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1000字提言

手話を言語とする市民

坂上譲二

 主題は当然、ろう者を指している。かく言う私もろう者である。この夏にオーストリアで開催された、第12回世界ろう者会議に出席する機会を得た。その折に興味深い現象を見た。

 日本のろう者(私も含めて)は、ろう者のコミュニケーション手段である手話で、用を足しているのだ。このことで、ろう者が日本国内において、日常的なコミュニケーション伝達方法を、異国の地において実践しているに過ぎないことが分かる。つまり、ろう者としては、相手が喋る言葉がドイツ語であろうが、日本語であろうが、一切関係がないのだ。ろう者にとっては日本国内と異国はコミュニケーションの面では、条件が基本的には同じなのである。また、オーストリアにおける日本のろう者の表情の明るさは、旅行の開放感だけで出てくるようなものでは無い感じを抱いた。これは、ヨーロッパにおいて手話が、市民権を得ていることと無関係ではあるまい。

 手話を駆使する日本人のろう者が、日本において社会の異邦人であり、皮肉なことに本来異邦人となる異国の地において、その感じが希薄になることは、何と言えば良いのだろうか?ろう者の手話は言語的マイノリティであり、言い換えれば日本文化と対称して異文化として位置付けられるのではないだろうか。日本の歴史の中で異文化を受け入れる土壌が培われてこなかったことが、ろう者の文化を拒む一因となって、ろう者に対する差別が助長されてきたのだろう。ヨーロッパにおいては国が地続きであり、異文化の交流が必然的に生じていたために、異文化に対しての抵抗が希薄であっただろうと推察できる。このヨーロッパの風上が日本のろう者にとって心地良いのも無理からぬことだろう。

 近年、日本においても手話教室、手話ニュース、ろう者を題材としたドラマ等のマスメディアの影響もあり、ろう者に対する見解も良い方向に向かっている。しかしながら、依然として潜在的な差別感が残っていると感じるのは私の思い過ごしだろうか? 全ての政見放送や全てのニュース番組等に手話通訳を挿入することが何故難しいのか?また、企業に働くろう者に何故手話通訳を付けられないのか?ろう者の人権を考慮した場合、何よりも優先されなければならない事柄である。

 ろう者は障害者である前に国を構成する国民であり市民である。ろう者は手話を1言語とするマイノリティであり、1人の市民であることを社会は忘れてはならないと思う。

(さかがみじょうじ ㈱神奈川県聴覚障害者協会理事長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1995年11月号(第15巻 通巻172号)20頁