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日英セミナー「障害者のための社会的な仕事と雇用の創出」

講演1「ソーシャルファームと障害者の雇用- 英国の経験」

マイケル・フルーデンバーグ
FEAT エンタープライズ部長

このたびはイギリス、特にスコットランドのソーシャルファームについてお話しするようお招きいただき、ありがとうございます。本日は、ソーシャルファームのビジネスでは、福祉の立場に立った経営が適しているということをテーマにお話しします。若干の問題について考慮すれば、これは大変うまくいきます。これから次のような構成でお話ししていきますが、その中でこれらの問題についていくつかご紹介していきましょう。

1. 日本でも適用できることは何か?
2. 略史
3. FEATエンタープライズ設立への影響及び同エンタープライズの現状
4. 園芸事業とグリーンチーム
5. 結論

さて、日本でも適用できることは何かを考えるとき、私は様々な価値観について考えをめぐらせます。今井正明氏が執筆した「カイゼン(改善)」の中で、彼は継続的な改善を提言しています。そして、それはトヨタ、ホンダ等の有名な会社が取り入れています。私がカイゼンについてお話しするつもりでは無いことははっきりしています。しかし、私は皆さんにソーシャルファームとカイゼンというアプローチ方法との関係について、ご紹介したいと考えております。そして、なぜ日本がソーシャルファームの開発にとって非常に可能性に満ちた場となりうるかということについて、お話したいと思います。カイゼン(改善)というアプローチ方法は、ソーシャルファームの開発者の間では最近まで知られていませんでした。両者の出発点は非常に異なっていますが、最終的なプロセスはよく似ています。両者の間に関連性が見いだせるのは、その価値観に類似性があることと、どちらもいわゆる「トラストマネージメント」を行っているということに基づいています。

ソーシャルファームの起源は、オランダ、ドイツ及びイタリアで始められた、仕事を通じてのリハビリテーションです。まず、簡単な歴史をお話ししましょう。長い間入院していた精神障害者が退院してコミュニティーに加わるということは、1950年代に始まった精神保健に関する大きな改革の一部をなしていました。同様な動きが、日本でも10年前から見られるようになったと理解しております。私の個人的な考え方は、イギリスでこの分野における先駆者であった父の影響を受けています(2000年、トーマス・ベッカー及びダグラス・ベネット)。ドイツからの難民であった父にとって、特に重要だったのは、尊厳を持ってこれらの人々を扱うということでした。これはまず彼らの話を聞くことから始められ、専用の戸棚やベッドサイドテーブル、花や本棚など、パーソナルスペースを導入することへとつながっていきました。そして、話を省略しますが、彼らは働き、給料を得るという機会を提供されるようになったのです。こうして精神障害者は歯ブラシや新聞、あるいは一杯の紅茶のような私物を持つことができるようになり、このプロセスが、彼らの自信と自己認識を高めることになったわけです。しかしこの段階では、このような人々は仕事のプロセスにかかわっている、というよりも、むしろ仕事を与えられているという状態でした。

デイセンターや福祉作業所は、障害者がコミュニティーに戻ったときに利用できる様々なサービスの一部で、職業リハビリテーションの実施に、非常に大きな影響を与えました。ソーシャルファームに関わる私たちは、このような人々をただ見捨てるわけにはいかないと感じていました。しかし、確実に就労へつながる道への経済的な支援は限られていました。私たちは更なる自立を最終的な目標として据え、このような人々の就労を促すためのもっと支援的なモデルを別に築くことを追求していきました。その際、焦点をおく必要があったのは、「どのようにして」ということ、すなわち、プロセスでした。職業リハビリテーションはもはや単なる最終的な目標にはなり得ませんでした(1997年、シェパード)。つまり、職業リハビリテーションという名目で、実際は障害者をコミュニティーの中に「置き去りにする」ということは許されなかったのです。改革を徐々に進めていくためには、そのプロセスの一部として介入していく必要があったのです。

