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旅じたくスペシャル

沖縄の海を見に行く
-ハプニング続出の旅行記-

山口健二

 私は、海を見ているのが好きです。「一度でいいから沖縄の海を見てみたい」ずっとそう思っていました。ふだんは電動車いすに乗りながら、療護施設で暮らしています。最近では、障害(筋ジストロフィー)の進行により、就寝時に人工呼吸器を使っています。そんな私の夢が実現しました。
 今回は、その沖縄旅行体験記をみなさんに紹介したいと思います。それでは、一緒に行った仲間の紹介から始めます。豊嶋太一さん(筋ジストロフィー)、吉川健一さん(脳性マヒ)、ボランティアとして川田誇一さん、古城龍一さん、臼井幹夫さん、河村高行さん、そして看護婦の松谷綾さん、私の8人です。
 今回の沖縄旅行は、人工呼吸器を使いながら飛行機に乗るための準備から始まりました。しかし、そのことに関して何もかもが初めての体験だったので、とても苦労しました。

医者の診断書と付添看護婦

 人工呼吸器を使いながら飛行機に乗るためには、医者の診断書と機内で付き添う看護婦さんが必要でした。
 診断書は、施設の嘱託医にお願いをして書いていただいたのですが、やはり看護婦さんはなかなか見つかりませんでした。どうしても見つからない場合は、施設の看護婦さんが、同行することを考えてくださると言ってくれました。ほかに探すあてもなく、途方に暮れていた時、豊嶋さんの紹介で、松谷さんが同行してくれることになりました。

飛行機にコンセントは…?

 準備をすすめる中で、機内には、人工呼吸器を動かすための電源がないことに気づきました。
 この問題を解決するためには、バッテリーを用意するしかありません。そこで、施設の担当職員に相談したところ、今回の旅行は個人的なことだが、災害などにより施設が停電した際に必要ということで、施設の備品として購入してくれることになりました。

バッテリーの種類

 機内で使用できるバッテリーは種類が限られていて、液体のバッテリーは、事故が起こった場合に液漏れする可能性があるので使用することはできない、ということでした。
 航空会社に問い合わせてみると、使用できるバッテリーの種類を教えてくれました。すると施設で購入してくれる予定のバッテリーと種類が一致していて、幸いにも無事解決しました。

飛行機の寝台席

 嘱託の先生から診断書をいただくためには、シートにストレッチャーを付けて、横になりながら行くこと、という条件が出されたのです。
 その条件を満たすためには、まず予約していたスーパーシートをキャンセルして、エコノミーの席を3席予約し直さなければなりませんでした。そのエコノミーの席3席分を使ってストレッチャーを固定するのです。偶然にも行き帰りの席を確保することができました。
 こうしてやっとの思いで、沖縄旅行の準備は終わり、あとは忘れ物をしないように自分の身の回りの準備をするだけでした。
 幾度の困難に、何度あきらめようと思ったことでしょう。いつも豊嶋さんや施設の職員とギリギリの線まで話し合い、ここまでこぎつけることができました。

1日目~ハプニング

 当日の朝は、まだ寝ぼけている僕の頭の中とは違って、スッキリいい天気でした。予定どおり川田さん、古城さん、臼井さんが施設に集まって来てくれました。そして、着々と荷物をリフト付きワゴン車に積み込んで準備OK! 地元の社会福祉協議会にお願いして来ていただいたボランティアさんに運転をお願いして、いよいよ出発です。途中渋滞したという記憶もなく、羽田空港に着いたと思います。松谷さん、吉川さんと合流して搭乗の手続きをしました。

専用の車いすに乗り換えて

 電動車いすのまま飛行機に乗ることはできないので、航空会社が用意した専用の車いすに乗り換えて機内まで移動します。一方、電動車いすは貨物として運ばれます。しかもバッテリーは危険物扱いになるため、取り外されてまた別のところに入れられて運ばれるようです。人工呼吸器のバッテリーは、行く前から何度も何度も電話で打ち合わせたにもかかわらず、大きさや液漏れのチェックに時間がかかったようです。

緊急事態発生!

