくらいで普通に売っています。 ただし、これはエビデンスがあるわけではないのですが、私が今まで取材したケースでは、日本人の場合は、なぜか赤やオレンジなどの暖色系が いいという人がほとんどです。これはカリフォルニア大学の先生なんですが、彼女は暖色系について論文を書いています。

こういったものは英語では、リーディング・トラッカーと言います。読む補助器ですね。でも、これは作ることが可能です。いろんなクリア ファイルを買ってきて、どれが一番見やすいか本人に確認して定規くらいの大きさにきったものの周りを厚紙などでカバーすればできます。 クリアファイルの部分がもっと大きいと、その子が二重に見えていたのが三重に見えたり、その子の見え方によって違ってきますから、ここの サイズはできれば1行とか2行分がいいんですが、スリットのところにクリアファイルをはめ込み、周りを段ボールで覆ってあげるだけで十分です。

次に、ディスレクシアをめぐる教育現場の今の課題、2008年1月現在、何が行われているかということについてお話します。

まず一つ、校内ではまだまだ課題が残っています。やはり通常学級の先生方は、特別支援教育が導入されたことによって、何かしなきゃいけない という意識は、お持ちである、と思いたい。ただ、現実問題として中にはそうでない方も結構いらっしゃるわけです。過渡期だからしょうが ないのでしょうが、子どもたちは今を生きているわけですから。特にディスレクシア、読み書きのLDとなってくると、専門外とお考えの方が多い のが、残念ながら現状です。

ですので、特別支援教育に力を入れているというところに取材にいっても、大体、ソーシャル・スキルや行動面の対応がメインです。今、 そもそも一般的にもソーシャル・スキルを導入しようという動きがずいぶんありますので、どうしても読み書きや教科教育の部分よりは、行動面 、社会性のフォローが圧倒的に多い。これはとても大事なことですが、同時にディスレクシアのこともやらなければならない。現段階ではまだまだ 本当残念な状況だと思います。

特に、読み書き困難、つまり、ディスレクシアほど、早期発見、早期対応が非常に求められるんですね。後で時間があればお話ししますが、 北欧にしても、香港にしても、英国にしても、米国にしても、できるだけ早く、その子の苦手さの訓練をして、少しでもボトムアップをして学校 に入れていくという動きが進みはじめているんですね。これは脳科学と教育学や言語学などが連携するようになってきたからです。残念ながら これは日本では大きな課題です。その点については再生会議で何回も申し上げたつもりですが、なかなかわかっていただけていない。学際チームに よる研究と情報収集、情報共有、それをベースにした科学的根拠のあるプログラムの開発による早期発見、早期対応というのは非常に大事になってきます。

それから、今年度のLD学会のテーマがディスレクシアでしたし、昨年度の北海道でのLD学会も、基調講演はサリー・シェイウィッツ先生がおやりに なっています。ということで、ディスレクシアとか読み書きのLDというところに、全国の小中学校の先生方、専門家の意識はかなり広がり始めているん ですね。ただ現実的に、手が回らない。通常学級の先生は40人学級を教えなければいけない。それから今、いろんな保護者がいますよね。ちょっと何かが あると学校側を責めまくる保護者とか、教師は給食費まで取りにいかなきゃいけないような状況において、多様な認知や学習スタイルを持つ子どもがいる という前提での授業計画を立てていくということは、負担が大きいと考える先生方がまだまだいるのも、そして実際問題として熱心な先生であればある ほど時間が足りないというのも事実です。ですから、LDのことをよく知ってらっしゃる先生でさえ、実際には、授業中や宿題などで配慮するということ くらいしかできていない。

もう一つは、小学校でのディスレクシアの指導と、中学校・高校での指導というのは違いが当然出てくるんですね。それは子どもの発達が変わって くるからです。

初等教育においては、取り出して、その子の認知、学習スタイルに応じた指導をいかに細かく丁寧にやっていくかということが求められてくるん ですが、子どもたちも、高学年くらいになってくると、取り出されるということ抵抗を示してきます。なぜだかわかりますよね、皆さん。これは学校 経営や学級経営のあり方が問われてくるんですが、取り出されるということが、子どもたちの間でオッケーであれば全然問題ないんです。ですが、そう いうクラス作り学校作りがなされていないと「取り出される=あいつは勉強ができないんだ」というレッテル貼りになっていきやすいので、小学校5~ 6年生くらいになってくると子どもが行きたがらなくなるんです。まして中学になると、「通級に行けば自分にあった方法で指導してくれるから受験に 直結できる。だから行きたい」という子どもと、行くことがいじめにつながるということで「行くことがいじめにつながるから行きたくない」という 子どもの2つに、確実に分かれていくと実感しています。