リハビリテーションを責任持って実施するための重要な要素として、「支援の継続」があげられます。これなしでは、障害者は介護される側へと戻ってしまう傾向が高くなります。就労への道は長期間に渡り念入りに調整する必要があるのです。(知的障害者或いは学習障害者と比較した場合、)精神障害者の顕著な特徴は、常に進歩が予測できるわけではないということです。時には挫折しますが、それを失敗とは見なさず、長期的な支援を継続して受ける必要があることを強く裏付けるものとしてとらえなければなりません(1997年、シェパード)。機会は段階的に与えること。そうでない場合は危険性があります。そのため、解雇には反対するべきです。

ソーシャルファームは職業リハビリテーションの延長として出現しました。先駆者達は、職場で尊厳を持って障害者を扱うことの重要性と、仕事を通じて、社会において障害者が友人や家族と再び関わることができるという、仕事の持つ機能を認識していました。ここで話題にしているのは多種多様な小規模ビジネスです。ドイツ及びイタリアにおけるリーベンシュウェルテンなどや、イギリスのリッチモンドフェローシップ(ワークショップ)のような、ソーシャルファームの初期のモデルを開拓したのは、60年代の若き専門家達でした(ドイツのザイフリート、イタリアのバサグリオ/ロテッルリ他、イギリスのグローブその他の著書を参照)。それぞれの国で少しずつ異なってはいますが、どれにも同じくらい感動的な、独自の歴史があります。私は1990年代の初めに、初めてソーシャルファームに関わり、広くヨーロッパを旅して様々な方法について学びました。1990年代初めの成果の一つは、ソーシャルファームの活動を成功させる要素は何かをとらえようとした本(1997年、ソーシャルファームハンドブック)が出されたことでした。この本を準備する上で最も刺激的であったのは、ドイツ、イタリア及びイギリスのソーシャルファームを実際に訪問し、その活動の源を感じ取ることができたことで、それは特にリーダーシップとチームワークの相互作用によるものでした。これらのソーシャルファームの話はそれぞれ大きく異なってはいるのですが、その価値観の傾向は、カイゼン(改善)のアプローチ方法と、今井正明氏及びその他の人々が行っていることに非常によく似ています。

このような価値観がヨーロッパソーシャルファーム協会の基礎をなしています(同協会の憲章についてはhttp://www.CEFEC.deを参照)。しかしこれらのアプローチ方法は、試行錯誤を経ながら、当時日本で普及していた考え方とはかなり違った、現実に即したものへと発展していき、日本である程度賛同を得られるようになるまでには、それから10年の年月がかかりました。次の段階は、ソーシャルファームが資金を必要としているということを国に納得させることでした。障害者が就労しやすくし、税金が払えるようにし、障害者を雇用する企業を支援することによって「国家」の資金を節約することができるという実例を示したのはドイツでした(1994年、P.スタドラー及びM.サリジェヴィック)。図らずもデミング博士の原則が適用されたのも、ドイツにおいてでした。慎重な企画と、小規模なトラスト、市場志向、そしてわずかなリスクは、一般的な中小企業よりも失敗する確率が低いということを意味していました(1997年、ソーシャルファームハンドブック)。このように初期のソーシャルファームの運営を通じて、一連の中心的価値観が浮かび上がってきました。これらの価値観は、ヨーロッパソーシャルファーム協会(CEFEC)、ソーシャルファームUK、ソーシャルファームスコットランド、そして特に私たちのプロジェクトであるFEATエンタープライズの憲章に公式に記録されています。これらの憲章の文言からもおわかりになると思いますが、ヨーロッパでの動きとして始まったソーシャルファームですが、実は日本の人々と共有できる部分も大変多いのです。

