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文学にみる障害者像 38

ロマン・ロラン著 新庄嘉章訳
『ベートーヴェンの生涯』

宮本まどか

 きっと、机の奥にしまってあるラブレターを何十年ぶりかに読みかえして、せつない思いになるにちがいない。ベートーヴェンの苦悩は時代を越えて、国境を越えて、さまざまな人の心に伝わってくる。

1 孤独との戦い

 私の初恋の相手は、ベートーヴェン。だが、彼の顔は大きくて、頑丈な首と力士のような骨格。人々の心をとらえてしまうくらいのかっと見開いた大きな目は、お世辞にもハンサムとはいえなかった。
 ベートーヴェンが育った家庭は幸福ではなかった。まず、彼の父のスパルタ教育。彼の音楽的な才能を利用して、人前に見せびらかす野心。ベートーヴェンが永久に音楽が嫌いになる寸前まで、暴力でもって彼を鍛えたのである。さらに、愛する母の死を境に、彼も病気に苦しむことになる。わずか17歳で一家の主(あるじ)とならなければならない重圧と悲しみは、彼の心に深い傷あとを残した。自分の境遇を恨み、人に心をひらくこともせず、二度と土を踏むことはない故郷ボンを離れることになる。
 そして、ベートーヴェンは音楽の都ウイーンで作曲活動を始める。
 だが、運命の調(しらべ)は残酷なもので、彼の聴覚はしだいに弱くなっていくのである。彼は自分の「難聴」を気づかれないようにと、人々を避けるようになる。しかし、失聴していく不安と恐怖は、ひとりで耐えられるものではない。
 ベートーヴェンは『ハイリゲンシュタットの遺書』の中で、「こんなにも早く、人々から遠ざかって、孤独な生活を送らなければならなくなった。私は人々に向かって『もっと大きな声で話してください、叫んでください。私は聞こえないんです』と、言うことはできなかった」と記している。
 ベートーヴェンは「難聴」である自分よりも、音楽家としての自分を生かしていかなければならない苦しみも感じているのである。音楽家にとって一番大切な「聴覚」が衰えていくことは、音楽家であるベートーヴェンをも失うことになるからだ。
 ついに「諦め!」。ベートーヴェンは自分の失聴を受け入れることで、心の準備をしていく。また、ベートーヴェンが「遺書」を書くことの意味は、書くことによってもうひとりの自分と会話をしないと苦しみから開放されないからであった。
 しかし、不思議なことに、彼は「書く」ことで「生きたい。音楽を作りたい」という気持ちを起こしている。

2 作曲の力は「恋人」

 ベートーヴェンは、大勢の女性を愛した。しかし、ハッピーエンドになる女性はひとりもいなかった。婚約までしたテレーゼさえも、自分の耳のことで深く失望し、自信を大きく持つことができなかった。ただ、「彼女のことを考えると、ぼくの心臓は、彼女にはじめて会った日のように強く打つ」と、彼女への想いは作曲に大きな影響を与えている。それぞれの「言葉」では言い表せない気持ちを、作曲に注ぎ込んでいるのである。女性のために作られた曲『月光』『エリーゼのために』『熱情』のピアノはときには激しく、ときには穏やかで、やさしい。恋に破れたベートーヴェンは、音楽だけが自分に残された道と、肯定せざるをえなかった。

3 自然との対話

 「私にはひとりの友もない。私はこの世の中でひとりぼっちだ」。
 ベートーヴェンの耳は、すっかり聞こえなくなっていた。このころから、人との会話はほとんど筆談によるほかはなかった。
 私はときどき、もしベートーヴェンが「手話」を知っていたら、同じ「難聴」の仲間がいたら…どんな人生だっただろうと考えることがある。有名な『第九交響楽』を指揮したとき、満場の拍手に気がつかない彼。拍手喝采の喜びを味わう前に、拍手が聞こえない自分をさらすことの恐怖のほうが大きいのだから、よけいに胸がしめつけられる。
 ベートーヴェンはますます自分の殻の中に閉じ込もり、人々からいっさい離れていく。
 「自然が彼の唯一の親友でした」。ベートーヴェンは自然の中にしか慰めを見いだせなかった。彼は、散歩を毎日の日課にしていた。雨の日も晴れの日も散歩しながら、まわりの風景に心を癒し、音楽を生み出していった。作曲に夢中になることで、自分の「難聴」を忘れていたかったのだ。

4 カールの後見人

 ベートーヴェンの苦悩はまだ続いていた。彼の弟の子どもカールのことである。弟の死亡後、ベートーヴェンが後見人になったが、カールを愛情で縛りすぎてしまい、彼は反抗や非行を繰り返すようになる。カールにしてみれば、筆談でしか話ができない「難聴」のベートーヴェンとの生活になじめなかったのではないか。ベートーヴェンは「実の父親以上の愛情を持って、心から愛している」つもりでも、それにどう応えたらいいのか、カール自身にも分からなかった。ついに「伯父がぼくをいっそう善人にしようとしたので、ぼくはいっそう悪人になった」と、恐ろしい言葉をつぶやくまでになった。最後までお互いに、心が通じあうことはなかった。
 この悲しみと苦しみから再び作曲の意欲に燃えることになったベートーヴェンが、まったく耳が聞こえなくなった状況で作曲したのが「合唱つきの第九」である。交響楽の中に合唱を入れる、まったく斬新な方法。「合唱」が現れる瞬間に、オーケストラの演奏が止む。この「沈黙」が、ベートーヴェン自身の心を象徴している。
 やがて「彼の生涯の悲劇の終わり」がやってくる。病状が悪化して医者を呼びにお願いしていたことも忘れてしまう、冷酷なカール。だが、最後の力をふり絞って、震える手で彼が書いたのは、「あらゆる不幸は何かしら、いいものを伴ってくる」。いいものとは、精神的な解放、つまり「死」でもって自らの苦悩を取り除くことができるのだ。こうして、ベートーヴェンは嵐の中で、56年の生涯を閉じた。
 聞こえない耳でなぜ作曲したかについては、今なおさまざまな意見があるが、「聞こえる」「聞こえない」に関係なく作曲することができるのは、曲の「イメージ」である。音のイメージを鋭くとらえることができるのは、むしろ「聞こえない」人だろう。
 音のイメージ、音楽のイメージを視覚的にとらえることについて、私はおおいに納得のいくことであると考える。なぜならば、私は「難聴のピアニスト」だからだ。

(みやもとまどか ピアニスト)


【文献】
 ロマン・ロラン著、新庄嘉章 訳「ベートーヴェンの生涯」角川文庫、昭和37年発行、平成7年改版発行