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各国のセルフヘルプグループ

オーストラリア事情

中田智恵海

▼SHINの活動

 オーストラリアのニューサウスウエルズ州(以下NSWという)で、1970年代からセルフヘルプ運動の中心的な活動を展開している、現在70歳のヘレン・パウントニー。訪れたセルフヘルプ情報ネットワーク(Self Help Information Network : SHIN)のシドニー事務所は住宅街の素朴な彼女の自宅にあった。「事務所の机はキッチンテーブルよ」と笑う。彼女は、元音楽教師。多発性硬化症に罹ったことがきっかけでセルフヘルプ運動にかかわり始める。治療法の確立していないこの難病について、医師から説明される専門的な知識に満たされない思いで同病者と話すうちに、自分の求めていたものは同病者からの生活に密着した情報であると認識し、1972年同病者6人がヘレンの自宅に集まって「多発性硬化症とそれに伴う障害のセルフヘルプグループ(Self-Help Association for Multiple Sclerosis & Allied Disorders : SAMSAD)を始めた。
 設立時には、数人の専門職が協力している。セルフヘルプという用語を入れて活動の視点を明確にするほうがよいと助言した法律家や、NSW社会サービス協議会(Council of Social Service of New South Wales : NCOSS)に入会するように取り計らった事務局長、会計士、医師、それに加えて地域に根ざした活動を可能にしたコミュニティセンターなどである。筆者の訪問当日も弁護士リン・アリソン・ペイズリーが同席してヘレンを援助していた。このように専門職や半ば公的な機関から協力を得たのは、当時、セルフヘルプという概念が社会に十分に認知されていなかったし、さらに専門職がセルフヘルプグループを見下していたからであった、という。いまだにこの状況は大きくは変わっていない、と弁護士のリンは残念がる。
 このSAMSADでは、患者が地域社会の中で日常生活を営めるようにとの観点に立って、社会サービスはもちろんのこと、使いやすい浴槽、靴、家具から薬の選び方、在宅でのリハビリテーション、性生活に至るまで多岐にわたる情報を満載した冊子を作成している。このようにSAMSADが多発性硬化症による障害をもつ人々の相談や支援をしているうちに、活動は障害者全体へと広がり、セルフヘルプ情報ネットワーク(SHIN)へとつながっていく。ちなみにSHINでは、障害という用語は困難をもつ人(people in difficulties)・社会的不利(social disadvantage)やディスオーダーという用語を用いており、ハンディキャップ(邪魔・妨げといった意味をもつ)という用語は排除している。用語の変革は単なるファッションだとさりげなく2人は言うが、障害者ということばにつきまとうスティグマを排除しようと社会に提示しているのである。
 SHINでは日常の電話相談活動を主として、年1度、種々のセルフヘルプグループが一堂に会して交流、広報し合うセルフヘルプグループの展示会を開催している。また、グループ同士が学び合うために機関紙を年4回発行(2500部)し、主に州内の当事者と保健所などの関連機関に無料で送付している。この機関紙は毎号70ぺージ近くにもなるが、ページの半分はすべて美容院・不動産・医院・保険業者・レストランなどの広告で、さながら電話帳のようである。この広告代金が機関紙作成のための資金となる。
 行政からの経済的支援を受けて行政のいいなりになるのではなくて、こうした方法で一般市民とかかわり、資金と理解を得る、もちろん教育もするのだという。この一般市民に対する教育もさることながら、専門職を教育することが重要だとリンは強調する。専門職は専門職同士で、~について議論したり、研究したりするが、~を抱えて生きる人と積極的に話す機会をつくろうとはしないから、正しく現状把握することは難しい。セルフヘルプグループはそうした専門職に現状を知らせて教育する役割があり、専門職が当事者のニーズや生活状況に疎いことはセルフヘルプグループの怠慢である。また専門職のサービスには何があるかを知り、そのサービスが当事者が求めるものと合わなければ、合ったものに変えていくことがセルフヘルプグループの役割だとも2人は力強く言う。
 SHINのもう1つのモットーは「あせらず、止めず、根気よく、そしてアカデミックになりすぎず、地域に根ざした草の根運動」である。この「地域に根ざした」という概念はこの国のセルフヘルプ運動に散見される。147のセルフヘルプグループが掲載されている名簿にも「セルフヘルプと地域に根ざした組織」と表題があるし、さらに写真の2人が掲げるSHINの機関紙の表紙には「人間の尊厳」「地域社会の中で」と記されている。
 人生の途上で思いがけない苦悩や変えられない宿命に出会った人同士が集い、学び合い、行政からの経済的支援を排除して依存を避け、さまざまな生活上の困難を抱える人々が地域社会で生きることを支援し、専門職を育てる。多発性硬化症に罹った1人の女性が、セルフヘルプグループの神髄であるこれらの活動を地道に続けるSAMSADやSHINの創設に携わり、機関紙や冊子の編集責任者として20年以上にわたって活動を展開していく。この活動の過程は同時に、ヘレンが多発性硬化症に罹り音楽教師の職を失いながらも、地域社会の中で自分らしく生きる喜びを覚え、生き直していく過程でもあった。

▼CleftPALS

 次に、この国の口唇口蓋裂児の親の会のCleftPALS(The Cleft Palate and Lip Society)について述べよう。
 CleftPALSは1974年シドニーで始まり、現在タスマニア・ビクトリア・南オーストラリア・クイーンズランド・西オーストラリア・北部地方・ACTに支部があり、NSWに本部を置いて約1200名の会員がいる。この国の総人口が1800万人であることを考えるとこの数は多い。このグループの活動と組織を概略しよう。