ソーシャルファームの活動の大部分は、今井正明氏のカイゼン(改善)に当たる、「継続的な改良」を意識することなく始められたものです。今になって初めて、両者が関係づけられたのです。
しかし、皆さんは特にスコットランドとFEATエンタープライズ、そして園芸事業について話すよう、私を招待して下さったわけです。ですから全体像についてはあとで質問を受けるという形で戻ることにいたしましょう。私がここで申し上げたいのは、私達がファイフで最初から注目していたのは、「プロセス」であったということです。

私は1998年にFEATプロジェクトに加わりましたが、当時、植物や花の販売ビジネスを行っていた小さな協同組合であるジャムフラーの失敗から、このプロジェクトが始められたところでした。

失敗を乗り越えて、更に強くなったのは、理想と価値観に対する信念と、更にダイナミックで効果的な組織を作り、成功させようという決意でした。福祉作業所とソーシャルファームの違いは何でしょうか?作業所は、社会的に保護された環境の中で仕事を提供しますが、ソーシャルファームはそれより更に進んで、本物の(市場の相場に合った)賃金のために本物の仕事を提供するところだといえます。これらのことが、新しく会社を設立する方法に影響を及ぼしました。私たちのソーシャルファームは法律上、慈善事業団体としての地位を持つ持ち株会社(イギリスでは標準的な合法の形式である有限責任保証会社)の形式をとっていました。この会社が上部組織となって、会計及び事務的な業務や、多数の独自の非営利事業(前述のドイツのリーベンシュウェルテンやインテグラと共同事業)のような「中心的な」事業を包括していました。これはイギリスの法律では合法とされている形式です。新しい会社を設立するにあたっての困難は、福祉と商売とのバランスをとることでした。任務は、精神衛生上の問題を抱える人々や障害者に、ソーシャルファーム及び社会的企業の開発(社会的任務を備えた取引活動)を通じて、真の就労の機会を提供すること。そのためには、

■ かなりの数の障害者を市場の相場に合った賃金で雇用する。
■ 支援的な労働環境を提供する。
■ 割高なコストをカバーするため、十分な売上高を達成し、事業活動を成し遂げる。

園芸分野でビジネスを模索することが決定されましたが、これはソーシャルファームで働く人々と、ソーシャルファームのおかれていた、農村地方という場所柄に適していました。資産は、空き地と低価格で長期間借用したユースホステルでした。役員会は、2人の人物のために資金を集め始めました。1人は園芸部門を運営し、もう一人はユースホステルの建物を利用して「何か」を創出することになっていました。ここで重要だったのは、十分な資金を集め、2つの仕事の内容をまとめ、補助金を利用して2年間先に立ってビジネスを運営することに興味を持つような、経験豊かな2人の野心家を採用することでした。この作戦は功を奏しました。2人の大変優秀な人達がやってきたのです。1人は前ファイフ地方議会公園及びレクリエーション担当局長で、もう一人は卸売りビジネス会社の元取締役でした。どちらも経験豊富で非常に能力のある人達でした。私達は幸運だったといえます。それから2年間かけて、私達はこれら2つのビジネスを築き上げ、まとめ上げることができました。

そして、正式に「取引」(この言葉はビジネスが正式に始まるときに使われます!)が始められた2000年までには、2つのソーシャルファームと、40のベッドがあるユースホステル(http://www.burghlodge.co.uk/参照)、そして園芸会社ができあがったわけです。園芸会社は、種苗部門(シュガーエーカー)とグリーンチームとからなっています。こうして、事業拡大の次の段階を検討することができるようになりました。

