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フォーラム'95

「精神薄弱」に替わる用語の問題

小出 進


(1)なぜ、「精神薄弱」の語を替えるのか

 なぜ、「精神薄弱」を他の語に替えなければならないのか、それは、「精神薄弱」という言い方では、この障害の状態を適確に表現できないばかりか、その語に著しい差別性が感じられるようになり、その語の不快感が極度に強まったからである。「精神薄弱」であるということは、精神ないしは人格が薄弱である、ということであるから、この語には、もともと、この障害の人を蔑み、差別する語感があったのかもしれないが、時代とともに、その語の差別的語感が強まってきた。なぜ、強まったのか。それは、この障害の人たちを蔑み、差別視する社会意識、すなわち、社会の人の心が、この語に乗り移ったからである。あわせて、障害のある人たちを蔑み、差別することを許さない人権思想や社会理念が高まったからである。

 特定の人たちにかかわる語の差別的語感や不快感が、著しく強まると、その人たちの人権を傷つけることになる。今日、「精神薄弱」とされ、言われる人たちの人権を擁護するという視点から、この語の使用を止め、この語を他の語に言い替えるようになった。


(2)「精神薄弱」の語の使用経緯

 「精神薄弱」の語は、「schwachsinn」「feeble mindedness」「mental deficiency」などのドイツ語や英語に対応するものとして、古くから使われてきた。特に、第2次世界戦争後、昭和22年制定の学校教育法と児童福祉法で、「精神薄弱」の語が使用されてからは、その語は、広く、一般的に使用されるようになった。

 戦後当初は、英語の「mental retardation」に対応する語として、「精神遅滞」を使用する傾向も一時、見られたが、教育や福祉の分野では、その語は、しだいに、「精神薄弱」に替わっていった。

 昭和40年代後半ごろより、「精神薄弱」を不快語・不適切語として問題にすることが多くなった。たとえば、昭和49年、全日本特殊教育研究連盟の全国大会で、「精神薄弱教育研究全国大会」の立看板を避けた。

 昭和56年・57年、国際障害者年を契機に、不適切用語に関する法改正がなされ、「つんぼ」「おし」「盲」「不具廃疾」「不具」などの語とともに「白痴者」(火薬類取締法、放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律)については改められた。しかし、「精神薄弱」についてはふれられなかった。


(3)「精神薄弱」の語を替える動き

 日本特殊教育学会の年次大会の発表部門名が、昭和59年大会から、「精神薄弱」から「精神遅滞」に替わる。なお、同学会の会員所属部会名「精神薄弱教育部会」が、「精神遅滞教育部会」に改められたのは、平成5年である。

 全日本特殊教育研究連盟は、昭和60年、機関誌名「精神薄弱児研究」を「発達の遅れと教育」に改めた。

 日本精神薄弱研究協会は、平成4年、名称を「日本発達障害学会」と改めた。同年、国際精神薄弱研究協会は、理事会で、団体名中の「Mental Deficiency」を「Intellectual Disability」に替えることを決めた。

 いわゆる関係4団体(日本精神薄弱者愛護協会、全日本特殊教育研究連盟、全日本手をつなぐ育成会、日本発達障害学会)で構成される日本精神薄弱者福祉連盟は、平成2年から平成5年までの3年間、「精神薄弱」に替わる用語について検討し、次の結論をまとめた。

 ①症候名としては「精神遅滞」を用いる。
 ②身体障害等と並ぶ障害区分としては、「知的障害」に位置づける。

 以上の結論については、「精神遅滞」と「知的障害」の2つの語が提示されたかのように理解されたり、「精神遅滞」には新しい用語というイメージがなかったりしたこともあって、関係者が共通に受け止め、使用することが難しかった。

 しかし、関係団体は、「精神薄弱」の語の使用を避けるということでは協調し、それぞれの団体名の改称に着手するようになった。ただし、法人名の中の「精神薄弱」を他の語に替えることについては、現在、厚生省の認可が得られにくい状況がある。