早期発見、早期対応が非常に大事なんですが、中学生以上になってくると、いかに支援スキルや支援機器の活用を導入することが大事か。--先ほ ど神山先生が短大でテープレコーダーを使ったとかカメラで黒板を撮ったと言ってらっしゃいましたが、まさにそれです。--そういったツールを使う ことで自分の苦手さを補助できるというスキルを教えていく必要があります。そうしませんと、本人は1人で闇雲に頑張って、結局結果がうまくでなく て自尊感情も低下する一方で、バーンアウトしていくケースが少なくありません。

残念ながら国立学校や私立学校の支援はまだまだなんです。むしろ公立学校のほうが熱心だというのが私の印象です。私立学校も単位制とか 通信制とかありますから、もちろん一概にはいえないのですが、乱暴を承知で大きなスタンスで申し上げるとやはり公立学校のほうが取り組みが 早いのではないかと感じています。それから見過ごせないポイントの一つに「読み書きが困難=勉強ができない」ではない場合もあるということ があります。受験に受かって、いわゆる進学校に入る子もいますから。入ってから、すごく苦労して、結果バーンアウトして二次的な課題に苦 しんでいくというケースもよくあるのです。

もう一つは、異分野の連携にまだまだ課題があることが指摘できます。ずいぶん心理の先生とか医療従事者が関わるようになってまいりまし たが、警察とか弁護士とか家裁とかの司法関係者で、どこまでディスレクシアのことを知っているかといったら、まだまだだと思われます。

それからもう一つ、地域の方々、つまり塾の先生とかスポーツの、例えば空手の先生、サッカーの先生といった人たちも、ほとんどディスレ クシアのことはご存じじゃないんですね。これも大きな課題です。

ではなぜこうなっているのかという、その背景なんですが、一番は、専門家によるディスレクシアに特化した広域調査、実態調査というものが 行われていないという点があげられます。そういう調査が行われていないのですから、当然専門家による研究も進みませんし標準化されたアセス メント方法も確立されていません。そもそも、WISCとかWAISだけでディスレクシアがわかるわけではないんですね。アメリカなど英語圏だと、 例えばラピッドネーミングを使うとか、レイの複雑図形を使うとか、多角的に見ていきます。日本でも、神戸市なんかですと例えばソフトサイ ンや視写、聴写など、いろんな検査の仕方を導入されておられます。それからもう一つ大きな問題は、医者は、そもそもディスレクシアの診断は できないということです。

そういうような状況ですと、厳密には、「なんかあの子、読んだり書いたりするのが苦手だな」くらいしかわからないんですね。そのベースに なっている苦手さを見極める標準化されたテストがないとはこういうことなんです。つまり実態が把握できない。今、筑波大学の宇野先生らが研究さ れていますが、全体的にはこれからです。

繰り返しになりますが、ディスレクシアほど、科学的なエビデンスベースの共有が効果的に子どもたちに、あるいは当事者にサポートしていく ことはないんですね。だから諸外国では脳の研究者や言語学の研究者がこの分野に入ってきているという実態があるわけです。しつこいようですが、 ここが今の日本の教育現場の課題です。

しかも今申し上げたように実態調査が行われていなくて、標準化されたアセスメントがないので、結局、現場の教育関係者や行政担当者が ディスレクシアのことをほとんど知らない。

特に今後、大きな問題になるのは小学校で英語教育を導入することになったからです。となると、確実にディスレクシアの子どもたちが 表面化してきます。これまではなんとか頑張ってきた子どもたちも中学で英語が始まって確実にしんどくなってきたのですが、それが前倒しされる ことになると危惧します。

さきほど言いましたように、行政関係者が知らないので、指導や支援がシステムに落とし込まれていない。結局、こうやってお休みの日に熱心な 先生方がいらして、今何ができるかということをやっていくしかないような現状があるんですね。