絶え間なく続く危機ほど活力の源となるものはありません。ソーシャルファームを始めて以来常に、私達は失敗の危機に直面し続けているといえます。実際の所、スタッフはいまだに短期契約で働いています。誰かが、私達がこれまでしてきたことを考えて、今後どうしたらよいかを決めてくれればよいのですが。そうでなければ、私達は次の4月に廃業するべきかどうか、まだ決めかねているのです。おそらくは生き延びられると思われますが。2人の有能なディビジョン・マネージャー(園芸担当及びビジネス開発担当)の採用により、私達はソーシャルファームの全体像を考えることに専念できるようになりました。すべてはスタッフと役員が等しく協力しあって実現できたことで、これによって私達は徐々にFEATエンタープライズの社風を作り上げていきました。地域政府や非政府部門、民間部門及びコミュニティー出身の人々が共通の起業精神及び福祉精神を分かち合えるようまとめていくことには大きな困難が伴いました。2002年には、緊急に財政支援を得る必要性に迫られ、更に別の戦略を大きく進めることに成功しました。今回は、特に会長を採用する費用に充てるため、EUからの資金援助を求める重要な申請書を提出しました。このことで、私たちのソーシャルファームのイメージが上がり、地域で新たなプロジェクトを誘致することができました。また、財源を確保し、スタッフを固定し、更に、全員が別にフルタイムの仕事を抱えている重役達を、「実際の」経営に携わることから解放することができました。この戦略は大きな成功を収め(http://www.sedp-fife.org.uk参照)、ポーリン・ヒンチオン氏が2003年10月に会長として就任いたしました。

FEATエンタープライズ役員会
中心的な支援スタッフ(CEOに直属)  CEO  社会的企業開発組合と連携

ソーシャルファーム

(1)園芸部門
(2)バーグロッジ
(3)マットレスリサイクル

各部門にマネージャーとスタッフ及びボランティアがいる。

2004年11月現在、常勤スタッフ14名、非常勤スタッフ3名、試用期間中のスタッフ2名及びボランティア3名の、合計22名がFEAT全体で働いています。
割合は、
グリーンチーム = 4:3の割合で、給付金を受けている従業員の方が多い。
バーグロッジ  = 50:50
中心スタッフ  = 5:3の割合で、給付金を受けていない従業員の方が多い。

すべての従業員は、試用期間中の2名とボランティア及び研修生を除いて、市場相場に合った賃金を得ています。以上すべてから、私達は成功しているように思えます。

1999年のFEATエンタープライズ設立以来、すべてのFEATエンタープライズによる活動について、2004年3月31日までに仕事やボランティア活動或いは研修の機会を提供された人の数は85名です。更に詳しい数字については下の表をご覧下さい。

  有給の従業員 試用期間中・賃金援助を受けている従業員 ボランティア 実習生 障害の種類 合計
グリーンチーム 10 3 0 2 2MH
4LD
1LTH
1PD
34
バーグロッジ 25 1 6 2 1LD
6MH
15
シュガーエーカー 3 0 4 2 1A
2MH
9
中心業務 5 1 1 0 3MH 7
ファイフフェスト 4 14 2 0 15MH
1LD
20

注:LD=知的障害、MH=精神障害、LTH=長期に渡る疾病
PD=身体障害、A=自閉症 (2004年4月1日)

グリーンチームは環境維持及び造園の仕事を行っており、環境保護や造園に関する契約をとることによって経営がなりたっています。現在顧客としては、住宅組合、養護ホーム、民間企業及び少数では有りますが、個人のお宅などがあります。グリーンチームは地域に根ざしているというイメージがあり、ファイフ、テイサイド、エジンバラ、フォースバレー及び西ロジアンで活動しています。

グリーンチームには7人の正社員スタッフがおりますが、夏の間はこれに5人のスタッフが加わります。従業員の多くは精神的な障害や学習障害を抱えているか、或いはその他の理由から主流の会社で雇用されるのが難しい人々です。グリーンチームは現在商業部門、公共部門及び家庭部門の顧客を対象に活動をしています。私が特にFEATエンタープライズの園芸部門に限ることなく、その全体像をお話ししてきたのにはわけがあります。私が焦点を当てたいのは、プロセスです。つまり、FEATエンタープライズでは、従業員が、FEATエンタープライズ全体について、そのいくつものリストラの段階にスタッフと共に関わっていくことができるということです。