 一方、新聞、テレビなどマスコミ関係では、「精神薄弱」の語を避け、替わりに「知的障害」等を多く用いるようになり、特に親の会関係者は、それに同調する傾向が見られた。


(4)厚生省の研究班での検討

 「精神薄弱」に替わる用語として何を用いるかは、法律でどういう語を採用するかによって決定づけられる。厚生省は、研究班(分担研究者小出進)を設け、平成5年末から平成7年にかけて、「精神薄弱」に替わる用語についての検討を行なった。

 平成7年7月、検討結果をまとめ、公表したが、「討論を経ての結論」を次のように示している。

「精神薄弱」に替わる用語について、その基本概念を変えないことを前提に、討論を重ねてきたが、その結論を次の5項目にまとめた。

①「精神薄弱」に替わる用語を「知的発達障害」または、それを簡略化して「知的障害」とする。
②「精神薄弱児・者」については、「知的発達に障害のある人」または、それを簡略化して、「知的障害のある人」とする。
③一般に、「知的障害」には、発達期(ほぼ18歳まで)に起こる知的障害のみではなく、発達期を過ぎての頭部損傷による知的障害、アルツハイマー病による知的障害などが含まれるが、「知的発達障害」を簡略化して「知的障害」とする場合は、発達期に発生する知的障害に限られる。
④「知的発達障害」を中心に、それと密接に関連し、類似の対応を必要とする自閉症、脳性マヒなどを含めて「発達障害」とする。
⑤現行法の「精神薄弱」の語を改める場合、それと同じ概念の語、たとえば「知的発達障害」を選択することもあれば、それより広い概念の語、たとえば「発達障害」を用いることもある。

 (付)なお、「知的発達障害」または「知的障害」が、法律で用いる語として適当かどうかを含めて、用語を変更した時の問題点については、時間的制約もあり、本研究会としては結論を得るに至らなかったので、さらに検討を必要とする。


(5)なぜ「知的発達障害」「知的障害」か

 研究協力者から、当初、提示された用語は11語に及んだ。その中から、より適切な語を選び出すにあたって、まず、問題にしたことは、「―障害」という言い方をしてもよいかどうかであった。「障害」という語自体、不適切語・不快語であるという指摘もあるが、「精神薄弱」の状態を適確に表現し、身体障害等と同列に位置づけ、行政的サービスの必要性を明確にするには、「―障害」と言わざるを得ない、ということになった。

 次に、「―障害」か「―遅滞」かを問題にした。「遅滞」のほうが、語感がやわらかく、障害の状態の回復の可能性が感じられるが、行政的サービスの必要性を表現するには曖昧であり、また、発達期を過ぎては使いにくい、という問題点が指摘された。

 次いで、「知的―」か「精神―」かを問題にしたが、「精神」には、「知的」以上に、人格的もしくは道徳的価値とかかわる語感があって、それに否定的語が付くと、不快感が強まるということで、「精神」を退けた。障害の状態を適確に表現する上でも「知的」のほうがよい、と結論した。

 さらに、「知的―」か「知能―」かを問題にした。「知能」のほうが概念が明確であるけれども、それに「障害」を付けると、語感がきつい。また、「知的」のほうが、概念はいくぶん広く、障害の状態を適確に表現するので、「知的」のほうがよい、と結論づけた。

 以上のような検討を経て、最近、よく使われつつある「知的障害」は、「精神薄弱」に替わる用語になり得るかどうかを問題にした。「知的障害」を文字通り解釈すれば、発達期を過ぎてからの知的障害が含まれることになるので、発達期に起こった障害であることを明確に表現するために、厳密には、「知的発達障害」と言うことにした。

 障害の状態を適確に表現する語であること、不快感が比較的弱い語であること、行政的サービスを受ける上で不利にならない語であること、などの点を考慮して、「知的発達障害」(または「知的障害」)を、「精神薄弱」に替わる用語と決めるにいたった。

(こいですすむ 千葉大学教授)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1995年12月号(第15巻 通巻173号) 34頁~37頁