①会費は年会費20豪州ドル、5年分を前払いすると80豪州ドル。
②各州に州会長、会計、書記、コンタクトペアレントといった役員がいる。NSWの州会長が全国の会長となり、自薦他薦を含んですべての役員は選挙で選出する。
③総会は講師を招いて州レベルと国レベルの両方で年1回開く。この全国総会で各州の会長が集う。すべてボランティアであるが交通費だけは会が負担する。各州では毎月、役員の会合を開く。加えて、それぞれの小地域では会員の自宅で毎週モーニングティーと銘打って10~12時までの会合を開いている。
④会長の任期は1年で再選は3年まで。それ以上は再選されない。
⑤会報は年4~5回発行。
⑥コンタクトペアレントは口唇口蓋裂児が生まれたという連絡を受けたら、すぐに産科の病院へ出向くか、退院後なら自宅を訪問して話を聞く。
⑦大学の看護学科で口唇口蓋裂治療を受ける者の立場から、医療者に対して経験や希望などを話す。
⑧総会での講師の講演をビデオとテープに撮って保存し、会員に情報提供する。

 現在の会長は8代目アリス・クーク。CleftPALSは、これだけ大きな組織にもかかわらず事務所はなく、設立当初から私書箱を用いて手紙による連絡のみで、電話は自営業を営んでいる彼女の事務所用と兼用である。24年前の設立当初と会活動の理念やプログラムには変更はあまりないが、大きく変わったのは会員に専業主婦が減り仕事をもつ母親が増えたことだという。これは世界的な傾向で、こうした自主的なセルフヘルプグループの活動を困難にしている要件の1つであるが、世界のセルフヘルプ運動はそれでも停滞するどころか、ますます進展している。仕事をもつ両親が参加しやすいように、各州の総会は夜7時頃から開かれている。講師には歯科医、形成外科医、ソーシャルワーカーなど多様な職種の医療者を招き、開催場所としては企業の会議室、YWCA、リハビリテーションセンターなどであるが、時には講師の所属する病院でも開かれている。
 総会の会合場所が病院では果たして医療専門職から自立しているのだろうかと疑問を感じるが、アリスは専門職からは自立して極めて良好な関係にあり、専門職はCleftPALSに敬意を払っている、という。オーストラリアのように人口が少なく広大な国で、口唇口蓋裂治療を専門とする医療機関は少なく、患者が医療を選択できる余地はあまりないという背景があるのだろう。
 全国の総会は毎年7月に開かれ、午前は医療者による講演と参加者との質疑応答、午後は会員同士の交流を実施している。とはいっても、午前の参加者はおおよそ60名で午後は20名程に減る。会員が求めるニーズは圧倒的に医療相談である。
 会報はわずか6ページにすぎず、書籍の紹介、専門職からの投稿、歯ブラシや哺乳瓶を売った収益金や寄付金の状況の報告などが掲載されている。ちなみに会費の合計額よりも寄付金や収益金のほうがはるかに多く、約3倍にも及んでいる。それだけ口唇口蓋裂という障害が社会的に認知されているのではないだろうか。会員同士の交流の場はもっぱら小地域でのモーニングティーが中心で、毎週必ずどこかで開催され、その予定が掲載されている。またピクニックの計画も掲載されているが、会としての準備はせず、開催の時刻と場所を記して集う機会を提供しているだけで、あとは会員にまかせている。
 この会報をみると、会員はもちろんのこと、専門職も教育することが会の役割と捉えているようである。前述した7番目の看護学生への話は医療専門職への教育であり、さらに教育者への教育も積極的である。アリスは、口唇口蓋裂に対する偏見はないが、言語障害があるために就職に困難が感じられることと、学校でからかいやいじめがあることが問題であるという。1994年にNSWの学校教育部でいじめ特別行動計画が策定、実施された時に、CleftPALSは教員にどのように対応してもらいたいかを冊子にして全国の州立学校に配布したという。これは教育者への教育である。
 当時の会報をみると、からかう子どもたちはそれほど自分たちの言動に相手が傷ついているとは気づいていないことが多いから、親が直接、その子どもたちに説明をして納得させる必要がある。さらにからかわれる自分の子どもにも、からかわれた時には「それがどうしたんだい? うらやましいかい!」などと言い返す練習を自宅でもしてみるように、とも述べている。これは会長の見解として掲載されており、会員が話し合って出した意見ではない。会員同士の交流の場としての色彩は薄く、会員を教育するニュアンスが強い。
 一方、会員同士の交流を主とする小地域でのモーニングティーは地域に根ざした活動を重視するものであるし、会員や専門職の教育も先のSHINの活動と共通する。「地域に根ざす」「教育」はこの国のセルフヘルプ運動の2本柱といえるだろう。CleftPALSが発足した時、この素人のグループが長続きするはずはない、と医療専門職のだれもが考えたという。しかしその活動は、20年を超えて連綿と続いている。前述のSHINのモットー「あせらず、止めず、根気よく、そしてアカデミックになりすぎず、地域に根ざした運動」がここでも生きている。
 CleftPALSは決して派手ではないが、じっくりと歩み続けている。

(なかだちえみ 武庫川女子大学)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1998年4月号(第18巻 通巻201号)42頁~46頁