さらに見過ごせない課題は、学校という所属がなくなった後、どうなるかということなんです。残念ながらわが国の場合は全然ディスレクシアの ことが知られていないので、専門学校とか大学での支援はほとんどない。現実的には、学生相談対応で何とかやっているというレベルです。 それは、うつになったとか、そういった心のフォローくらいしかなかなかできないんですね。教授たちがなかなか理解してくれないという 相談をよく受けます。具体的に、テストの時間延長や口頭試問、レポート提出の延期、録音機器の使用などの支援もなければ、大人になってか らディスレクシアと分かった場合の読み書きの訓練の場、あるいは対人関係の訓練の場もない。

そしてもう一つ大きい課題は、就労場面に出てきます。読んだり書いたりがなかなかできない、あるいは対人関係が苦手となると、職業的な 自立が難しくなってきます。職業的な自立が難しいということは、今でいう日雇い雇用などの非正規雇用しかなく、正規雇用になかなかつながる ことができない。

なんだかネガティブな話ばかりをしたので、次に、今日から何ができるかという話をしたいと思います。

まず言えますのは、やはり民間から非常に進んでいるということです。リードしているのは、学びの場であり学際チームでの研究機関にも なっている大阪医科大学のLDセンターでしょう。もともと小児神経がご専門の玉井教授のもとにおられた若宮先生と鈴木先生たちが付属病院に LD外来をつくったのが最初です。ところがLD外来に来た子どもたちを診たドクターたちは、診断だけしても指導しなければダメだと、子ども たちにとって必要なのは、診断よりもむしろ指導であるというころで、LDセンターというのを、竹田契一先生の指導のもとに作られるんですね 。このLDセンターがすばらしいのは、言語聴覚、教育心理、臨床心理、障害児教育のプロ、作業療法士、特別支援教育士はもちろんのこと、 オプトメトリストも地元の教育委員会も先生たちも参加しています。非常に多分野の方々が関わっているということなんです。私の本を読んで いただけるとおわかりいただけるんですが、諸外国の場合は1人のドクターがLDを診断する、ディスレクシアを決めるということはまずないん ですね。先ほど言ったようにオプトメトリストも見ますし、ソーシャルワーカーも関わりますし。その他、読んだり書いたりするのが苦手 =ディスレクシアではないんです。そこがすごく大事なんですね。このセンターを私が必ずいつも紹介するのは、非常に多分野の人が関わって いるからです。と同時にここは学習支援を専門にしたセンターを目指しました。そこがすばらしいし、日本では先駆的だといえるのです。

他には、例えば私が所属している、北海道大学の子ども発達センターですね。室橋春光先生の学生さんが指導の中心になる土曜教室という ものも長年開かれています。

先ほどご紹介した筑波大学の宇野先生もディスレクシアセンターというNPOを作って指導にあたっていらっしゃいます。

こういった、LDの具体的な教科指導ということについては、少しずつ各大学のディスレクシアス研究の先生方を中心に始まっています。

他にも民間で--後で藤堂さんが説明されるので省きますが--EDGEもありますし、あるいはクリニックかとうがやっているNPOらんふぁん ぷらざ、これもクリニックの加藤醇子先生が診断してNPOのほうで訓練を受けた先生たちが専門的な指導をしています。

こういった諸機関の指導状況は、イメージとしては個別指導の塾に近い感じです。ただ、個別指導の塾がひたすら丁寧に教えることを 繰り返すとすると、その子の認知と学習スタイルの多様性に応じたできる限りエビデンスのある指導方法を個別に行うのがこういう機関です。 実際、NPOらんふぁんぷらざで指導にあたる、イシダ君にしてもオカダさんにしても、アメリカで障害児教育の学位をとってきた専門家です。

それから同時に大事なことは、教科教育に特化するのではなく、他の教育もやるということなんです。教科教育だけでは不十分で、アートとか、 サマーキャンプとかですね。サマーキャンプがなぜ必要なのかと思われると思いますが、運動機能を鍛えるということは、読み書き困難の子 どもたちにとってはとても大事なことになってきます。

