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文学にみる障害者像

箙田鶴子著『神への告発』

―ある自画像―

加藤勝彦

 この小説風に綴られた手記の時代背景は、昭和18年から47年まで、主人公「私」の9歳から37歳までであるが、終始一貫して「私」の心中を覗き込むことと、「私」を取り巻く者たちとの確執に作者は全精力を費やして社会への関心事には希薄であるが、「私」の置かれた境遇からは当然なことであった。
 「香月理恵」と名乗る「私」の父は代々学者の血を継ぎ、彼も物理学者である。母も会津藩士白虎隊生き残りの祖をもち男爵を誇る家柄の人であり、東京帝国大学総長を一族から輩出し、彼女の父も物理学者である。また、東京都知事を務めた「私」の叔父も母方の人である。かくなる名門の家柄の次女(姉が1人いる)として「私」は生まれたが、「脳性小児マヒ」で、硬直性四肢マヒ、発声不明瞭、歩行不能、治療法なしといった最重度の身体的障害を負ってのスタートとなった。本文中での「私」が発する言葉の端々から推測して、かつては女中たちにかしずかれて、何不自由なく深窓で育つはずであった。
 「私」の運命を狂わせ、突き落とされた奈落の底を独り呻吟し這いずり回らなければならなくなったのは、「何もできなくとも心さえ美しければいい。お前の姿が醜いと嗤う者がいたらそれは嗤う方が間違っているのだ」といつも言い聞かせてくれた、唯一の理解者だった父の死からである。母が虚栄のため、人目に付くのを恐れて就学も許さなかった「私」に、積み木で字を教えてくれ、教科書まで揃えてくれたのは父であった。故にこの先本を読みあさることや詩や短歌を作ること、絵心もあって僅かに利く足指に絵筆を挟んで自立への道を辿る素地を培ってくれたのである。
 昭和18年、父の死とともに香月家は崩壊していく。もともと両親は性格が合わず諍が絶えなかった。父は美男で謹厳実直、美貌の母は気位が高く自由奔放な性格であった。この父母の確執が「私」の性格形成に必然的に影を落とすが、どう読んでも父の恩恵は忘れられ、母の性格ばかりが濃厚に現れている。そして父の臨終において、
 「終りであった…。身を倒し、父の布団に顔を埋め、母も姉も哭いていた。わけても泣き声の大きかったのは、私であった。だが、告白せねばならないであろうか。それほどの声を出すまでの悲しみを9歳の童女が感ずるはずがなかった。おどろきの方が私には強かったのだ。(略)すでに女学生であった姉が、母の方に味方し、『いっそ死んでくれたらと…』とひそかに父のことを云う言葉に従いて、いつの間にか同じように、父の死を希っていた私の、思いもかけず望み通りになった、おどろきであった。泣かなければ、親不孝だと私は考えた。否、それは父への感情ではなく、倒れ哭く母への追従じみた心だった」
 といった具合に、これから先「私」が直面するすべてのことに、かくのごとく自他の心や立場を分析しないではいられない性格を「私」はもつ。それは相手を切って、返す刀で己をも傷付けずにはおかないものであろうが、あまりにも自意識過剰な自己防衛的にも取れるし、しばしば己の理性を矜持して自己陶酔に陥っているとも読み手には受け取れる。
 父の死後、母は美貌を武器に父の教え子たちを弄ぶのを至上の楽しみにし出した。彼らの中には母同様「御所人形」のように容姿端麗な姉を目当てにくる者もいた。「私」は一室に入れられ、やがて彼らが来る頃になると母の言い付けどおり自ら隠れるようになっていた。誠に素直であり、まだ「不具」という醜さに気付いていなかった(しかし生前の父から不具の醜さは言われていたはずであり、真にそれに気付くのは、学生にいきなりふすまを開けられた時からである)。母は「私」を「化け物」呼ばわりして完全に親の役目を放棄しているが、馬鹿正直な愛らしい人だったと言い、「私」を隔離したのも、その醜さと恥ずかしさ故に他人には秘めておきたかったのだ、と彼女を擁護している。後に絶縁される姉にも同様な気持ちをもっている。
 戦争終結直後、母は「私」のお気に入りの女中1人を残して、姉と姉の婚約者の3人で旅行に出て5か月間家を留守にする。ここからが凄まじい。母たちの姿が見えなくなった途端、女中の態度が一変した。何を言っても取り合ってくれず、なおも頼むと髪を掴んで引き摺りまわされ、果ては家に寄り付かなくなった。何しろ「私」は衣服の着脱は無論、排泄も食事も何ひとつ一人ではできなかったのである。
 まず排泄、没落したとはいえ母の虚栄心の大きな借家。便所まで廊下を50メートルも行かなければならない。座敷しか這ったことのない「私」である。2日目に尻と膝の皮肉が破れて、その上屡々の失禁ですぐに化膿してしまい、半月も経たないうちに「片膝全体に傷口が開き、ぺろりと口開けた肉の間から、白い骨が見える」ようになった。今度は仰向いて「後頭部と背と尻と踵」で躙り寄って行った。衣服は破れ、パンティは脱いだまま。尿まみれになり、何も口にする物もなく、心は放心状態。しかし、星の美しい夜は「不思議に透明な心」で夜空を見上げることができたし、置き去りにされた世界は暗くも恐ろしくもなく、かえって親しい友に思えた。女中はたまに戻ってきて、メリケン粉に塩の汁を作って行った。
