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日英シンポジウム2001「すべての人が尊厳をもって共に暮らせるまちづくりをめざして」

プレゼンテーション報告 ポール・ブリッケル(大阪)
「ブロムリ・バイ・ボウにおける経験から」

ポール・ブリッケル(大阪)

 おはようございます。今日は来日でき、またこのような場所に招待してくださったことを、たいへん感謝しております。この数日、東京、横浜、大阪にまいりまして、非常に多くのことを学ぶことができました。日本のコミュニティ・リインベンション、まちづくりについて学んだわけですが、こうして見ていきますと、私たちは友人だという気持ちを新たにしています。本当にご招待ありがとうございました。
 特に感銘を受けたのは神戸を訪問したときです。この地震後の7 年間、たくさんの仕事をされたということで感銘を受けた次第です。
 今日は私たちがこのブロムリ・バイ・ボウ・センターで16 年間学んできたことを、コミュニティ・リインベンションについて共有していきたいと思っています。
 コミュニティ・リインベンション、つまりまちづくりということはすべての人が共に暮らせる参加型のものであるということで、今日のシンポジウムのテーマにもなっていますが、私はNPO のブロムリ・バイ・ボ ウ・センターの所長としての話をさせていただくと同時に、実は私は新しい労働党の党員でもあり、ニューハム地区の区長としての話もさせていただきたいと思います。
 これからお話しするブロムリ・バイ・ボウ・センターは、この赤い本に詳しく出ています。それからこちらにも小冊子がありますので時間があれば見ていただければと思います。
 それではまず、地図を見ていただきたいと思います。私どもが居住しそして仕事をしている場所です。(スライドを見ながら)ロンドンです。川が流れていますね、テームズ川です。ここがロンドン市です。そ して非常に大きなチャンスのある場所があります。古いドックランドです。過去10 年間で新しい市が生まれています。カナリーウォーフビジネス街です。それから新しい飛行場、最大規模のエキジビジョンセンター、そして新しい大学等ができているロイヤルドックという場所があります。それから数マイル離れてストラットフォード、新しい文化的な産業地域ということで、新しい国際鉄道の駅を作っていこうとしています。そして他のヨーロッパ地区や世界をつなぎます。
 しかしながらいくつかの問題があります。こちらに川があります。この川の周りにはたとえば製薬企業、化学企業などいろいろな産業があったのですが、すべてなくなってしまいました。そしてまったく荒れ果てた地域になってしまったのです。もちろんこれは新しいチャンスでもあります。非常に大きな土地があるということで、質の高い投資が出来る、新しい何かをもたらす可能性があるということです。新しい水の町、市 を作ることができるという可能性です。
 こういった場所は、もちろん雇用の機会も考えられるでしょう。このあたりは新しい成長の可能性があるということなのですが、しかしながらまだまだ荒れ果てていて、失業の問題もあります。また、ソーシャル・エクスクルージョン、つまり排除された人たちがいます。こちらは非常に悪い住宅事情です。瓦礫があるような状況です。ヘルスサービスの問題も出てきています。失業率は高いし学歴もないし教育も受けられない のです。
 こちらは多くの人がバングラディシュからの移民です。あるいはサマリアからの移民です。最近になってイギリスに入ってきたものです。自信もありませんし、またどのように社会に参画していくのかわからない、あるいは英語も話せないということで、その地の多くの白人の人たちもいるのですが、やはり排除された人たちです。
 しかしながら、土地はたくさんのスペースがありますから、チャンスであるということなのです。すばらしい潜在的な力、すばらしい創造力を持っている。そして将来に向けて大きな可能性があるということです が、ではそれをどのように実現していくのかということです。どうやったらすべての人々の参加によってまちづくりを行っていくのか。最も排除された人たちも取り込んでいけるのかということです。