 電話をかけに行っていた川田さんが戻ってきて「診断書持ってきた?」と聞かれ、私はハッとしました。「忘れた…」一瞬、頭の中が空白になってしまいました。診断書を忘れたということは、つまり飛行機に乗れないということなのです。
 診断書は、施設からFAXで送ってくれるということになりました。しかし、送られてきた診断書の使用期限が切れていると指摘されてしまい、慌てて施設の看護婦さんに電話で診断書を有効にするための確認をしてもらいました。これらの事態に対して的確に判断し、航空会社とやりとりをしてくれたのは、川田さんでした。彼の活躍により、診断書の件は何とかクリアできました。
 しかし、さらに、大切な物を忘れてしまったことに気づいたのです。バッテリーと人工呼吸器をつなぐ変電機です。この変電機がないと、機内で人工呼吸器を動かすことができません。そこで、アンビュー(手動式呼吸器)を沖縄までの2時間30分間、仲間が交代で動かしてくれることで解決しました。

何も見えない空港ロビーと水色のカーテン

 ようやく私たちは、航空会社が用意してくれた車いすに乗り換えました。そして、いよいよ搭乗口へ向かいました。自分の車いす以外で座位を取ることが難しい私は、リクライニング式の車いすに横になり移動しました。その状態で見えるのは、天井と大きな窓から見える青空だけでした。映画やドラマの1シーンに出てくるような搭乗口の風景など、ぜんぜん見ることができず、悲しかったです。そんな私の気持ちとは裏腹に、どんどん人とは離れた秘密の通路を通り抜けていきました。すると私の耳に、キーンという飛行機のエンジン音が次第に近づいてきました。
 飛行機の中に入るとすぐのところに、水色のカーテンに囲われた寝台席が用意されていました。私はまわりの視線を想像しつつ、川田さんや航空会社の係員の手により、その席に乗り移りました。

アンビューは、大変

 施設で用意してくれたアンビューはかなり大きい物で、肺に空気を送り込むにはかなりの握力が必要でした。しかも、接続がうまくいかず空気を送り込むと漏れてしまうため、1人が空気を送り込み、もう1人は空気漏れを押さえていなければなりません。私も、アンビューの呼吸に慣れていなかったので、かなり息苦しく感じました。そんな中、飛行機は離陸の準備に入りました。離陸の際には、座席に座ってシートベルトをしなくてはなりません。そのため、かなり無理な体勢で空気を送り込まなくてはならず、しかも重力に耐えながらだったので大変だったようです。

山口組?

 那覇空港に着くとハイビスカスのシャツを着た係員が、リクライニングの車いすを用意して待っていてくれました。羽田空港と同じように秘密の通路を通り抜け、ロビーで自分の電動車いすに乗り移ることができてホッとしました。そして、空港の玄関へ向かおうとした時、“山口組御一行様”と書いたカードを持っている人たちが、視界に入りました。今回の旅行中、リフト付きワゴン車の運転をお願いした、地元の自立生活センター「イルカ」のみなさんだったのです。そこで、沖縄に住む現地ボランティアの河村さんと合流しました。その後、私たちは早速ワゴン車に乗り込み、ホテルヘと向かいました。

居酒屋にて

 とりあえず荷物をホテルの部屋に置いて、夕食を食べに近くの居酒屋を訪れました。電動車いす3台で入るには少し狭いお店でしたが、少し顔を赤くしたおじさんたちが気持ちよく席を譲ってくれました。そのお店で“ゴウヤチップス”を食べましたが、苦みなどはなく、とてもおいしくてお替わりをしてしまいました。お腹いっぱいでホテルヘ戻り、明日も早いということで早めに寝ることになりました。
 私の場合、自分で寝返りができないので仲間が3時間交代で介助をしてくれることになりました。この晩は松谷さんが、かなり時間を超えてがんばってくれました。そのおかげで、私は安心して眠ることができました。

ブタのお面にビックリ!