 母は「私」を死なそうとして食費を置いて行かなかったのだった。汁に浮いた団子を生まれて初めて犬食いし、髪にも体にも下賎の象徴と思っている「しらみ」が湧いた。
 やがて3人が帰ってきた。義兄は「私」が生きているのを見て、奇形児は早く死ぬと医者が言ったので姉と結婚したのだ、約束が違うではないかと、「私」の体に煙草の火を押し付けたり、素裸にして雪のベランダに放り出したりといった、悉くに理不尽な難癖を付けて残虐の限りを尽くす。母ももっとやってくれと言う。姉はいくらか庇ってくれた。ここに至っても、「私」の奇形だけならともかく失禁はするし、そのくせ「瞳だけは真直に光る」義妹に忌まわしさと敵意じみた感情が湧き上がって、私のすべてが気に障るようになったのだ、と義兄の心を忖度して断言している。そして彼に抱かれて体を洗われ、しらみの頭を丸坊主にされてしまう。
 この時になって「私」は少女(女)の自覚が芽生えた。だが、彼も母も「私」を精薄児だとして上着を羽織らせるだけで、腰から下は何も穿かせてくれなかった。姉は一切を承知しているのに、「私」が狂人の真似をしているのだと思うようになった。そしてすべて目隠しした一室に入れられ、洗わぬ食器に残飯を1日1回差し入れられる徹底ぶりにも「人間不信を通り越し、一種、おどろきの感情の方が強かった」と「私」は言う。犬猫以下の扱いであり、家族ぐるみの虐待である。しかも「私」の体は娘へと変身する。
 醜さ故に五体満足な同性以上に「私」は美しさ(つまりは容姿端麗な母と姉の)と異性への憧れが強かった。が、現実は幻想にすぎず、自分では意図しないのに最愛の母の幸せを蔑ろにしていると思い、またそのことを他者から責められるどうしようもない「私」を見出して、この世に在らざる者として自殺を図るが、悉く未遂に終わってしまう。そして母の死に遭うが、骨壺も抱かせてもらえなかった。やがて義兄も急死した。餓死させようとした母にも、暴虐の限りを尽くした義兄にも「私」は恨みごとの1つも言っていない。果たして本当だろうか。
 かくして「私」は県立の教護施設に入れられて10年間を過ごす。成人女子だけの寮で、排便するにも遮蔽物もなく、全くプライバシーのない世界である。寮生のほとんどが重度の精神障害、知的障害の重複者で、正常な判断ができる者は「私」を入れて数人しかいない。無論、人間並処遇など絶無である。「私」は彼ら(となぜか同性を呼んでいる)を看て、自分も含めた「在らざる人間」を造りたもうた神を呪詛し、告発せずにはいられなかった。また彼らは性本能を剥き出しにしていた。ここでも「私」は「真直に光る瞳」でつぶさに管理者やボランティアたちの偽善欺瞞を暴いていき、寮生たちの面倒も看るようになる。
 しかし、彼らを理解し同情もするが、やはり「私」は彼らとは異なった存在であるという意識が行間から読み取れる。同性を「彼ら」と呼んでいるのもその表れであろうし、施設側の非人間的扱いにもほとんど抗議らしい抗議もしていない。
 代わりに「私」の目も異性を求め、長い間抑制してきた性を「小平」という男に開放して寮を出て、外国資本の身障絵画団体の奨学生となって絵の個展に漕ぎつける。しかしまた、画廊主から会場の経費のことで「いざりの小娘」と言われて自尊心を傷付けられ、尽力してくれた人たちのお為ごかしや偽善をえぐり出す。小平も名声だけを望む人間だった。ために貧困のどん底に喘ぐようになる。が、生活保護を勧める者に、「私」は氏素姓が分かるのを恐れて断っているし、一方では、寮にきた態度の大きい見学者に都知事は私の叔父だと言って、どうりで美しい言葉を使うと言わせてもいる。
 孤立無援、重度障害の「私」が唯一残された拠り所は、明晰な頭脳と名門の出という誇りの矜持であった。なればこそ筆舌に尽くし難い艱難を克服できた。しかし、1歩もそこからは出られなかった。なぜならば、我々障害者の多くに見られる、身体障害というものにあまりにもこだわって、外界のこと一切をまず疑ってかからないではいられない用心ぶかさからである。これは一篇の回顧録である。読み終えてもこれだけの内容から、作者のしみじみとした想いは全く伝わってこなかった。代わって眼前に浮かぶのは、艱難に打ち克った一人の気位の高い障害者の姿のみである。

(かとうかつひこ 文芸同人誌「羅」同人、「しののめ」会員)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年9月号(第17巻 通巻194号)44頁~47頁