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ほんの森

石川准著
人はなぜ認められたいのか

-アイデンティティ依存の社会学-

〈評者〉 樋口恵子

 9章にわたり、異文化理解、アイデンティティ、障害者、リストラ、家族愛、感情労働、誤解、反学校文化、ユースカルチャー、テクノ依存、セクシャリティなどに触れながら、だれもが日々体験している事柄をとおして石川さんのテーマである「存在証明」に向き合っています。
 視覚障害者は、情報障害者だという表現をよく聞きますが、この本を読み進む中で、石川さんの情報量のすごさに驚きます。さまざまな立場の人が書かれた文の中から、ていねいに抜き出し、考察の材料としています。
 この本を読んだとき、幼いときから障害をもって生きてきた私自身、人と違っているらしい自分を意識して以来、いつもここにいていいのだろうかと、まわりを見回していたことがよみがえりました。
 「なぜ期待されると頑張るのか」(第6章)は、自立生活運動の中でも大きな問題になりつつあると私は考えています。
 これまで医療モデルや福祉モデルといわれる中で、障害者はサービスや制度の対象者・利用者・消費者であって提供者、担い手ではなかったわけです。しかし、自立生活やセンター活動の実践から、障害は克服するだけの負のものではなく、「個性」であり、社会を障害者の側からみた新たな「文化の創造」「当事者主体」といった主張がある程度認められてきつつあります。そして、障害者がさまざまな分野で引っ張り出されることが多くなり、自分の体力以上のものを引き受け、結果的に頑張ってしまい、つぶれてしまう仲間が出てきました。
 「もうまわりの期待に振り回されない、健常者を目標にしない、自分らしい生き方を」と始めた自立生活が社会的、組織的な活動として認められることによって、渇望していた“認められる”・“期待される”気持ちよさを得て、自分の過去の傷を埋めるかのように頑張り、意識しているか否かは別にして、いわゆる存在証明へかりたてていくということなのでしょう。
 石川さんはそのメカニズムを理解したうえで、自分の人生を組み立てていくことができれば……という思いで、この本を書かれたのだろうと感じました。思い当たる方はぜひご一読を。

(ひぐちけいこ 全国自立生活センター協議会)