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ワールド・ナウ

ネパール

ヒマラヤの山々に囲まれた町で

―精神遅滞児への発達支援を通して―

山内信重

はじめに

 私は、1993年からインドネシアにおけるCBR(Community-Based Rehabilitation)や途上国に住む障害をもつ子どもたちに対して、教育・療育の立場から携わってきました。今回は、ネパール王国のカトマンズにおいて、市内に住む精神遅滞児への発達支援について検討を行い、2、3の知見を得ましたので、調査の概要と併せて、町の様子や子どもたちの状況などもご紹介したいと思います。

カトマンズという町

 カトマンズは、美しいヒマラヤの山々に囲まれた町です。山が大好きな私にとっては、幼い頃からの憧れの町でした。飛行機はその地形のため、ほんの数分で5000メートルほどを急降下して小さなカトマンズ空港に着陸します。そこは、なんとのどかな空港なのでしょう。インドネシアやケニアの空港とどこか似たような光景に、思わず懐かしさを感じてしまいます。
 市内中心部には、チベット仏教の寺院が点在しています。陸路で訪れる人たちが峠越えを終えて、豊かに肥えたカトマンズ盆地を眼下に見下ろしたとき、人間の感覚をフル活動させても受け止めることのできないほどの神秘的な力を感じると言われています。
 このカトマンズという町は、ネパール王国の首都です。ネパールは、地図で見るとおわかりのように、国の南側をインド、北側を中国と、2つの巨大国に挟まれています。緯度は香港と同じくらいで、わりと南に位置しています。ネパールの全人口は、約1900万人。そのうちカトマンズ盆地に住む人々は、およそ140万人と言われています。標高は1400メートルぐらいで、ちょうど北アルプスの上高地あたりと同じになります。山里の閑散とした町のように思われがちですが、市の中心部では、たくさんのバイクや車が狭い道を猛烈なスピードで走っており、他のアジア諸国の首都と交通事情はあまり変わりません。物価は、アジアの平均値よりは安く、コーラが20円、1食200円あれば豪華な食事ができるほどです。

子どもたちを取り巻く環境

 日本では、めっきり子どもたちの遊ぶ姿を見なくなりましたが、ネパールでは、「お子さま天国」が健在です。カトマンズや周辺の町では、朝から遊び声が町中をかけめぐり、子どもたちと赤土の埃がまるで鬼ごっこをしているようです。何ともほのぼのとした光景を見ることができます。とても人懐っこくて、本当に素直な子どもたちです。しかし、依然として高い乳幼児死亡率、予防接種率の低さなど、子どもたちを取り巻く保健衛生面での劣悪な環境は、事実として受け止めなければなりません。
 また、子どもたちの教育水準が低いことも、改善を行うべき問題ではないでしょうか。小学校就学率は男子が80%、女子が41%ですが、最終学年まで在籍できるのは、就学時の約半数です。この数値が半減する理由は、ほとんどの子どもたちは、たいてい10歳ぐらいになると農作物や自家製の食べ物などを売り歩き、家計を助けるために働くことが大きく影響しているようです。国際機関や政府は、就学率を上げるために児童の労働を制限するよう勧告していますが、現実は難しいようです。私も、11歳の男の子が自家製のおまんじゅうを売り歩いている家庭を訪問しましたが、生活費の大部分を稼いでいるその子どもと両親に対して、「仕事をしないで学校に行きなさい」とは、とても言えませんでした。