もちろん早くからやっているのは西宮YMCAにおられた西岡先生。今、大阪医科大学LDセンターに移られましたけど、西岡先生たちは早くから LDに特化した専門的な指導を実践されておられました。西岡先生のご専門は言語聴覚ですが、芦屋の病院で読み書き困難だろうと診断を受けた 子どもたちが、明石や西宮のYMCAで個別の指導を受けるということが、どこよりも早い認知と学習スタイルに応じた指導の場でした。 なんといってもできたのは91年ですから。そういった指導とは別に、支援機器などの面では後からも説明がありますが、奈良のデイジーの会とか。 民間のほうの動きが急速に広がっています。

それならば、民間でやれればいいという意見もでてくると思うんですね。でも絶対にそうではない。我々がこれからやっていかなければなら ない教育というのは、木を見て、でも森も見るというものだと私は考えます。一人一人の子どもも見る。と同時に全体も見なければいけないという ことがあります。

なぜかと言いますと、学校で勉強ができない、読んだり書いたりできない、座っていて、よくわからないからいつも「当てられたらどうしよう」 というものすごい不安感を抱えている。あの不安感、恐怖は想像を絶するものがあり、子どもはものすごくみじめになるんですね。これは少年院の 子どもたちを取材していると痛感するんです。少年院に来る子どものほとんどが学校でドロップアウトしています。九九でできなくなる、字が うまく書けない。先生に「お前、何回やってもできへんのやな、やる気ないんか、アホや」と言われる。本人は、最初からできなくていいと思って いるわけじゃないんです。少年院の子どもたちを取材していて痛感するのは、勉強ができなくていいやと思っている子はいないということなんです。 一生懸命やったけどできないから、「どうせ俺、アホやし」と諦めていくパターンがほとんどです。16、17歳になって、漢字が読めたり書けたり 九九ができたり分数ができたりするようになると、子どもたちは俄然、やる気になるんですね。何を言うか。「俺ってバカじゃなかったんだ」 「勉強って楽しいんだ」「わかるって楽しいんだ」と大喜びで言います。これは、我々大人がもっと意識しなければいけないことだろうと考えて います。

何が言いたいかと申しますと、だからこそ個別の指導と同時に、認知の違いや学習スタイルの違いを踏まえた集団での指導が必須なんです。 けれども、さきほど神山先生がおっしゃっていましたよね、「神山くんの班だけはひらがなにしてな」と。これは木だけ見て森は見ていない指導な んです。どれだけ個別指導を一生懸命やっても、それが結果的にいじめや不登校になったら元も子もないんでしょう?何のために我々は教育をする かという視点を持たなければいけない。だからこそ、通常学級での指導や工夫というものが、これから先生方にはますます問われてくることになる と申し上げているのです。

でも私は日本の先生方は十分おできになると思っています。諸外国、いろんな公立学校の先生方を見ていますが、先進国というのは20~25人の 生徒を1人の先生が教えるわけですよ。給食費を取りにいかなくてもいいし、クレーマーの親の対応をしなくてもいいし、あんなに書類も多く ない、会議も多くないですね。日本の先生はそういうことも全部おやりになった上で子どもたちを指導していかなければならないから、本当に 大変だと思います。そこを何とか変えようと今、国のほうでも動いています。たとえ国が動くまでに時間がかかったとしても、教師のプロとして のポテンシャルは私は日本の先生は十分高いと思っておりますので、意識のパラダイムシフトとマネジメントの集約さえできましたらこういった ことは可能になると確信しております。

こういう話をある大学の講演会でしましたら、会場から「じゃ、養護学校はもう要らないということですか」とお叱りを受けました。それは 大きな誤解です。むしろ逆で、専門性はますます必要になってくる。専門性も必要。と同時に通常学級も必要。ですからベストは、アメリカの ように、専門性の高い特別支援学校からメインストリームの学校へのトランジットが可能になることだと考えます。どっちかに籍を置いたら変え られないというのはもはや制度疲労を起こしているのではと考えます。一番しんどいときは特別支援学級でいっぱい勉強して、できるようになっ たらメインストリームに戻れるようにしていくようなシステムを、本当に国が変えていく必要があると思っています。

では今、実際に全国でどういうことが行われているか。例えばこの小学校のクラスには、1人読み書きが苦手な子がいたんですね。この先生は あまり特別支援のことはよくご存じでない方だったのですが、「何ができますか」と聞いたときに、お母さんが「うちの子は漢字を読むのが苦手 なんです」と。「今まではひらがなを教科書に振っていました。でもプリントには振ってないからすごく大変でした。すみませんがプリントに振 ってください」と。先生が「わかりました、全部やります」。1人にやるのも全員にやるのも同じですから即やりましょうとおっしゃってくださ ったそうです。

