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第22回総合リハビリテーション研究大会
「地域におけるリハビリテーションの実践」-総合リハビリテーションを問い直す-報告書

【 分科会 3 】自立生活に向けたピア・サポートの実践:子どもにこそ、「障害」に対する肯定的なまなざしを

町田ヒューマンネットワーク
堤 愛子

 自立生活サポートの実践例から

 この分科会では、冒頭3人の発題者からの発言があり、私は、抄録に添って、以下のような実践報告を行った。
 町田ヒューマンネットワーク(以下MHNと略す)で行っている自立生活のサポートを、Aさん、Bさんの2人を例に見てみたい。

☆Aさん(女性、30代、脳性マヒ)
 母親と2人暮らしの1993年より、自立生活体験アメリカ旅行やピア・カウンセリング集中講座に参加。95年11月、自立生活体験室を1週間利用。96年5月より自立生活スタート。当初は週1回自立生活プログラムを受講する他、献立づくり、金銭管理、ピア・カウンセリングのため、週2回ピア・カウンセラーの訪問による、個別プログラムを受ける。
 3年後の現在は、スペシャルクラス(肢体不自由と知的障害を併せ持つ人向けのプログラム)に参加。その他、週1回ピア・カウンセラーが訪問し、介助料の管理を手伝ったり、ピア・カウンセリングを行ったりしている。

☆Bさん(男性、50代 脳性マヒ)
 重度障害者授産施設入所中の1994年頃より、自立生活プログラムに参加。96年に自立生活を希望するが、けがにより断念。97年より再び自立生活を希望するが、家族の同意が得られず難航。この間、コミュニケーション支援のための個別プログラムを行う。99年4月より2か月間自立生活体験室を利用し、実績を積みながら家族を説得。8月よりアパートを借りて自立生活スタート。現在自立生活プログラム「制度に強くなろう」に参加。またピア・カウンセラーがときどき訪問し、手当取得や介助体制の確立を手伝っている。

 Aさん、Bさんとも、住宅探し、改造はMHNが全面的に協力。生活費は障害基礎年金、特別障害者手当、重度心身障害者手当等、合計約18万円でまかなっている。手続きは、ピア・カウンセラーが役所に同行し援助を行う。介助はホームヘルパー制度(1日12時間)と、東京都の全身性障害者介護人派遣サービス(1日8時間)を利用。介助者はアルバイトニュースやタウンワークで募集し、ピア・カウンセラーが同席のうえ、面接、決定している。
 この2人の場合、MHNの支援サービスをフルに活用し、自立後のフォローも受けているが、利用者の力量によっては、このうちのひとつかふたつ(例、住宅探しと介助者確保のみ)の援助で自立していくケースも多い。
 発題者のひとり、丸山一郎さんより「従来からあった身体障害者相談員制度や患者会も、ピア・サポートではないか。昔と今の、どこが違うのか」という、問題提起があり、私は、「重要なのは『昔と今の違い』ではなく、『質の違い』ではないか。つまり、障害者自身が仲間の相談に応じるときに、行政の側に立つのか、障害者の側に立つのか、立つ位置の違いだと思う」と発言したが、会場の宮尾さん(障害者)からは、それに加えて「障害者の側に立って、ときには行政と戦い、社会変革をしていくのが真のピア・サポート」という、明快な発言をいただいた。私もその解釈に大賛成である。

 おとなと子どもは違う?
 前日、私のチャンピオンレポートで紹介した「私たちの権利」(自立生活センターの自立生活プログラムで使用しているもの)の中にある「自分のやりたいことを人を使ってやり、それを自分でしたことにする権利」について、参加者から、「おとなの場合は、障害がある程度固定しているからこの『権利』もあてはまるかもしれないが、子どもの場合はまだ伸びる可能性があるから、この『権利』を言ってしまうとまずいのでは」という発言があった。
 分科会には、その発言をしてくれた方も参加しており、その議論を分科会に持ち越した形で、さまざまな意見が活発に飛び交った。
 会場からは「ピア・カウンセリングと出会って、かたくなだった自分の心がほぐされていった」という体験談や、「子どもの頃、足を手の代わりに使うと『手を使いなさい』と怒られたが、ある年齢になったら、『手を使うのは限界だから、足を使うようにしなさい』と言われ、矛盾を感じた」という障害者の方からの発言、「リハビリテーションとは、可能性を追求し、選択肢を作っていくことではないか」というリハビリテーション従事者の方の発言等、さまざまな印象的な意見があった。
 それらの議論を受けて、まとめとして、私は以下のように発言をした。
「自分のやりたいことを人を使ってやり、それを自分のしたことにする権利」には、「介助者の失敗に対する責任を負う義務」も伴う。それはおとなも子どもも同じだと思う。「その人の可能性を追求し、選択肢を広げる」というリハビリテーションの意味も、おとなも子どもも同じだと思う。
 おとなと子どもに対し、あえて「違い」があるとすれば、子どもは価値観が確立していないからこそ、より慎重に向き合っていく必要がある、ということではないか。
 たとえば、手の不自由な子どもは「どこまで手が使えるか試して見ようね、ダメだったら、足を使っていいんだよ」とは言われず、「足を使うなんてお行儀が悪い」と、親や周囲の大人から言われてしまう。その中で、「手を使えないのはいけないこと」という価値観が植え付けられていく。それ以外にも、「歩けなかったら車いすを使ってもいいんだよ」ではなく「車いすなんか使うようになったら困るでしょ」、「できないことは人に頼んでもいいんだよ」ではなく「できないと、おとなになってから困るよ」と、半分おどしのように言われてしまいがちだ。「選択肢を広げる」のとは、大違いだ。
 私自身、「おとなになってもそんな歩き方していたら困るよ」と言われてきたし、言語障害のある私の友人(脳性マヒ)は、「黙っていれば、ふつうの子どもに見えるのにね」と言われて育ったという。これは、子どもにとってはものすごい抑圧ではないだろうか。そんなふうに、多くの障害者は子どもの頃、「障害、イコールよくないこと」という否定的なまなざしを受けて、障害に対するコンプレックスを植え付けられてきた。
 私たちは、ピア・カウンセリングなどを通して、そのような思いを仲間同士で聞き合い、共感しあい、心の傷をいやして、障害をもった自分たちををのままで好きになってきた。リハビリテーション関係者は、まず私たちのそういう思いに耳を傾けてほしい。
 この分科会では、障害者自身からも活発な発言がたくさんあった。障害者と専門家が、同じ土俵で意見交換できるようになったこと、そして、専門家と言われる人たちが、私たちの声や活動にきちんと注目してくれているという実感がもてたこ とが、私にとってはすごく嬉しかった。


日本障害者リハビリテーション協会
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