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東京
自立生活企画

益留俊樹

自立生活企画の周辺

 自立生活企画は、新宿から電車で約30分、西武新宿線沿線の東京都田無市に事務所があります。田無市は市の面積が全国で3、4番目くらいに小さく、人口も約7万人と、非常に小さな市です。しかし、市の歴史は意外に古く、江戸時代は青梅街道の宿場町として栄えました。旧街道は道路の幅が狭く、歩道も人がすれ違うのがやっとで、車いすで生活するには不便な街でした。私が田無に越してきた82年当時、田無駅は橋上駅でエレベーターはなし、おまけに改札口も車いすでは通れないありさまでした。
 それが田無駅の北口再開発に伴い、駅舎の改善要求(窓口は他団体)をした結果、駅周辺は整備され、駅にも開放型のエレベーターが付き、トイレも使えるようになりました。近年では、近隣の駅でも改善が進められています。今後も公共交通機関・施設には、いわゆるバリアフリー法(2000年2月国会提出)によってエレベーター等の設置が義務づけられます。もちろん、このような社会環境の整備や改善は、法律が先行して行われているのではなく、実際に外出をして駅を利用する人がいて、初めて利用者(消費者)として認められた結果、実現したのです。

要求団体からサービス提供団体へ

 92年2月に自立生活企画を設立しましたが、その数年前から私たち在宅で暮らす障害者が集まって「田無在宅障害者の保障を考える会」(以下、在障会という)として活動してきました。重度の障害者が地域で自立した生活を送るには介護者なしでは考えられません。これまで、家族やボランティアに支えられて生活してきましたが、介護する人の都合によって左右されることが多く、これでは真に自立した生活とは言えません。
 そこで在障会の活動は、行政(厚生省・東京都・田無市)への24時間介護制度要求が主になりました。介護は社会的に保障されるべきだと考えたからです。当時、ホームヘルプ事業は、ヘルパーの派遣時間が週18時間(1日3時間程度)が上限とされ、東京都の介護人派遣事業もようやく脳性マヒの障害者から全身性障害者へと派遣対象が認められた時期でした。それでも24時間常時介護の必要な障害者にとっては、十分な介護が保障されているとは言えません。
 また、介護を労働として位置付けて、介護者の生活保障も同時に要求してきました。先にも書いたように、障害者の自立した生活は、安定した介護によって成り立ちます。そのためには介護者の生活が安定しなければなりません。施設職員やヘルパーが介護をして給料をもらうのですから、同じように介護者にも賃金を払い生活を保障すべきだからです。
 私たち障害者は、行政から派遣されてくるほとんどのヘルパーに対して、入浴やトイレ介護が満足に受けられない点や、非常に管理的な態度に不満をもっていました。「一体だれのためのヘルパー派遣なんだろう」と。
 そこで、私たちは自分の介護者を市に登録して、ヘルパーとして派遣してくれるように交渉しました。いわゆる登録ヘルパーです。登録ヘルパーが認められて、障害者の生活は飛躍的に向上しました。なぜなら、自分自身のペースで生活が組み立てられるようになったからです。また、当初ボランティアの謝礼程度しか出なかった介護料も、登録ヘルパー制度によって介護者に十分な給料が支払えるようになりました。そして、介護者を雇うことで雇用主としての自覚を促し、責任感をもつことができるようになりました。介護者も仕事として障害者のニーズに応えるべく、技術を身に付けます。障害者と介護者双方の生活が安定することで、普通の生活の基盤ができるのです。

自立生活プログラム

 自立生活企画では、施設や親元から出て1人で生活したいと相談に来た人にこう言います。「私たちが自立させるのではなく、自立の可能性を自分の力で身に付けてください。私たちはそのサポートをします」と。まずは、自立生活プログラム(全10回)を受講してもらい、その後、具体的な自立の相談にのり、個別プログラムを経て自立生活を始めます。

(ますどめとしき 自立生活企画代表)