ちなみにこういうプリントを作る場合には、WORDよりも一太郎のほうが便利です。WORDは部分変換しかできませんが一太郎は一括変換できます。

最初、子どもたちは「なんで、こんな簡単な漢字にもひらがなが振ってあるんですか?」と聞きます。先生が何を言ったかといったら、「学校は 間違える場所だから、みんなわかっているつもりになっているだけかもしれないでしょう?だからこれからはうちのクラスはすべての漢字にひらがな を書きます、これがうちのクラスのやり方です」とおっしゃったんですね。ここで、「●●くんが漢字の読み書きをするのが大変だからだよ」と言っ たら、さっきの神山先生のケースになってしまいます。で、どうなったか。4年生の子どもたちは、黒板に字を書くときにもひらがなを振る、プリント にもひらがなを振るようになったそうです。

それで結果的にどうなのかと言ったら、休み時間に、魚へんの難しい漢字を書いては当てっこするゲームをやるようになるんですね。要するに、 どんどん難しい漢字をみんなが覚えていくので、漢検でそのクラスだけすごく成績がよくなる。すると両隣のクラスは、「なんであのクラスだけ漢検 の成績がいいんだろう?」ということになって、先生方がチェックする。違いは漢字にひらがなを打ってあるだけじゃないかとなったら、「じゃ、や ればいいんだな」と言って、この学年はすべてのクラスで漢字に全部ひらがなのルビを振るようになったんです。そうすると今度は上下の学年が、 「なんであの学年だけ漢字に燃えているんだろう」ということになって、上下のクラスもやりだしました。この学校は今、漢字を中心に学校がまとま っていると聞いています。

実はこのケースを取材したのはもう4年前なんです。でもいまだに、すごくわかりやすいケースだなと思っているので紹介します。まさにワンフォ ーオール、オールフォーワン、ひとりは全員のために、全員はひとりのために、という木も見て森も見る教育の実践だと思います。それでクラスが 非常にいい雰囲気になってきます。

ただ、重要なのは、それだけでもやっぱりダメ、当該児童は学べていないということ。これだけでは配慮をしているだけであって、この読み書きが 苦手な子どもへの指導にはなっていません。この子どもはやっぱり読み書きがしんどいんですよ。だからその子どもをどうやって訓練するかというこ となんです。この子に先生が何をやったかといったら、放課後に学習クラブというのを作るんです。この子どものための補習授業、その子の認知と学 習スタイルに応じて教えるために作ったのですが、ほかの子どもも「先生が教えてくれるなら」といって残って、結局みんながプリント学習を熱心に やるようになったんです。で、一番困っている子どもには先生がつかず離れずで教えていく。ピタッと横につくのはまたダメなんですね。ピタッと横 についたら、またそれは「何であいつだけ」ということになってしまうので。そうしないような学級経営をしていくのがポイントです。

このケース、先ほど言ったように4年前に取材しましたが、実は全国いろんな学校を見ていますと、同じような方法でフォローされている方々という のは少なからずいらっしゃいます。プリント学習を応用したりとか。

例えば、ディスレクシアとはちょっと違いますが、算数のLDで特に計算ができない子どもがいた場合に、計算の授業以外のときには電卓を使うことを 全員に許可する。ただLDの子には電卓も小さい電卓じゃダメなんですね。ある程度大きくないと目と手の協応が悪いですから間違えて押してしまいます。 大きい電卓だけじゃなくて小さい電卓もソロバンも使っていい、というようにします。

要するにポイントは、その子だけにする配慮ではなくて、クラス全体にする指導法を、いかに導入するかということです。

横須賀市は、こういった援助支援チェックシートというものを使って、その子のデコボコがどこにあるかというものを見たりしています。見て、では 具体的にそれをどう教科教育に落とし込めるか。そこが各教師の力量が問われるところになってきます。

ただ、こういった目に見える指導用紙を作るということは、教師間の情報共有ができるという意味ですごくメリットがあるんですね。個人情報ですので、 記入したものは当然保護者とも共有します。これは第一歩ですが、それでもすばらしいと思います。大事なことは意識の変容ですから。