精神遅滞児への発達支援の検討

 今回、私はカトマンズ市内のバグ・バザール地区に居住する精神遅滞児への発達支援の方策を検討するために、精神遅滞をもつ6歳11か月の男の子と、その子を取り巻く環境について調査を行いました。
 社会性や身辺自立等の各発達領域に関しては、両親や親類、知人などとの面接を行いながら、標準化された評価法などを用いて現況の把握に努めました。また、居住地区における周辺状況の調査も実施しました。
 この男の子は、朝7時頃起床して夜9時の就寝時間まで、ほとんどを家の中で過ごします。両親が外出する時は、よく一緒に出かけます。ネパールには、精神遅滞児の養護学校がありませんので、就学はしていませんが、国内のNGOが週に1回開講している精神遅滞児のための小さな療育指導教室には通っています。
 現況を明らかにした上で、両親に子どもと接する上での基本的な留意事項を提示しました。①たくさんほめる、②たくさんしゃべる、③本児にかかわる行動を言語化する、④身辺処理を自分で行わせる、以上の4項目を絵図入りで説明しました。そして、「道路の段差を1人で上り下りする」という運動面の指導から開始しました。これは、成果の確認が簡単で、両親も自らの指導に対して自信をもつことができるからです。
 私は、今回、調査にあたってみて、この男の子に限らず、後発途上国の精神遅滞児に対する発達支援は、日本で行われているような発達相談室等の場面を設定した中で、経済的に負担のかかる指導を行うのではなく、西洋の理論は取り入れるが、現地の風土習慣に合わせ、かつ日常生活場面の中で、簡易に実施できる方法を考案することが重要だと思いました。
 また、以下の点についても注意深く留意することとしました。第一に、専門家にサービスの提供を求めることは、人材不足の現状から考えれば不可能である、という点です。そこで、両親や親類、知人らを中心に発達支援を行ってもらうことになりますが、毎日の多忙な生活の中で、いかにして両親らに負担をかけずに継続可能な方策を検討するかがポイントとなります。
 また、ネパール等の後発途上国を含めた各国の首都及びその周辺であれば、一般に広く普及している発達支援の方法など、世界共通の情報が国際機関やNGOを経由して入手可能な状況にあることが明らかになっています。ですから、各国間での精神遅滞児をはじめとした障害をもつ子どもたちに対する発達支援の相違について原因を求めるとすれば、それは、子どもたちを取り巻く環境の違いに起因するとも考えられるのではないでしょうか。ユニセフ(UNICEF)では、小児保健学の立場から同様の分析を行っており、公衆衛生学的な取り組みにより、子どもを取り巻く環境を整備することが望ましいと報告しています。

おわりに

 今後、カトマンズ市内に住む精神遅滞をもつ子どもたちに対して、発達支援の方法を綿密に計画するとともに、子どもたちを取り巻く環境についても客観的に分析を行って、公衆衛生学的手法を用いて環境整備を行うことが急務であると痛感しました。
 ネパールに限らずそれぞれの国や地域には、独自の風土習慣があり、言語の違いはもとより、文化や生活形態まで異なるのは周知の通りです。そのような国や地域に対して、いわゆる先進国で行われている方法をそのまま技術移転しただけの援助では危険なのですが、未だにこのような方法で実施している援助分野があることも事実です。
 このような中で、障害をもつ、もたないに関係なく、子どもの領域に限ってのみ言及することができるのであれば、次のようなことが言えると思います。すべての子どもたちには、自分の住む国や地域で生活するために必要な、自らの判断で物事を行うことができる能力を身につける権利がある。つまり「自己判断能力の獲得に対する教育」を受ける権利があるということです。例えば、中南米地域ではいまだに銃を触ってみたいといった単純な動機のみでゲリラ活動に参加する少年たちが多く存在します。アジアの国々では、幼児売買が日常的に行われており、もちろんこの問題は仲介者である大人の責任によるところが大きいのですが、子ども自身から「NO」といえる人間になってほしいと思います。
 将来、すべての子どもたちが、その国の状況に適した環境の中で明るく、楽しく、元気よく育つことができるように、具体的かつ綿密な方法によって子どもを取り巻く環境の改善を行う必要があります。机上の空論を掲げて済まされた時代はもう終わりを告げたのではないでしょうか。

(やまうちのぶしげ 日本障害者リハビリテーション協会)

ヒマラヤの山々に囲まれた町で(2)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年8月号(第17巻 通巻193号)70頁~73頁