 それには二つあります。まず物理的な再生です。非常に荒れ果てた環境をどう再生していくのかということ。そしてうまくいっていない公的サービスをどのように活性化するかということです。
 炭谷さんのお話のように、新しい問題が次から次へと起こり、既存の公共事業は実は頭をかかえている状態です。
 しかしながら、トニー・ブレア首相がロンドンで話をしたときにこのように言っています。1997年に労働党が政権を握ったときの就任演説の中でにこう言っているのです。政府は多くの社会起業家を支援したい。ビジネスの世界と同じように想像力をもって社会的問題を解決できる社会起業家を支援したい。そうすることでコミュニティのリーダーになるべき人たちがいるから、そういう人たちを支援したい、と言っています。
 アンドリューさんも先ほど話しましたが、非常に多くの人たちがコミュニティのリーダーになる可能性があります。ブロムリ・バイ・ボウ・センターでもそうでした。
 しかし、公的委員会のなかのコミュニティではなく、ビジネスのなかのコミュニティを私達は作りたいのです。ここで問題なのは、とにかく話し合いをするということです。地元の人々でただ話をすることが重要 ではなく、ビジネスのように仕事をすることができるということです。
 若干例を挙げたいと思います。ボブズ・パークというのがあります。40 ~50 年前にボブさんという人が始めた公園ですが、ここで問題なのはこういうことです。アンドリューさがおっしゃったように、まずマクロとミクロのつながりが大事だということです。それから人々の生活のすみずみにその手がかりがあるという考え方。それから実践の活動のなかにエンパワーメントがあるということです。排除されている人々をどの ように取り込んでいくか、エンパワーメントしていくかということです。そして自治体とNPO の間にどういう生産性の高いつながりを持たせることができるのかというテーマ。そして問題は公的空間を誰が所持して いるのか、誰がソーシャルサービスについて責任を負うか。これらがテーマです。
 コミュニティ・ケア・プロジェクトについてお話ししましょう。このプロジェクトは、実際に身体障害、学習障害があった人たちのためのものです。クラフトをする、あるいはいろいろなものを作ってみる。たとえばガーデンに行って植樹をするというようなことですが、ビジネス的な考えを取り込んでいますので、彼らが作ったものは販売します。問題はこういった傷つきやすい立場にある人たちをどのように支援するかです。社会自体も傷つきやすいのです。私達が展開させた答えはボランティアを通してということでした。地元の疎外されている人々自身が、参加して障害者を支援するということです。
 すなわち、1 対1 の非常に質の高いケアを提供することができますし、そしてボランティア自身も自信を得ることができる。あるいはトレーニングを受けることができ、そして仕事を持つことができるし、自分でビジネスを始めることもできるでしょう。
 こういったプロジェクトのマネージャー自身もボランティアでした。ジェームスという、レストランの経営者で、70 席もあるレストランを持っているのですが、そういうプログラムで出てきた人たちです。
 いわゆる除外されている人々は、なぜそういうことができたかというと、話をしたからではないのです。自分たちで何かアクションを起こしたからこのプロジェクトが成功しているということです。
 こちらは女性のグループ、バングラディシュの人たちです。特別な人たちです。イギリスに来て生活が非常に難しい、除外されていると感じていて、自信もないし英語も話せない人たちです。
 特別な女性がいます。ジェネスという方です。彼女がしたことは、このセンターの中にスペースを確保して小額の資本で、アウトリーチサービスを始めました。いろいろな家を訪ねて社会に出ていくように励まし たのです。私たちもいろいろな支援しました。いろいろなリソースを与えました。そして数年後何百もの家庭のネットワークができたのです。実際に地元のサービスにアクセスできる、仕事にアクセスできるように なりました。そして雇用も見つけることができましたし、小さなビジネスをスタートさせることもできました。