最近は高校が熱心になってきました。先ほどご質問がありましたけれども、例えば東京都の場合は都立高校にチャレンジ校というのがあります。チャレ ンジ校というのは、昼間部と夜間の定時制高校などを兼ね備えた学校なんですが、基本的には不登校の子どもを対象にして作った学校なんですね。大江戸 高校というところに再生会議で視察に行ったんですが、先生方は、生徒たちの中に発達課題がある子もいるということを前提に考えておられるんですね。 だから授業も全部少人数学級で、スモールステップで教えていくということをごく当たり前にやってらっしゃいました。

他には、これはたまたま私の講演を聞いてくださった先生から呼ばれて行った長野県の高校なんですが、英語の先生がディスレクシアの子どもたちの 指導をどうしなければいけないかと悩みながら研究されていらっしゃいました。まだ「どうしたらいいの?」という段階なんですが、それでも意識に上らせ 日夜研究されているのはすごいことだと思います。

例えばこの間取材もし講演もした京都府立の朱雀高校の場合は、読み書きがしんどい子どももいるという前提での指導をやっています。この高校は特別で はない特別支援教育を目指し、非常に素晴らしい取り組みをしています。

福島県立川俣高校というのは、国の研究開発校なんですが、ここではSSTなどに力を入れていますが、やはり細かく丁寧に指導していくのは大前提になっています。

今、高校レベルで何とかしないといけないという動きはスタートしています。で、具体的に何をやっているかというと、子どもたちの状況、特に高校生になって くると、読み書きがしんどいだけでなくて、二次的な課題、さっきの神山先生は非行に走ったとおっしゃっていましたけども、睡眠障害、摂食障害を起こしたり、 対人関係でしんどくなったり、二次的な課題が出てきてしまうので、そういうことも含めて何ができるか。特に高校が最後の訓練の場ですから、気がついて らっしゃる先生方は、本当に今、すごくどうしようと悩んでおられるような状況です。

というのは、高校での指導は、小中学校の指導とは必ずしも同じではない。小学校は、さっきのようにできるだけ取り出して細かく指導することがすごく求めら れてくるんですが、高校で取り出して「じゃ、ひらがなを書きましょう」とやってもまず無理でしょう。いくらそこから始めたほうがよいと思われる場合でも、 です。子どもの自尊心をますます傷つける可能性が高いですから。だからどういうふうに、高校生たちのニーズに応じた指導を周囲の大人がやっていけるかという ところが問われてくるのです。

やはり年齢が上がれば上がるほど求められるのは、こういった支援機器の使用方法やスタディスキルの方法の開発であり指導だろうと思います。

では少年院です。少年院にも読み書きのしんどい子どもが入ってきますが、だからといってみんながディスレクシアというわけではありません。いろんな状況が あり得ます。発達障害=非行ではないんです。

これは誤解されて広まっていることですが、発達障害があるから非行に走るということではないんですね。犯罪というのはいくつものリスク要因が複合的に 重なってできてくるものですから、よく報道で、「広汎性発達障害があるからあの子は非行に走った」みたいな言い方をしていますが、それは事実と異なります。 一つの要因だけで非行になることはありません。それを最初に申し上げます。

広島少年院におられた向井義元首席専門官が何に力を入れているか。まず、基本となる基礎的体力、それに運動能力を鍛えることです。たとえば、集団行動訓練 をするときの指示は右足を上げなさいというもので、でも左足が上がっている子がいる。そのときどうするかなんですね。たいていは「何ふざけてるんだ」という ことになりますよね。でも発達的な視点があれば、「この子はもしかして左右の認知がわからないのかな」とか「ちゃんと指示が聞こえているのかな」とか「聴覚の 記憶はどうかな」など、認知や学習スタイルの面から理解しようとすることができる。ディスレクシアの人の中には左右がわからない人が結構多いんですね。こうい う発達的な視点で日常的にいれば、いろんな場面でより効果的な対応ができるということになります。

したがって、向井首席は少年院という組織に経営の理論を導入して構造化した組織運営を図る一方で、子どもたちの個々の認知と学習スタイルを踏まえた指導を 個別に導入するのはもちろんのこと、集団指導でも生活モデルのなかでも導入していく。それがたとえば集団行動訓練に力を入れるということになる。これは基礎体力 の向上はもちろんのこと、感覚統合の訓練にもなるし、協応動作や集中力の向上にもつながる。