 ホテルの回りは近代的で、横浜や川崎を思わせましたが、大きな通りをひとつ曲がると沖縄独特の文化が姿を現しました。異文化の雰囲気を漂わせているその建造物のひとつひとつに目を奪われました。そんな沖縄の街並みを案内してくれたのは、地元の作業所「ふれんど」の宮城さんたちと大城さんでした。仲間と合流して昼食をとり、その後バーベキューの材料を買いに公設市場へ戻りました。そこで見たお面のようなブタの顔に好奇心を駆られて市場の中を散策してみると、今まで見たことのないような魚たちに驚いたりと、楽しいひとときでした。

沖縄の海

 再び「イルカ」の人たちが運転をしてくれるリフト付きワゴン車に乗り込み、カーショップで人工呼吸器を動かすための変電アダプターを買いました。これで帰りは、一安心です。この日に泊まる宿へ向かうには、まだ多少の時間があったので、買い物に同行してくれた吉川さん、古城さんと一緒に、海を見に行こうということになりました。
 いよいよ夢がかなう時が来たのです。やがてワゴン車は海の公園に到着しました。私は、はやる気持ちを抑えながら、電動車いすを走らせました。風がとても気持ちよく、Tシャツ一枚でいられるし、太陽は、海をキラキラと輝かせていました。肌色に近い色の砂浜に透き通る海。私が想像していた沖縄の海そのものでした。さらに沖の方へ進むと、青い海がどんどん青みを増して見えたのです。私は、青い海の遥か彼方を見つめながら本州を思いました。そして万感の思いで、海を目に焼きつけました。

成田正雄さんの「海と風の宿」

 この日泊まったのは「海と風の宿」というところで、宿を経営している成田正雄さんは脊髄の損傷により、車いすを使って生活しています。この成田さんとの交流が、今回の旅の大きな目的のひとつでした。私たちが成田さんの宿に到着した頃は、もうすっかり暗くなっていました。少しせまい廊下を通り抜けると、ニコニコと成田さんが出迎えてくれました。インターネットのホームページで見たときの姿よりも大らかさを感じました。また、成田さんの宿に泊まっていたのは私たちだけではなく、全国各地から多くの人たちが集まって来ていました。その中には、自転車ひとつで全国を旅している人や、東京の劇団で俳優をしている人、そして島根県にある宍道湖干拓反対の署名を集めている人など、多彩な顔ぶれでした。和やかな雰囲気のうちに時は流れ、バーベキューを食べながら交流を深めていきました。一息ついた頃、私の耳に沖縄独特の音色が届きました。それは、沖縄民謡研究所の師範、金城繁さんの蛇味線と歌で、とても思い出深い夜となりました。

名護の海

 旅行の最終日、いつになく早起きした私は、吉川さんと古城さんと一緒に、名護の海を見に行きました。成田さんの宿から10分ほど電動車いすを走らせた頃でしょうか、大きな道路を挟んだ向こうに、水色の海が静かに広がっていました。私たちは、肌色に近い砂浜を電動車いすのタイヤが埋まるまで進んだのです。海からの帰り道に私は密かに、いつの日か再び沖縄を訪れ、今度は沖縄の海と異文化あふれる街並み、そして、そこで暮らす人々の表情を、思い切り写真に撮ってみたいと思いました…。そんな思いを胸に秘めつつ、成田さんの宿に戻りました。
 その後、成田さんと一緒に軽い朝食を取っていた時、どこからともなくトンボが飛んできて、沖縄にも秋の訪れを告げているかのようでした。「そろそろ行こうか!」という仲間の声で、現実に戻った私は、成田さんたちと堅い握手を交わして「海と風の宿」を後にしました。

さいごに、ありがとう!

 最後に、今回の沖縄旅行のためにカンパしてくださったみなさんと、準備の段階においてお世話になった施設職員のみなさん、そして、現地で多大なる支援をくださった成田さんをはじめとする地元のみなさんに感謝いたします。また、私のわがままに最後までつき合ってくれた仲間に、ありがとう!

(やまぐちけんじ 茅ヶ崎市在住)