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成年後見制度への評価等
-精神障害の立場から-

里見和夫

 禁治産・準禁治産制度が廃止され、代わって平成12年4月1日から後見・保佐・補助の三類型による法定後見制度と契約に基づく任意後見制度の二つを柱とする新しい成年後見制度がスタートすることになった。
 これは、旧禁治産・準禁治産制度が、本来は精神障害のため判断能力が不十分な者について、主としてその財産の保護を目的とした制度であったのに、現実には、
1.ある時点での本人の精神状態を捉えて申立てを受けた家庭裁判所が禁治産・準禁治産宣告をし、そのことが戸籍に記載され、以後症状が軽快しても、あらためて取消の申立てがなされ、家庭裁判所が取消の審判をして、それを受けて戸籍の記載が抹消されない限り、無能力者として扱われるという硬直した制度であり、そこには、精神障害者の能力・自己決定権をできる限り尊重しようとする配慮はほとんど見られなかったこと、
2.戸籍に記載されることは、その差別的名称とあいまって、欠陥者の烙印を押すような役割を果たしてきたこと、
3.禁治産者・準禁治産者の名称は、あたかも人間失格の印象を抱かせるもので、あまりにも差別的なものであったこと、
4.本来、精神障害者を保護するための制度であったにもかかわらず、さまざまな資格、職業の欠格事由に禁治産者・準禁治産者が掲げられていたため、精神障害者を排除する役割を果たしてきたこと、
 などの理由から、精神障害者の権利を侵害し、差別と偏見をつくり出し、助長する制度であったと言ってよい。
 それでは、新しい成年後見制度は、これらの問題を解決できるものとなったかと言えば、残念ながらそうではない。
 今回の法改正によって、確かに禁治産・準禁治産制度は廃止されたが、旧禁治産は新後見類型に、旧準禁治産は新保佐類型に衣替えしたものなので、新設されたのは厳密に言えば補助類型だけである。なお、家庭裁判所による後見・保佐・補助の審判は、戸籍には記載されず、新しい登記制度によって法務局に登記されることになった(ただし、登記は、土地などの登記と違って、第三者が自由に閲覧することはできない)。
 ところで、新しい補助類型については、これまで制度上は行為能力の制限を受けてこなかった軽度の精神障害を有する者が補助人の選任によって行為能力を制限され、その結果、自立と社会参加の機会を奪われてしまう恐れがあることに留意し、原則として、本人以外からの申立てを認めないという取扱いがなされるべきである。そして、すべての類型について、家庭裁判所の裁判官自身が本人を直接面接することを原則とすべきである。
 また、後見人、保佐人、補助人には、自然人だけでなく社会福祉法人などの法人もなることができるようになったことを評価する向きが多いが、社会福祉法人による施設入所障害者に対する人権侵害や障害者の財産の強制寄付、年金等の使い込みなどの事件が後を絶たないこれまでの状況を考えると、厳重なチェックが必要であると言わねばならない。
 そして、最も大きな問題は、新しい成年後見制度が、精神障害者の能力の不十分な部分を支援しつつ自己決定権を尊重するという基本理念を実現するために必要な身上監護(支援)を実質的に保障する方向に転換したものとは到底言えないことである。
 今回の改正作業を行ってきた法制審議会民法部会部会長である星野英一東京大学名誉教授は、「世間では改正後の成年後見制度は、身上監護を強化するものだ、という誤解がある」とはっきり述べ、そのような「幻想」を与えないよう十分PRすることの必要性を強調している(注1)。このことからも明らかなように、新しい成年後見制度は、能力の不十分な部分を身上支援(サポート)によって補いつつ自己決定権を尊重するという制度とは言い難いのである。
 そもそも、新しい成年後見制度は、あまり財産はない精神障害者が、身上支援を得て生活の質を高めたいという場合に利用できる制度であろうか。たとえば、精神病院入院患者の約30%に上ると言われるいわゆる社会的入院をさせられている身寄りのない患者や家族の協力を得られない患者が、退院して単身で社会生活を営むため、単身者用住宅の確保、生活保護受給申請、ヘルパー派遣申請などを行うにつき、補助人などの選任を受けてその支援を得たいと思っても、新しい成年後見制度の対象外とされるであろう。
 この点は、同じく星野教授が、能力制度(法定後見制度)は、その人の財産を管理するための制度であり、財産のない人を保護するためのものではないから、財産管理が中心になるのは当たり前のことである、という趣旨の説明をしている(注2)ところからも、また制度上、後見人などの報酬はすべて自己負担であって、負担能力がない場合には国が負担するという制度にはなっていないことからも明らかである。
 一方、任意後見制度の創設は、自己決定権の尊重という観点からは一歩前進と評価できる。たとえば、“親なき後”を心配している親などは、本人と相談のうえ、親の遺言と本人が任意後見受任者との間で締結する任意後見契約を組み合せて、親の財産が将来任意後見人によって本人の生活を支えるために使われる体制を整えることが検討できるようになった。
 しかし、これも財産がある人の話であって、あまり財産がない場合には、“親なき後”の問題は一向に解消されない。
 また、かつて、禁治産・準禁治産がさまざまな資格や職業などの欠格事由とされていたため、精神障害者差別を助長していた問題は解決できるのか。確かに今回の改正で、後見人の欠格事由から「禁治産・準禁治産」に当たる文言は削除された。しかし、他の資格等では、新たな欠格事由として「被後見人・被保佐人」を入れようとする動きがあり、警戒が必要である。特に、資格試験や入社試験の受験に際して、新設された後見登記法に基づく証明書(○○の登記がある旨、あるいは何の登記もない旨の証明書)の提出を求められるようになれば、精神障害者差別、排除の風潮は一向になくならないことになるであろう。
 ところで、以上述べた新しい成年後見法の問題点ないし欠陥を補うものとして地域福祉権利擁護制度が厚生省から提起されている。この制度は、本来、新しい成年後見制度より先んじて、そのシステムの構築、それを支えるマンパワーの確保、これまで福祉の分野で後を絶たない人権侵害をなくすための有効な第三者的人権擁護機関の設立等が推進されるべきものであるが、実効性ある内容が十分検討されないまま今日に至っており、より強力な働きかけが必要である。

〈注1、2〉「ジュリスト」、1172号6頁、有斐閣

(さとみかずお 弁護士・NPO大阪精神医療人権センター代表)