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特集/新しい成年後見制度に向けて

成年後見制度  

田山 輝明

はじめに

 最近、成年後見制度がしばしば論じられるようになった背景には、高齢化社会の到来と障害者の人権擁護の思想の強化があると思われるが、なぜ「成年」後見というのであろうか。日本の法制度では、満20歳に満たない者(未成年者)は誕生後当然に親権者または後見人によって保護されているが、成年に達するとその日から法定の保護者は当然いなくなる。知的障害者についても同様であり、保護者が必要であれば、禁治産宣告を受けて後見人を選任してもらう等の手続きが必要になる。このような後見制度を未成年者のための後見制度と区別して成年後見と呼んでいた。ところが高齢化社会を迎え痴呆症の老人が増加し、また知的障害者も成年に達した後に社会的活動を行うことが多くなると、成年者に対する時代に合致した後見制度が必要とされるようになった。しかし現在のところ、成年後見という古い言葉のままで新しい内容を表現していると考えてよい。

成年者と「後見」概念

 禁治産宣告等の制度は、意思能力(意思表示に必要な精神的判断能力)の不十分な人の利益を守るためにその法律行為能力(契約等を完全に有効になしうる資格)を奪いまたは制限するものである。人の行為能力を奪いまたは制限するので、それを補うために後見人や保佐人が必ず付されることになっている。しかし、最近ドイツ等において行われた民法等の改正をみると、意思能力の不十分な人を守るという点では共通しているが、その守り方が大きく変化してきている。特に、ドイツでは本人を守るためにその法律行為能力を奪う方法を廃止している。つまり、本人の行為能力をそのままにして、本人の法律生活を守る人(世話人)を選任する方法がとられている(各国の法制度については、野田愛子編『新しい成年後見制度をめざして』痴呆性高齢者・精神薄弱者権利擁護センター発行を参照)。

 日本民法の後見人の権限は身上監護と財産管理を含んでいる。しかし最近用いられている「成年後見制度」は、もう少し広い概念である。すなわち、成年者であって生活上何らかの援助を必要としている人(精神面での障害を有する人と身体的な障害を有する人を含む)に必要な援助を与えるシステムである。その意味では、日本民法の準禁治産制度も広義の「成年後見」に含めて理解することも許される。また、身体的障害者を知的障害者と同じ法律で保護の対象としているドイツの世話法のような例もある。

世話法の基本原則

 現在、欧米やカナダ、オーストラリアなどで新しい立法がなされているが、そこで共通に見られる原則を紹介しておこう。

(1) 本人の意思の尊重

 このような思想は、日本民法においては、ほとんどないといってよい。親族等の一定の範囲の者や公益代表としての検察官が本人の利益を配慮し、保護してあげるという思想が根底にあるからである。成年後見制度が周辺の人々の財産的利益のためではなく、本人自身のための制度であることを考えるなら、既存の制度もこのような観点から再検討をしてみる必要がある〔「ドイツの世話法」(25~28頁)の項参照〕。

(2) 補充性の原則

 すでに法定代理人が存在する場合や自己の意思に基づいた代理人が存在する場合には、裁判所は原則として世話人を任命しないという原則である。近代市民社会では、私的自治の原則が支配する領域に対しては、国家は原則として干渉すべきではない。したがって、公的後見は控えめに登場すべきであり、利用される場合にも、市民社会と国家との右のような基本的関係を崩すことのないように注意すべきである。このような意味で、国家が授与する保護者の権限も必要最小限度のものに限るべきである。

(3) 必要性の原則

 現行民法によれば、宣告手続は申請権者の申請がなければ開始されない。必要があれば、本人や利害関係人が申請することになっている。その限りでは形式的に必要性の原則を充足している。しかし、この原則は実質的に理解されるべきものであるから、実際には申請がなされないために真の必要性が充足されない場合が生じる。

新しい成年後見制度では、本人のための制度であり、親族や関係者のための制度ではない、という点を大前提として、①保護の享受における必要性の原則と、②保護の実現における必要性の原則とが承認されるべきである。前者は、申請権者を本人に限定し、かつ職権主義(裁判所による手続開始の制度)を導入することによって実現すべきであり、後者は、本人が必要としているものをその限りで与えるという形で実現されるべきである。

(4) 個人的世話

 後見人は身上監護と財産管理を行うことになっているから、被後見人は個人的な世話を受けられるのが制度上の原則である。施設入所者は、身上監護は施設において受けており、不動産等の財産の管理が必要になった場合にのみ、後見人の選任が実際に問題となる。在宅の場合には、個人的な世話をする者が日常の買い物をするための代理権を有していないという点(委任契約で説明できる場合はよい)などが問題である。

老齢配慮「遺言」

 遺言は、本人が死亡したときに効力を生ずるものであり、契約ではないが、本人が痴呆になったときに効力を生ずるような「遺言」類似の契約の締結は可能であろうか。遺言と同形式の方法を利用することは無理であるが、日本の民法では、委任者が意思能力を喪失しても委任契約は失効しないので、現行法上も可能であると考えられる。したがって、われわれは、意思能力を有しているうちに誰か信頼できる人との間で、自分の老後の財産の処分や世話に関する契約を締結しておくことができる。しかし、そもそも痴呆となったかどうかを誰がどのようにして判定するのか、といった問題が残されている。

(たやまてるあき 早稲田大学法学部)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年11月号(第16巻 通巻184号) 8頁~10頁