 ジェネスさんは非常にうまくこの状況を言い表しています。「私達はたしかに孤立して散在していた。でもようやく小さな村を作ることができた」と言っています。そして、まちづくりという話をしています。コミュニティ・リインベンション、つながりを持つということです。そして白人の社会ともコミュニティとしてのつながりを持つことができたと言っています。
 このプロジェクトによって直接まちづくりに参画し、貢献することができました。小さな働きではありますが、アンドリューさんが話したように、マクロなレベルでも貢献しているということです。ガンで亡くなったジーンの話ですが、プライマリ・ヘルス・ケアがうまくいっていなかったということを認識させ、ヘルス・ケア・センターを建てるに至ったわけです。非常に質の高い環境を創造するということです。医師、外科医との間に質の高い関係ができるということです。そして公、民、NPO のセクターと一緒に仕事をするということです。患者と医師を結びつけるパートナーシップを建てるということです。そして物理的にも知的にも、一緒に話をするということ、そして全体的な形で人々のニーズにあたっていくということなのです。
さて、このチャンスは実はこの公園から出てきました。センターの建物の後ろにある公園です。ここは安全ではありませんでした。6 、7 年前に私がこのセンターに来たときに私の娘をここで遊ばせることはできま せんでした。小さなガラスの破片が散在していました。区の持ち物でしたが、特にここにリソースを傾けようという気持ちはありませんでした。地元の人々がコミュニティを作ってこの公園についていろいろ話し合 いましたが、何の変化も見られなかったのです。でもここは公的なものなのです。市民が使う手だてがなければまったくそのままであり自分たちのものと言うには至りませんでした。そこで議会は私どもにこの土地 を提供して、私たちはその土地の上にヘルスセンターを建てたのです。私たちがこの公園の管理、マネージメントをしていこうということになりました。そして少額ではありましたが、予算をつけてくれたのです。そこで私たちは他のところからも援助を受け、収入を得ることができました。これはこの議会のなかの非常に大胆な起業家精神でやっていこうとする人達が、実現に至らせたのだと思います。
 この公園では、ヘルスセンター、コミュニティ・ガーデン、そして子どもたちのプレイパーク、レクリエーションの場、そして質の高いホームを障害者のために提供することができるようになりました。
 これはコミュニティ・ガーデンです。とてもきれいです。夏も冬もきれいです。植物を栽培したり、新しいビルにはカフェもあります。外に出て運動をしてもいいのです。ホームには運動をする場所がありません から。
 こちらはヘルスセンターです。あまり普通では見られないような美しい建物です。手で造った煉瓦造りのものです。
こちらは、前のほうから見たものです。 まだ人は出てきませんでしたね。お祭りがありました。これは夏の祭りです。ミレニアムの昨年のお祭りでした。ではこれをどのようにしたかというと、人々と交流をしたということです。委員会なんてありませんでした。実際的な人の参画があったわけです。地元の人々がこの公園をデザインし、管理していったのです。これは公園の一部です。セラミックのタイルで葉っぱと魚の模様をしています。これは若い人のプロジェ クトで実行したものです。ロンドンでは若い人は新しいものができたときにはそこへ行っていたずらをしたがるのです。でも、自分で造ったとなると中心になるということです。自分に自信を持ち、公園に対して所有権を持っているということで、暴力をしたり壊したりということはなくなります。