チームのマネージャーであるアンディー(仮名)は、(園芸家として)経験豊富な有能な人物で、ソーシャルファームを成功させるために大変貢献してくれましたし、私達も信頼しきっていました。
しかし、3年後、園芸ビジネスは未だに深刻な損失を出していました。3年から5年の間収支のバランスがとれているビジネスなら、正常であると考えられますが、園芸ビジネスはそうではありませんでした。事態は十分深刻でしたので、2002年、同僚達は私に、大きな夢を見るのはやめてこの部門を検討し直すよう求めました。それにはすべての関係者が、率直に正直な意見を交換し合うことが必要でした。そしてそのためには慎重に信頼をはぐくむことが不可欠でした。簡単にあらましをご説明しましょう。私達は最終的に、穏やかでゆったりとしたアプローチをとることで合意しました。アランと私は数回昼食を共にし、ついに数週間後、彼は再び自信を取り戻し、私にうち解けてくれました。私達はグリーンチームについて率直に、非常にオープンな話し合いを持ち、それが新たなビジネス計画、すなわち生き残り計画の基礎となりました。簡単な概要をご紹介しましょう。課題は収支が合うようにし、更に10%の黒字を計上するためにはどうしたらいいか研究することでした。

2002年には、2003年3月までの収入は111,000ポンドと見込まれていましたが、これは果たされませんでした。一方損失はおよそ20,000ポンドと見込まれていましたが、これは大きすぎる金額でした。私達には何の担保も法定準備金もありませんでした。その上、銀行融資を受けるのも難しくなってしまいました。私達はできるだけ早く収支が合うようにし、黒字を出す必要がありました。課題は、コストを削減し、収入を増やすことでした。マネージャーのアランとの経費に関する話し合いから、次の事柄を検討すべきであることが明らかになりました。

1. シナリオの強化
2. 14日間のサイクルの達成
3. 更なる補助金を得るための資金調達活動
4. シュガーエーカー及び由緒ある植物の栽培及び販売―新たに別のビジネスとして経営するか或いは廃止する!

1.シナリオの強化に焦点を当てるためにマネージャーのアランの負担を減らし、以下のことに専念できるようにします
―非常にはっきりしたのは、マネージャーがソーシャルワーカーの役割も果たすことから生じる負担を減らす必要があるということでした。
―人事の問題:(a)スタッフの比率を調整する:監督者と従業員の比率。或いは福祉サービスの利用者と利用者でない者との比率。
―(b)季節によって採用される従業員の数と正社員の数、季節によってある仕事と定期的にある仕事のバランスをとること。(これらすべてについてコストを見積もる必要があります。)
―病欠に関する規則の変更。様々な求人手段、新たな契約形態。
―移動の合理化。例えば、どの方法が儲かり、どの方法が儲からないか、など。
―収入の確保(送り状・請求書の管理)。
―賃金支払高を減らすこと。

2.グリーンチームの評判は、夏の間、14日間のサイクルを維持することにかかっています。
(ほとんどの苦情は、担当者が仕事に来ないことに関するものでした。そこで信頼性を高める必要があります。)

3.補助金を増やすことを検討します。例えば研修費に充てたりチームの人を個別に支援するために使ったりします。

4.種苗ビジネスを廃止するか、或いは損益計算書を別にした、別のビジネスとして設立します。

上記の目的を達成するために以下の解決策について検討しました。

―柔軟性のある契約
―頼りになる中心的な監督者
―比率の調整
―健常者対障害者
―時間給の引き上げ
―イメージの一新
―信頼性及び新車両導入とバンの塗装
―移動の合理化と仕事の質の低下の阻止
―ボーナスの導入
―リーダーの課題及び優先事項

成功したことは、
―このプランの誕生までに何ヶ月もの時間を費やしたこと
―柔軟性のある契約
―長期欠勤の減少
―空き時間があることで失われる労働日数が以前より減少したこと

