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特集/施設は今―地域施設最前線―

施設からの流れづくりと共に

―よるべ沼代の取り組み―

星野泰啓

 「よるべ沼代」(昨年4月「沼代園」から名称変更)は、神奈川県小田原市の北東端の小高い丘陵に開設されて12年が経過した。
 現在、知的障害をもつ人たち、18歳から78歳までの50人の入所、15人の通所定員をもち、その施設機能が利用者にとって具体的で有効なものとなることをめざして、社会に出っ張ったいくつかの活動を合わせもって成り立っている。
 施設の活動が、社会に常につながっていくための場として、JR二宮駅前に小さな常設店舗「ぽいんと・1」(1988年開店)は、自主生産品の野菜、有精卵、木工品、陶芸品、そして県内外の施設や作業所製品等を販売。施設利用者1人が1週間ごとに交替し、パートさんと一緒に店員を勤める。
 同じ二宮町国道沿いに、独立採算で運営するシルク印刷工場「SP企画」(1991年開設)は、施設を退所した社員3人、施設利用者8人が実習として就労。
 隣接する大井町の特別養護老人ホームで、洗濯業務の請負い仕事の場(1988年開始)は、退所した3人がグループホームから、1人は家庭から通っての就労。
 施設からの出口として、また在宅の人たちの受けとめの場として、グループホームが4か所(計16人の利用者)。
 グループホーム利用者や、一人暮らしに移った人たち(計約20人)への社会生活のバックアップ、そして就労や実習で企業等で働く人たち(約35人)への就労援助、さらに次をめざしての職場開拓を担う社会生活支援センター「ワーク二宮」(1994年開始)の活動等を行っている。

施設からの流れづくりと共に

 利用者一人ひとりの目標づくりと確かめの場を通して、ほとんどの人たちが「街で働き、暮らしたい」と表現する。それを受けとめて、私たちはいつも彼らに「ガンバレ! ガンバレ!」と言い続ける。
 何を、どう頑張ればよいのか。
 頑張ったらどうなるのか。
 我々は、彼らにとって「ガンバレ!」の根拠がわかりやすく、実際に目標が見え、具体的な進展となる道筋づくりを、利用者の思いやそれに向かっての活動を重ねながら進めてきた。
 道筋づくりは、施設からの流れづくりとなり、社会と連動した活動の広がりとなってきたのである。
 しかし一方、流れづくりに伴って、さまざまな課題も抱え、壁にぶつかり続けている。

実践上の課題に向かって

① やたらと何でも頼り続ける甘えの姿勢

 初めにホーム生活に移っていった人たちの様子から感じたのだが、「考えてみる」「選んでみる」「失敗したらまた考えてみる」という力の獲得が弱く、初めから職員に頼ってくる。どうして彼らはそんな生活力や姿勢になってしまったのか? それまで暮らしていた施設生活はどうなのか? …と状況の見極めをするところから始めた(開設4年目の頃)。
 そのために、1人の職員が1週間、彼らと寝食、作業、24時間生活を共にする入所体験を行った。
 体験後、その職員から「自分の場がもてない。暮らしの実感がもてない。こんな生活は私は嫌だ」という感想と批判の報告を受けた。それを受けて、まずは職員側でプロジェクトチームをつくり、改善に向かっての議論が始まった。
 施設の集団体制、利用者に対する職員数や勤務時間という制限により“やってあげる体制”になってしまってはいないか(そのほうが、面倒くさくなく、失敗も少なく楽なのだ)。指導計画と称して、職員がすべてを決め、“指導”の名の下で朝から晩まで決まった生活、考えなくても1日が過ぎていく毎日になってしまっているのでは。そんな毎日に慣らされ続ければ、意欲は欠落し、新たなチャレンジなど面倒なことになってしまうのは当然。
 彼らの、何でも頼る姿勢は、“決められたことに従わされ続ける生活の連続から生まれていた”と考えが一致し、そこからどう脱却するかについて何度となく真剣な討論が続いた。
 いつの間にか「やってあげる職員の側」「やってもらう利用者の側」という構造を、疑問ももたずに続けてきた施設生活を排除し、「ここでの生活は利用者自身のもの、利用者が考え、失敗の体験も大切にしたやり直しの機会をもち、自分たちでつくりあげていく場」に転換していくことを確かめる一歩として「指導」を「援助」とする意識変革を行う等、基本からの改革を図ることになった。そして「自分の人生、自分で考え、自分でつくる」というスローガンにつなげていくために、できるだけ暮らしの実感がもてる環境や道筋づくりとなる行動を積み重ねてきた。
 たとえば、年間計画、行事、余暇活動、日常生活等の計画づくりから利用者と共に行う。そして実際に必要となるルールを利用者自身で考えあい、話しあう場を日常的にもつ。
 また、一人ひとりのさまざまな意識や意欲を高め、目標づくりとその確かめのための個別カンファレンスと必要となる援助提供の工夫、アセスメントに向かう取り組みを行っている。

② 基礎的なソーシャルスキルが身についていない

 社会的つきあいが欠落した施設、管理された画一的な集団生活の中でソーシャルスキルを得ようとしても困難である。本来、その学習やトレーニングは、それを必要とする場や関係性の中で、成功や失敗の実感と評価を伴って行われるべきものであろう。
 人はさまざまな活動を通して人と出会い、存在感が生まれ、その関係性によって学習し、自己実現につながっていくものだと気づき、“仕事”の場面でも試みを行い、そこで生まれた大きな成果により、社会の中での動きにつながる力となった。
 1990年、ある企業の協力を得て、利用者、職員全員が、1週間ごとのチームを組んで企業で働く機会をもった。実際の働く場として企業は何を求め、施設で準備すべきものは何なのか、援助者としての職員の役割とは、を考えた。施設内で訓練と称し、先につながる見通しももたない滞ったプログラムでは意欲も生まれず、ソーシャルスキルの必要性もなくなってしまうことをここでも実感した。

政策上の課題に向かって

① 多くの保護者がもつ“安心と安全の願い”との根底でのギャップ

 「やっと施設に入れて安心できた。今さらまた、就職とかホームとか言わず施設において…、親亡き後が不安」と言われ続けている。グループホームも含めた地域社会の受け皿が、誰もが安心できるような広がりと仕組みになっていない現実がある。
 居住、日中活動、経済保障、高齢化対応、家族支援、人権擁護、施設の機能化、各々の支えの仕組みと場の用意を、地域社会の中でしっかりとつくりあげていかなくてはいけないと本当に思う。本人を中心にして、その傍らにいる人も安心できる社会生活の基盤となる自立生活支援システムづくりに向かわなくてはならない。

② 新しい、時代に合った自立観の確立

 保護者にしてみれば、民法の「扶養義務」という構造で障害者が存在する限り、扶養義務者として負担を荷せられる。
 そして、障害当事者にしてみれば、いつまでも扶養・保護を受ける側から抜けられない。
 これまで長い間、社会での“支え”の不足を家族に荷してきた私的(家族的)扶養義務という考えは、障害をもつ人自身の自立、そして社会通念としての自立観の進化を阻害する大きな要因となっていると感ずる。
 家族、親子のあり方、価値観、社会的構造等の大きな変化の時代、そして高齢者介護が社会的課題となり介護保険制度が生まれようとする実態に見られるように、“社会的扶養義務”の考えを据え、新しい自立観に基づいた地域福祉の確立を図らなくてはならない。

(ほしのやすひろ 社会福祉法人よるべ会よるべ沼代)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年9月号(第17巻 通巻194号)19頁~21頁