こちらはコミュニティ・ガーデンを造っているところです。塀を造りました。でもこちらは柳です。地元の人々が柳を織りながらこのような形の塀を造りました。まだまだやらなければということで手で柳を織っ ています。非常に楽しかったようです。ひとりの女性がバスケットや家具なども編み出しました。そしてそれをビジネスにして売っています。 公園ができ、建物ができた後、人々の関与がそこで止まったわけではありません。これはヘルスセンターの内部で、おもちゃライブラリーです。地元の女性がヘルス・ネットワークを組んでいます。実際に健康を 促進する仕事をしている人々です。プロの医者や看護婦がコミュニティに行って、健康や保健についてのサービスを近隣の人々に提供するというものです。 今までのところ、皆さんに、なぜこういうふうに社会的に疎外された人々が実際的な関与をすることができたのか。ものを作り、そしてサービスを提供し、そして町を再生させることがなぜできたのかということ を見ていただきました。そしてお互いの生活を改善してきたのです。そのプロセスのなかで、自分たちも訓練を受け、熟練し、仕事を得ることができました。そして自分たちのビジネスを開始することができたわけです。それこそ町の再生です。

もちろんここでは小規模な形でやりましたので、これをもっと大きくできないか。もっと大規模な形でできないかということを考え、始めました。 再生のためのパートナーシップを3 つのNPO と協力してやりました。私達と、もう一つはアンジェラが言った住宅会社です。ポブラ・ハーカーと言います。5 千の不動産を持っているところです。三つ目はリサイ ド・リジェネレーション・リミテッド。これは再開発して、道路や運河を物理的な形でインフラを再生する団体です。
私達はもっと大規模にやりたい。そしてコミュニティ・イン・ビジネスのアプローチをしたいと思ったのです。もちろんお金が必要でした。2 千万ポンド、日本円で34億円ですから巨額です。これは政府の基金で、6年間のプログラムです。
この資金の考え方としては、私達がコミュニティのビジョンを作り出し、そして他の人々も誘致するということです。たとえば民間、そして公共に関わる人々に、私達の船に乗ってもらうということを意図したわ けです。6 年間でこれを5 倍に増やすことを意図しました。他のパートナーからも基金を集めました。もちろん他の人々が出てきました。民間、公共の協議会、市議会。民間では、たとえば空港公団とか、鉄道会社も入ってくれました。その他の企業、NPO がリストに入っています。ますますパートナーシップが拡大しています。いろいろなセクター、公共、民間、ボランティアから出ているわけです。互いにコミットメントして、この地元の疎外された人々に対して影響力を与え、そして彼らに関与するということです。ただ話すだけではありません。実行が必要なのです。

地図に戻ります。現在やっていることですが、こちらに運河があります。これは私達の地域を通っています。安全ではありません。汚くて見捨てられたところです。でもすばらしい散歩道になれるのです。住居に も、仕事場にもなれるのです。ですから開発中です。新しい鉄道駅をこの真ん中に作ろうということです。お話ししたように、大きな機会を生む埠頭がここにあります。いろいろ幹線道路がありますが、ここを渡 れないのがネックでした。これも改善しなくてはと思っています。こちらにも放置されていた公園があります。ここもまた再開発の対象になります。いくつかの非常に大規 模なエンジニアリング・プロジェクトがあるということです。私達がやりたいのは、基金を使い、これらの計画を練るということ。そしてできるだけ実行していくとい うこと。そしてサービスを、これらの関与ビジネスや企業に対して提供していくということです。

こちらは道路を交差する信号です。市議会のほうでここに新しい信号を置こうとしました。しかし残念ながら、たとえばここを横断しようとしたときに、最初に車が来て、今度横断しようとすると、その車を越え て渡らないといけないことがわかりました。この信号の難点を最初に見つけたのはアル中の人でした。彼はセンターに来ていました。子どもをベビーカーに乗せて行ったのですが、「信号を渡れないよ」と言ったのです。市議会に、私どもは言いました。これはおかしい、問題だと。でももっと大きな問題があるということで話し合いが始まりました。それでこの道路を渡るという問題についてプロジェクトを組み始めました。私 達にはこの道路を渡れるようにする資金の計画があり、実際デザインをやり直したわけです。コンサルタントと一緒にその仕事をしたチームは地元の人々でした。この大きなプロジェクトを発展させるために、私は 報酬を得ました。

そして私達の学習効果をうまく生かそうと思いました。小さなブロムリ・バイ・ボウから始まって、ロンドンの地域に拡大していきました。アンドリューさんが言ったように、同じようなことが英国のさまざまな 場所で行われているわけです。実際ブロムリ・バイ・ボウはCAN がプロジェクトをつなぐ為に設立したネットワークの一部なのです。
私達の間で普通となってきていることは、起業環境やビジネス環境、つまり起業家の興味を引く環境を提供して、私達と英国のさまざまな場所を結ぶことです。そして自分たちも民間や公共の起業家になるわけで す。また地元の自治体もNPO も起業家になることができるのです。そして最も疎外された人々のコミュニティにおいてさまざまな活動をする機会に恵まれます。地方でも全国でもまた、人々が互いに協働すること、異なったスキル、異なったアイデア、異なったリソースを持ち寄ることができます。手であろうと、頭であろうと、財布であろうと、そのリソースを共有するということです。人々を集めてビジネスライクにやると いうことが必要です。言葉だけではだめです。実践することが必要です。人が先(ピープル・ファースト)ということです。そして人々の生活を調べて、直面している問題を解決を見いだしていくという方法です。 こちらに来ることができて、本当に私はうれしく思っています。同じ気持ちを共有してくださる方々と会い、この3 日間、いろいろな人々と会話をしてきました。帰ってからも継続していきたいと思います。皆様方 にもブロムリ・バイ・ボウ・センターにも来ていただきたいです。全員同時にということではありませんが、これから少しずつ皆様方に来て頂きたいと思います。ありがとうございました。