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成年後見制度への評価
-相談員の立場から-

中井和代

 言うまでもなく、精神障害者の判断能力が一律でないことは、個性や人格が一様でないことと同じであって、むしろ千差万別と言ってもよい。その意味で、禁治産・準禁治産という使いにくい、ある意味では硬直化した制度から新制度に切り替わってのスタートは、それ自体大きな一歩前進の意味をもっている。なぜなら、「精神病院に入院すれば、即、禁治産者になる、と考えている家族もまれではない」これが現実だからである。
 家族にとっては、端的に、果たして新制度は、1.使う価値があるのか、2.使いやすいのか、が評価の主要基準となろう。

1 使う価値があるのか(使える制度か)

 「保佐人・補助人の取消権が明記されたこと」「本人の同意に基づく代理権が付与されたこと」は、実効性を伴うものとして評価される。精神障害者は取引きや契約場面で、自制・拒否・だまされない等の面が弱く、実際に、無防備によるトラブルが頻出しているため、取消権の意味は大きいからである。
 また、もっとも使われやすい制度となるであろう補助制度で、申立権者の筆頭である本人に加え、「本人の同意があれば、配偶者、四親等内の親族等も申立てできる」となっていることを評価したい。改正の経緯では「本人に限定する」との意見も強かったと聞く。概して、法定後見制度の利用を考慮するほどの精神障害の状態であれば、本人の申立てのみでは、制度の実効性を欠いたであろう。
 任意後見制度については、民法上の委任・代理権授与契約の限界(代理人に対する監督制度がない、代理権の存在・範囲等を第三者が確認できない、つまり、本人・代理人・第三者のいずれから見ても信頼性の乏しい制度であること等)をクリアするものとして、文字どおり画期的制度と言える。ただ、本来的には、社会の高齢化の進行や自己決定の尊重を踏まえ、本人が自ら代理人を選定して(委任契約を結んで)判断能力の低下に備えておくという、主に老齢化による痴呆等を念頭に置いた制度であることは否めない。
 では、精神障害者は使えないか、というと決してそうではないが、精神障害は痴呆の進行のように、いわば一方向性に障害が現れるわけではないことが多い。すなわち、ある特定の側面において障害が現れる(対人関係が苦手、自閉的になるなど)、その障害も固定的ではなく、改善や増悪の可能性がある等、痴呆性の障害とはかなり状況を異にしている。これらを考え合わせると、実効性にはやや疑問がある。
 その理由は、任意後見制度はそれを活用できる当事者は全体からみれば、かなり少数であろうということ。また、任意後見契約を結ぼうというほどの精神障害者は、かなりの判断能力を有する人であり、それほどの人であれば、公正証書作成とか、家庭裁判所の介入を、むしろ煩わしいと考える可能性も大いにあるからである。
 現実的には、制度の利用上、より抵抗の少ない「地域権利擁護事業」から始まって、そこで問題あり、となった時に、任意後見制度に移行という形での実効性が考えられる。

2 使いやすいか

 まず、従来多大な時間・費用を要した精神鑑定が、補助制度では、必ずしも必要でなく、鑑定に代わる「医師の診断」または「その他適当な者の意見」で足りることとした点、また戸籍記載でなく、登記制度となった点の評価は衆目の一致するところであろう。さらに、法人や複数人による後見制度の登場も、実際のニーズに基づいており、利用しやすさの一要素となっている。もちろん、家族としては、その法人が信頼に足る適格性をもっているか否かは、特に気になるところではあるが……。
 法律にはまったく素人の世迷言と取られるのは承知で、あえて言えば、任意後見にも「本人の同意に基づく家族・親族等による契約」という形はとれないものであろうか。このこと自体、法的には論理矛盾となるのかもしれないが、現実的にはこのような形の契約があるとすれば、精神障害の特性を踏まえた、より柔軟な制度として、その利用は飛躍的となるであろうことを付言したい。
 なお、せっかくの制度も利用が少なければ、画餅に終わる。家族のレベルでの利用には制度の周知が大きな役割を担うことになる。新制度のスタートとともに、法務省から分かりやすいパンフレットが各家族会にも出回るそうで、その作成には分かりやすさをめざして、相当な配慮がなされたと聞いている。ただし、家族からは、専門家の予想を越える思いがけない質問や疑問が寄せられることが多く、全家連としてはそれらを通して、家族のさまざまなレベルでのニーズを把握し、さらにそれを関係当局にフィードバックしていきたい。

(なかいかずよ 全国精神障害者家族会連合会相談員)


〈参考文献〉
 高村浩『Q&A成年後見制度の解説』新日本法規、2000年