音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

日英シンポジウム2001「住み手参加のまちづくり-
共に暮らすまちづくりのネットワークをめざすCAN の経験に学ぶ-(北九州)」

基調報告「社会的な援護を要する人々に対する施策としてのまちづくり」

炭谷 茂(北九州)

 ただいまご紹介いただきました炭谷でございます。
 本日は本当にたくさんの人にご参加いただきまして、ありがとうございます。このシンポジウムを企画した一人としてたいへんうれしく思っています。
 なぜこのようなシンポジウムを開催したかの動機をお話しすることで今回のシンポジウムの意図がわかっ ていただけるのではないかと思います。
 袋の中を見ていただくと、一枚のレジメが入っています。これを見ながらお聞きいただければと思います。私の名前で書いてあるもので「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方について」という紙です(本報告書資料を参照下さい)。
 実は去年まで、私は厚生省の社会援護局長として、いわば社会福祉サービスの仕事をしていました。日本の社会福祉は戦後著しく充実していきました。高齢者、障害者、児童、それぞれの法律が整理されまして、福祉の水準においてはおそらく国際的にも負けないような水準になったのではないかと思っています。
 しかしよく考えてみると、そうは言ってもよく新聞で大都会、この北九州市でもあるかもしれませんが、高齢者が一人でぽつんと亡くなって、1 か月も発見されないというような問題が起こります。それから私にとって特に衝撃だったのは、2 年前に栃木県の宇都宮市で、母子家庭で20代のお母さんの2 歳にもならない子どもが餓死をしてしまうという事件がありました。この豊かな日本で餓死をしてしまう。本来なら生活保護を受けられたにもかかわらず、近所の人が誰も手助けをしないで餓死をしてしまったという痛ましい事件です。 果たして日本の社会福祉の法律というのは果たしてうまく適用されているのかなと思います。
 一方、同じような事件が、島根県の江津市で。山陰の方ですけれども。江津市ではお父さんが中学3年生の娘さんが高校進学を控えていた。もし生活保護を受ければ娘さんの進学はできなくなると思い込んでしまって、もう一人の小さい子どもに医療を与えない、病院に行かせなかった。もし生活保護を受ければ医療費の給付が受けられるにもかかわらず、そういうふうに勘違いして生活保護の申請をしないで病気で下の子どもをなくしてしまうという痛ましい事件も起きました。
 北九州でも見られると思いますが、ホームレスの数がだんだん増えているような気がします。このシンポジウムの2日前は大阪市で行いましたが、大阪市のホームレスも大変増えています。2年前は全国で1万6千人程度という統計が出ていますけれども、今は私のだいたいの感じだと3万人近くになっているのではないかと思います。この豊かな日本でどうしてこういうことが起きるのかなと思っています。
 これについて、後ろに図が載っていますので見ていただければと思います。従来、日本ではこの横軸の線、貧しさとか心身障害ということで社会福祉の施策が講じられてきました。たとえば貧困であれば、これに対して生活保護の適用などいろいろな手当が支給されます。一方、障害であれば障害者に対するサービスが出されるわけです。しかし現在は社会的な排除とか、社会からの孤立という問題が増えているのではないかと思います。
 社会から排除される。たとえばホームレスの問題、たとえば中国からの残留孤児の問題、社会から排除されてなかなか社会に溶け込めない。
 一方、自分から閉じこもってしまう。これが孤独死とか、また、自殺とかということにつながっているのではないかと思っています。