こういうことが、全部読んだり書いたりすることに直結する。ベースラインになっていくということです。もちろん、こういうことをやるから読み書きができるよう になるというわけではないんですよ。でもこういうことがあって、バランス感覚が上がるとか、筋肉が発達してボディイメージが上がるとか、自尊心まで上がるんです ね。自尊心が上がることで、同時に読み書きや訓練をしていくことが身につきやすくなり、それがその子の苦手さ、全体の底上げをしていく。

例えば、向井首席は大縄跳びの指導に力を入れているのですが、みんなと一緒に跳ぶといったことも多感覚的な訓練になるだけでなく、達成感を味わうことができ たり感動を生むことで自尊感情をあげたりする効果も期待できるのですね。

向井首席が開発したプログラムを導入していくことで子どもたちの書字は確実に変わっていく。ある程度字が書けるようになると、本人は書くことが今度は喜びに なっていきます。もちろんいきなりというわけにはいきません。何ヶ月もかかってここまで力がついていくわけです。大事なことは、認知と学習スタイルに応じた指導 をすれば、子どもたちは確実に成長するということを向井首席たちが証明したことだと私は考えています。だからこそ、保護者が、教師が、そして地域の大人が簡単に 諦めてはいけないのです。

では学校で何ができるかということですね。

まずは、全教科で、認知と学習スタイルの多様性を前提にした教科指導を工夫していただきたいということです。それからLDの子ども、ディスレクシアの子どもも そうですが、間違って学習している場合があります。これは、集団で子どもたちを見ている先生のほうが、気がつきやすいと私は考えています。だからこそ、すべての 先生にこの発達的な視点も持って子どもたちを指導していくことが確実に根付くことを期待するのです。

それから英語教育におけるディスレクシア指導。英語ができないと、「あの子は英語が嫌いなのよね」という理解の仕方を日本人はしがちなのですが、嫌いなのでは なくて背景には、もしかしたら音と記号が合わないから、合いにくいからうまく理解できないだけという可能性も結構あると私は考えます。英語圏のディスレクシアは 10%と言われていますが、その数字を考えれば日本人も10人に1人は英語が確実に苦手でもおかしくないということですから。

それから、録音テープとかDAISYなどの支援機器をいかに通常の授業のなかで使っていくかということが問われるわけです。他にこういった視覚障害者のための音声化 ソフトは、読み書き困難の子どもたちにも効果的なものが多数あります。

授業で導入するときのポイントは、先ほどの小学校の感じにルビをうつケースが象徴的ですが課題を抱えている子どもだけに使用を許可するといったやりかたにしない 点です。ここが教師としての工夫が問われるところでもあります。

もう時間がありませんがあと5分だけください。英国など諸外国の話を簡単にします。

英国に限りませんが諸外国の場合、大学など高等教育機関には、ディスエイブルド・センター、障害支援センターがあります。そこで講義ノートを貸してくれたり、 教科書がテープになっていたり、テストの時間延長が検討されたりするわけです。

ロンドン大学の場合にはディスレクシア・コーディネーターという専門職の方々がいました。この人たちは、学生のスクリーニングやアセスメントをしたり、現物支給を 決めていくんです。たとえば、スキャナーとかプリンターとかソフトとか、MPSのプレーヤーとかですね。

英語圏の場合には音声化ソフトというのはいろんな種類があるんです。ですからその子のディスレクシアの状態、苦手さ、得意さによって、使いやすいソフトと使いに くいソフトがある。残念ながら日本はまだここまでいっていないのですが、こういったものがあることが、ものすごく彼らの社会進出を促し、職業的な自立に直結していき ます。こういった支援機器の使い方を学生時代に教えていきます。

それから、ほかにも例えば卒論を口頭試問にしてもらうとか、論文を書くときの支援。論文を代わりに書いてくれるのではなくて、書き方を指導していくんです。書く 順番、コツを教えてくれたりします。

この方は、英国の人権局の人ですが、彼女はディスレクシアです。幼い段階でそれがわかって、専門家から訓練を受けてきていますが、社会に出てからはどうしているか と言いますと、会社にこういったヘッドフォンとスキャナーを常備してそれを最大限活用しているわけです。情報はすべてスキャナーで読み取り音声化しますし、自分が読ん でいるところはこういうふうに文字がハイライト化されて画面に出てきます。つまり支援機器を駆使して働いていらっしゃるわけです。