失敗したことは、
―信頼できるスタッフを見つけること
―人事面に対する財政支援は利用できなかったこと
―比率はまだ好ましくないこと
―収支はまだ合わないこと

柔軟性のある契約は成功し、季節によって残業しなければならないことを負担に感じていたスタッフには好評でした。この制度は、会社全体で公平さが見られるようにする必要がありました。そして、すべてのFEATエンタープライズのスタッフと共に協議しなければなりませんでした。
信頼できるスタッフ、特に私たちが探していたチームリーダーとなる人を見つけるのは難しいことでした。というわけで、またもやマネージャーが火消し役を務めなければなりませんでした。つまり、マーケティングや苦情処理などに専念する代わりに、仕事場に現れないスタッフの問題を解決し、リーダーが来なければチームを率いて出かけ、余計な仕事をしなければならなかったのです。
人事部門に対する補助金も得ることができませんでした。
障害者を多く雇用しすぎていました。この問題は、経営状態が悪いときには負担となります。収支のバランスをとることについての「中心」チームとの協議は容易ではありませんでした。チームはまだ納得していません。このように、ビジネスは引き続き低迷し続けていったのです。

結局以上の問題は、会長が就任した2003年10月までには解決されませんでした。しかし少なくとも、これらの問題を再検討することにより、現在では問題を予測することができるようになりました。更に悪いことには、特に2004年6月にシーズンの開始がひどく遅れたこともあって、私たちの優秀なマネージャーが仕事のしすぎによる過労から病気になってしまったのです。しかし少なくともこの件については問題の理由がはっきりしていました。
2004年10月までの良いニュースは、グリーンチームが夏を乗り越えたということでした。グリーンチームのスタッフは疲労していましたが、定期的な2週間のサイクルは守られ、苦情が減りました。こうして士気が戻ったのです。誰もが、ビジネスが持ち直せば、当然休暇もとれるということを理解しました。これは中心チームとのきめ細かなチームワークの賜でした。

一方、新たな頼りになるチームリーダーが(1年後!)、夏の季節だけ働きに来ていたスタッフの中から採用されました。こうして2005年度のシーズンには、3人の信頼できるチームリーダーと共に、本来のビジネス計画に従い、よりよい設備を利用し、より明確な一連の達成可能な課題に向けて、財政を引き締め、本式に活動を開始することができる予定です。すべては前述の解決策に従って行われることでしょう。顧客もまた非常に理解を示してくれました。実際(あるケースでは)、顧客がもっと料金を引き上げ、契約期間を延長するよう奨めてくれましたが、この結果、2005年3月には収支のバランスがとれるようになり、翌年度(2006年度)にはささやかながら利益を挙げることができる見込みです。

私はありのままにすべてお話しすることが役立つのではないかと考えました。私がお話ししたことの多くは、普通のビジネスについての話だけではなく、前向きに向上し続けていこうという風潮を作り出す、非常に深い善意と人々の関わりあいとから生まれる特別な力についての話でもあります。今でも、無慈悲な決定を下さなければならないことはあります。とりわけ難しいのは、スタッフを導いて行くことです。これまでのところ、この件について私達は成功してきました。

うまくいった理由は、
―優れたマネージャーがグリーンチームにいたこと
―役員達が一丸となって働いたこと
―財政を引き締めたこと
―精力的でやる気のある女性会長を採用したこと

失敗した理由は、
―人事部を設立しなかったこと
―ビジネスのマネージャーがソーシャルワーカーの役目も引き受けなければならず、この危険が確認された

献身的で有能なディビジョンマネージャーにふさわしい人物を採用するために私達は努力しました。そして新しく採用したマネージャーは、3年間熱心に働いてくれました。それで、配当を支払うことができたのです。役員にとっても、心配しないですむ人物を採用することが助けになります。新マネージャーは満足の行く仕事をしてくれるものと信頼できる人物でした。役員達は、特にEメールを駆使し、それぞれがその特技を生かして一丸となって取り組みました。設立者は今なお役員を務め、引き続き基本的なシナリオを提供してくれています。2003年10月の会長就任以降、士気が高まり、スピードアップしたように思われます。新会長のリーダーシップが刺激となって、FEATエンタープライズの未来に意義と方向性が与えられました。そして、不測の事態が続いても、これまでよりもうまく対処できるようになりました。