 それではこれはどのようにして起こったのだろうかということです。そしてこれがなぜ解決できないのか。私は3 つの理由があるのではないかと思います。
 一つは、行政の実施主体の問題があるのではないかと思います。今日本では社会福祉の法律がいっぱいあります。でもそれぞれどういう場合に適用になるのかという、いわゆる要件が書いてあります。一方、その要件に該当した人に対して適用される福祉サービスの種類も書いてあります。ですからこの要件とサービスに該当しない人は漏れてしまうわけです。日本では福祉サービスがたくさんあるけれども、それは法律の性格上、必ず網の目から漏れてしまうということが生じてしまうのです。昔であれば、比較的自由に、その必要がある人があれば、なんとかしようというのが行政の動きだったように思います。
 私がよく例に引くのですが、大正7 年に日本で米騒動というものが起きました。約百万人が参加した社会的な大きな動乱でした。これに対して当時の内務省は、これでは大変だ、なんとかしなくちゃいけないという ことで、むしろ法律を考えないでやれることは何でもやってやろう、やらなくちゃいけない、ということで、問題に対応するという方法でやったようです。ですから、近代的なわが国の社会福祉の仕事というのは、実はその頃にできたものが多いわけです。たとえば、当時考えたことといえば、失業対策とか海外、ブラジルやアメリカに移民しようとか、婦人会や青年会を作ろう、そういうものも当時は考えられた。また市場を作 ろうとか、いろいろな工夫がこらされたわけです。
 しかし現在はむしろ法律が整備されたために、それに該当しない人に対してはやらなくていいと考え。行政主体側はそういうものについてやろうとする意志、意欲というものがだんだん衰えてきたのではないかなと思います。これは私は福祉のパラドックス、福祉の矛盾ではないかと思います。
 第二の理由は、福祉サービス提供側の要因というものがあるのではないかと思います。いろいろな社会福祉を行っている団体に「社会福祉法人」というものがあります。社会福祉法人自身は戦後制度化されたわけ ですが、現在の社会福祉法人というのはむしろ――この中にもたくさん仕事をされている方がいらっしゃると思いますので、ある意味たいへん失礼になるかもしれませんが、今の社会福祉法人の行動の典型として、 公、都道府県や市町村からくるお金で運営されている。都道府県や市町村から指示された仕事の範囲内の仕事をする。むしろそれ以外のことをやると都道府県や市町村に怒られてしまうということもあるのでしょう まさに公から委託を受けた仕事の範囲内にとどめるという傾向が強いのではないかと思います。すべての法人がそうだとは言いません。しかし戦前の社会福祉をやっていた団体は、ニーズがあるから、公から頼まれ てやっているのではなく、自ら進んでやってきたのではないかと思います。
 その代表的なものは戦前に作られた日本済生会がそうだったろうと思います。済生会は英国の救世軍をモデルにして桂太郎内閣のときに作られた、ずいぶん古い団体ですけれども、戦前の活躍はまさにニーズがある、そういうものに対して積極的にやっていこうというものがあったと思います。
 三番目に、よく言われることですが、日本においても家庭の絆が弱くなってきている。一人世帯が多くなってきている。二番目には地域のつながりが弱くなっている。また、三番目には職場のつながりも弱くなって いる。派遣社員、バイトで働ける間はまだいいのですが、リストラでクビになってしまうと。このようなことで、かつて公のサービスでできないものは家庭、地域、職場でそれを補っていたのですけれども、この機 能も日本社会ではたいへん弱くなってきてしまったのではないかと思います。
 このような3 つの要因によって、日本の社会で解決できない問題というのがむしろ増えてきているのではないか。増えているだけではなくて深刻化しているのではないかと思います。都会における高齢者の孤独死 はますます増え、ホームレスも増え、そして自殺者は平成10年には前年の2 万人から今や3 万人と、1万人も増え始めているという状況です。
 では、これに対してどのようにしなければいけないのかということで、ずっと考えてきました。そこで、当時、私が厚生省で仕事をさせていただいたときに検討会を作りまして、この分野について詳しい先生方に集まっていただいて検討をしていただきました。その報告書が平成12年の12月8日に出していただきました。 そのときの結論として、これから目指すべき方向というのは「ソーシャル・インクルージョン」、英語で申し訳ないのですが、わかりやすく言えば、社会から排除するとか社会の中で孤立するとかということではなくて、社会の仲間に入っていく、仲間に入れていくということではないかということです。
 この考え方は主にフランスで発展したと言われています。フランスと言えばもともと農業国ですから非常に家族のつながり、親族とのつながりを強く求め、地域とのつながりも強い国だと言われています。この国 でもやはり移民の外国人、またホームレスの問題、社会に排除される人が多い。そこで3年前に、社会から排除される人々に対する施策の基本的な法律が作られています。
 一方英国でも、後ほどモーソンさんやトムソンさんからお話があると思いますけれども、ブレア首相が第三の道ということで、それは結局はその中心になっている基本的な概念は、ソーシャル・インクルージョン というものだろうと思います。
 一方日本はどうなっているか。先ほど言いましたように、どうも日本はそれとは逆の、いわば対比的に考えられているアメリカ的な思考になっているのではないかなと。いわば自由競争。その闘いに敗れた人は、 セーフティネット、安全な網ですね、そこで助ければいいんですというような考え方。いわば自由競争社会。そこから敗れ去った人は、いや心配要りませんよ、セーフティネットを作りますから、という考え方が主 になっているのではないかと。一言で言えば、社会全体が、ある意味冷たい社会に、そういう傾向があるのではないかと思います。
 では、具体的にどのようなことをしていったらいいのだろうか。いろいろとあると思いますが、私は6つ考えてみました。
 まず第一は、新しい社会的なつながりを創出することだと思います。これは先ほど末吉市長の話もありましたけれども、新しいつながり、たとえば志を同じくする人でNPO を作る。そしてそこでまちづくりを行う。その代表的な例はこの北九州市の北方で成功したまちづくりではないかと思います。新しい、住民参加のま
ちづくり。その中でNPO などが参加して行う、ということではないかと思います。
 二番目に書いた社会福祉法人などの取り組みがあります。ここで社会福祉法人は原点を取り戻すべきではないかと思います。最近社会福祉の分野で、社会福祉法人のやっている仕事を見れば企業がやっても同じで はないかと。民間の営利企業に任せた方が効率的だ、という議論がだんだん力を増してきています。いやそうではない。やはり社会福祉というのは違うんだということを、社会福祉法人自身が示さなければいけない のではないかと思います。本来、お金がなくても、公からお金を受けなくても、それに対して取り組んでいくというような精神。金は後からついていくるんだと。ともすれば社会福祉法人は公からお金がきた範囲で 仕事をしようということになりますけれども、いやそうではない。お金は後からなんとかしよう、とにかく目の前の人を助けようという精神を取り戻す必要があるのではないか。そういう姿勢を示せば、福祉は民間 の営利企業でもできるんだという前段の主張というものがなくなるのではないか、弱まるのではないかと思います。
 第三番目は、行政自身の取り組みだろうと思います。これは現在の行政は、いわば法律に基づいてそれを運用するということに終始しているように思います。でもこれからは、問題を発見し、それを解決する。法 律が出発点ではなくて問題が出発点である、というふうにすべきではないかと思います。
 第四番目は、それと連動することですが、社会福祉の手法である、専門的になって恐縮ですが、ソーシャルワークの機能をもっともっと強くしなくてはいけないのではないかと思っています。
 それから第五番目に、生活保護制度の見直し。これも1950年に制度ができました。しかしうまく機能していない。もう少し生活保護制度が利用しやすくする必要があるのではないか。利用しやすく、かつ、生活保 護から自立しやすいという制度にしなければいけないと思っています。しかし一方、現在の生活保護を利用している方の内容を分析してみますと高齢者が多いわけです。高齢者の一人世帯の方が多いという実状があ ります。そうすれば現在の生活保護法の第一条の目的として、憲法第25条、生存権と自立を助長するという二つの目的が掲げられています。もちろん他の若い世代であればその通りだと思いますけれども、高齢者の 単身世帯でいわば経済的な自立を求めるということは、かなり困難だろうと思います。ですからこのような高齢者の一人世帯が半分近く占めている現状においては、むしろ生存権と、今議論になっているソーシャル インクルージョン、社会の仲間で生活をしていくということを助けるという基本理念が、むしろ強調されるべきではないかと思います。
 最後の六番目に、これがまちづくりの手法でやらなければならないのではないかと思っています。まちづくりというのは実は20年前も30年前も同じことが言われました。コミュニティづくりをやろうということが 方々で語られ、試みられました。しかしほとんどが、一部を除いて――たとえば北方のようなところを除いて――失敗に終わりました。単なる名前だけ、掛け声だけ、提言だけという状況です。しかし、いろいろと 見てみますと、中には各地で成功し、その町自身がたいへん充実、発展しているという事例があります。北方もそれに該当するんだろうと思いますし、また世界でもいろいろ成功しているところはたくさんあります そしてその町自身がいわばまちづくりの手法で、ある分野では世界一。たとえば大学があることによって世界一の都市になる。また病院を新たに作ることによって世界一の医療の町になっている、というようなとこ ろが世界各地にいくつか発見することができる。このようなところを目標にしながら、まちづくりを進めていくことが必要ではないかと思います。
 それでは、これまで各地で試みてはきたけれども失敗してきた。何とかそれを成功することはできないかと考えてきましたけれども、だいたい4 つくらいのポイントがあるのではないかと思っています。
 一つは、住民が参加をしていくということ。上から与えられる、命令されるのではなく、そこに住んでいる住民自身が主導権を持ってやっていくということだろうと思います。