この方は消防士です。実は消防士には読み書き困難やADHDを持つ方が少なくないのだそうです。男性が集まりやすい職場だというのもあるんですが。ところが左右の認知を 間違えやすい、聴覚処理が悪い、音の聞き間違いが多いなどというような特徴を持つ人が消防士だと命に関わってきます。本人の命はもちろん、同僚の命も巻き込むことになり かねません。だからこの消防署ではそういう人たちの特徴に応じた指導を具体的にやっているのです。取材に行ったときは、EUから何人もの方が訓練を受けに来ていました。

これは米国ランドマークスクールで、ディスレクシア専門の学校です。小学校から大学まであります。ランドマークスクールの目的は、できるだけ3年で卒業させるということ なんです。3年の間に鍛えてメインストリームの学校に戻ってくださいということをベースしておられる。ですから、小学校でディスレクシアに気がついたのであれば中学校は一般 の中学校に行きましょう、中学校で気がついたら高校はできるだけ一般の高校に行きましょう。大学、それもたとえば、ハーバード大学に入学してから気がついた人はサマースク ールで訓練を受けるということも十分可能です。何をするか。これは国語の授業ですが、やはり文章の書き方を構造的に教え、語彙を増やすような訓練をしていくんですね。

日本はこういう指導をやっているところは本当に少ないと思います。先ほどお話したようなLDセンターやらんふぁんぷらざはまさにそういう学びの機関ですが、学校で専門的に 教えているところがあるかといったら、残念ながらまだほとんどないのが現状です。やはり読み書き困難だと、書くのが苦手、読むのが苦手ということで、文章を作るというとこ ろまでの指導がまだ全然なされていない。

今お話したようにランドマークは語彙を増やすという訓練も数多くやっていきます。これを見て私は驚いたのですが、少年院は全く同じことをやっているんですね。文章の書き 方、語彙の増やし方ということを辞書を使って力を入れているんですね。

大事なのは、年齢に応じた教材を使うことです。読み書きが苦手だから小学校1年生の教材を使う、それは間違いです。なぜならばこの子たちにはプライドがあるからです。 だから4年生には4年生の教材を使っていかにフォローしていくか。

それが大変だから、と教師の方々はおっしゃるかもしれない。大変なことはよくわかります。でも、どんな仕事にも課題はたくさんあるわけで、それを解決していくのがその 仕事のプロのやることだと考えます。教育のプロならばこそ、認知と学習スタイルを踏まえた指導で、子どもたちの自尊感情を傷つけない方法を見つけてほしいのです。

これはランドマークスクールのカーン校長が言っていた言葉なんですが、要は教育で子どものニーズに応じたシステムを作っていくということです。それが一番子どもたちに とって必要なことだろうということができます。

大事なのは、環境を整えること。DAISYを使うというのは環境を整えるということなんです。これはWHOが2001年に出したICFモデル、障害の社会モデルです。従来は個人の因子が あって社会参加ができないのが「障害者」という考え方でしたが、たとえ個人因子としてディスレクシアがあったとしても、環境が整うことによって社会活動、社会参加できれば、 機能不全はあっても生活をしていく上では問題はないんです。DAISYは環境を整えるための大事な要素、小道具、ツールです。もちろん、いうまでもなく、環境を整えるのと同時に、 個人自身はなんとかして自分の読み書きの力を鍛えていかなければならないんですが。両輪なんですね。

最後に、一人一人がプロとしてできることはいっぱいあると考えます。保護者として、教師として、専門家として、メディアとして、地域の者として。いっぱいあるはずです。 すべての大人が、一瞬でも関わりのある子どもの人生を左右するという意識を持って、読み書きができないと「無理に書こうとしなくてもいいんだよ」か「怠けているんじゃないの」 ではなくて、認知と学習スタイルに違いがあるのだという前提に立って細かく丁寧に具体的効果的な指導する。いろいろ大事なことはたくさんありますが、その子が社会に生きてい くときに何が必要なのか。その視点を持ってすべての大人が子どもたちに関わっていくことが問われていると考えています。

長くなりました。ご清聴、どうもありがとうございました。