ビジネスのマネージャーは決してソーシャルワーカーの役を引き受けるべきではありません。人事チーム/マネージャーのケースが役員会で提議され、長時間議論されました。このマネージャーはあまりに長い間この役職についていたので、ビジネスに損失を与え、私達は苦い経験をしたのです。この人は12月末に病気を理由に退職しました。私達は役員として最善を尽くし、実現の可能性があることはすべてやってみました。コンサルタントも採用しましたが、今までのところ、損失分は取り戻せていません。

これはたまたま園芸事業に携わることになった、FEATエンタープライズ内のあるソーシャルファームの概要ですが、エンタープライズの方針は他の企業のものと同じです。このモデルでは、障害のある従業員が、親会社の持ち株会社の社員にもなることができるという利点があります。そのため単独で活動している個々のソーシャルファームよりも、雇用保障が少しばかり多いわけです。従業員があちこち移動できる一方で、ソーシャルファームもできたり無くなったりするのです。より長い目で見た目的に従って、現在事業の拡大が行われており、持ち株会社のもと、10以上のソーシャルファームを設立しようとしています。

このモデルは、イタリアのトリエステ(及びその他の地域)と、ドイツ全土で既に試されてきました。リーベンシュウェルテン及びインテグラの話はよく引用されます。
(詳しくはhttp://www.faf-gmbh.de/を参照。)

イギリスでは、エジンバラのリッチモンドフェローシップワークショップとフォースセクター(及びその他)がこれにあたります。私が1998年にファイフで仕事を始めたときには、フォースセクターとリッチモンドフェローシップ(ワークショップ)は数少ないソーシャルファームの一つでした。ソーシャルファームハンドブック出版の時点で、ソーシャルファームの数は7つでした。2004年10月現在、ソーシャルファームUKは361名の会員数を誇り、ソーシャルファームの数は51,そして現在発展段階にあるソーシャルファームの数は126に上ります
(完全なリストについてはhttp://www.Socialfirms.co.uk を参照。)

1998年、ソーシャルファームUK(http://www.socialfirms.co.uk)はスコットランド(http://www.socialfirms.org.uk)を含む、地域ネットワークを設立しました。私がFEATに加わったとき、私達は独自に活動していました。この新たなネットワークにより、例えば、人事管理についてアドバイスをくれる人など、私達と共に活動し、また私達を支援できる人々が現れました。現在、私の話を裏付ける資料が入っている文書が、インターネットで簡単にダウンロードできるようになっています。

ヨーロッパ及びイギリスにおける発展で、最も際だっているのは、人々が徐々に、「質」の重要性に気づき始め、カイゼン(改善)に関連する議論に目を向け始めたということです。これについては、イギリスでは、ソーシャルファームハンドブックに書かれている以外、ゲリー・ヒギンズの著作で多く扱われています。ヒギンズの著作についてはお手元にあるプリントの資料のhttp://www.socialfirms.co.ukの下に記載されています。それだけでなく、私達は、ビジネスを始めることに関わるすべての苦労が本当に必要なのかどうかも問い始めているのです。ヒギンズの最新の論文では、ソーシャルファームをフランチャイズ方式で運営できるかどうか、そして他の場所でも同じ教訓が繰り返し得られるかどうかということがテーマとして研究されています。この例が、シェトランド石鹸会社(2004年、ヒギンズ)です。しかし、このテーマの進展についてはまたの機会にいたしましょう。

ご静聴ありがとうございました。