 二番目には、あらゆる資源を利用する。利用できるものはうまく利用するというような経営者的なセンスで臨んでいくことが必要ではないかと思います。
 三番目には、隣の町がやっているから真似をしようということではなくて、その町独自の歴史とか文化とか自然環境があります。ですからその町独自の目標を持って独自性を持っていくということが、成功する秘 訣だろう。ベストワンを目指すのではなくてオンリーワンを目指すというのはよく企業戦略で言われますけれども、まちづくりでもその通りだろうと思います。
 四番目は、やはりやるからには高い水準のものを目指す。文化面でもいいでしょうし、産業面でもいいでしょうし、教育面でもいいでしょうし、保健・医療・福祉の分野でもいいと思います。より質の高いもの、で きれば日本ではその分野については負けないという高い水準のものを目指していくということが必要ではないかと思っています。
 このような中で出会ったのが、偶然、去年の秋の日英シンポジウムをやりましたときに出会ったイギリスのCAN の試みでした。これはすばらしい。私どもがこれまで考えてきた、模索してきたまちづくりの方策と どこか共通点がある。そしてイギリスではかなり成功しているということを知りまして、このようなシンポジウムを催したわけです。
 今日、このようにたくさんの方にお集まりいただいています。きっと何か学び、そしてこれであれば自分たちも利用できるというものが得られると思います。実は私自身もすでに大阪でこのシンポジウムを聞きま したが、たいへん得ることがありました。この北九州市、この福岡でどこかのまちづくりにきっとこのCANの手法がお役に立てるのではないかと思います。そのような見方でお聞きいただければたいへんありがたい と思います。ご清聴どうもありがとうございました。