音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

障害者同士は理解しあえる?

戸田幸彦

 私たち健常者は、通常障害者同士であれば(区別するのは嫌ですが)、同じ悩み、同じ境遇にある仲間として当然理解しあっていると思いがちであるが、一般的には「否」であろう。なぜなら、障害にもいろいろあって、今のところ障害者間には交流も少なく、理解しあえていないのが現実ではないだろうか。身体障害者は肢体、眼、耳・言葉の不自由な人、内部障害者の総称であって、それぞれ異なった障害ゆえに、お互いの障害のことはほとんど理解・認識していないと思う。
 考えてみると、学校教育(小・中・高)からして養護、盲、聾学校と別々である。障害者団体もそれぞれ障害別で活動を展開している。私の職場で視覚障害者がヘルスキーパーをしているが、彼女は生まれてこのかた、世の中は盲人と晴眼者だけと思っていたと告白している。職場では車いす、聴覚障害、知的障害などあらゆる障害者(今のところ精神障害者はいないが)が働いているから、さまざまな障害者同士の交流がある。その結果、彼女は初めて他の障害者の存在を知ったのである。
 彼らは会社生活で、障害者同士がお互い分かりあえることの大切さとむずかしさを学んでいる。知的障害者が車いすの介助をしたり、視覚障害者の手引きをしたり、食膳の内容を言葉と手で教導している風景がある。また、聴覚障害者と一緒に働く車いす使用者が手話を習得し、手話通訳ができるまでに成長もしている。一番むずかしいのは視覚障害者と聴覚障害者間の理解であろう。視覚障害者は指文字を覚えて話しかけるが、返事の手話が見えない。逆に聴覚障害者は音声がないから手引きもできない。聴覚障害者が知的障害者を理解するのもむずかしそうだ。彼らは先頭に立って手話教室を開いてくれるが、「知的障害者に手話を教えても無駄だ。彼らは使おうとしないから」と言う。知的障害者の中には「おはよう!」と自分からあいさつするのも苦手な人もいるので「君らから先に手話であいさつすれば必ず返事が返ってくるよ」と教えてはいるのだが……。
 健常者同士理解しあえているのか、と問えば、これもまったく「NO」であろう。世の中、障害者も健常者もわけへだてなくお互いがお互いをもっと理解し、認識を深めていくことが大切ではなかろうか。そうすれば、優しい住みやすい社会になるのではないだろうか。それには交流が不可欠だ。幼少期からの統合教育が必要では、とも思ったりしている。

(とだゆきひこ 株式会社かんでんエルハート(重度障害者多数雇用事業所)代表取締役)