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障害のある子どもたちは、いま vol.20

障害のある子どもたちとテレビ

坂井律子

はじめに

 「障害」のある子どもたちやその家族に向けて、テレビには何ができるのか。このテーマにはさまざまな意見があると思います。「子どもたちやその家族」と書きましたが、そもそも「子どもたち」と「その家族」とは違うのではないかとか、「障害のある子」を初めから「一般の子ども」と分けて番組を作るという姿勢で本当によいのか、という疑問の声。あるいは、「当事者の役に立つ情報」より「障害のある人が生き生きと暮らしている様子を社会に伝えるドキュメンタリーを数多く」という声。反対に「感動的ながんばっている障害者や障害児を見せられてもかえって気が重くなる。もっと、日常に役立つ情報を」という意見もあります。
 わたしは、NHKの教育テレビで「障害のある子どもたち」にかかわるいくつかの番組作りに携わってきました。今回、まとまったことが書けるだろうかと悩みましたが、ここにあげたような声を受けて自問自答していることを読者の方に率直に投げかけてみようと思います。
 障害のある方々や子どもたち、あるいはそのご家族を取り上げたテレビ番組は、各放送局に無数にあります。そうしたすべてを論じることはもちろんできませんので、わたしがこの5年ほどかかわってきた、NHK教育テレビのいくつかの番組について、制作現場で考えたことに限定させていただくことをお許しいただきたいと思います。

「療育」からネットワーキングへ

 今年3月まで8年間にわたって放送された「子どもの療育相談」という番組があります。この番組は1か月ごとに、たとえば「自閉症」や「ダウン症」などテーマを決めて、「療育」について専門家にお話いただいたり、当事者のご家族や、場合によってはお子さん本人に話を伺ったりするもので、「障害のある子どもたちと家族への情報提供と応援歌」だと考えて制作してきました。
 毎回、取材に協力してくださるご家庭や施設を何か所も訪ねるのですが、取材を歓迎してくださる方たちがいる一方、「療育相談はきらい」とはっきり言われることもありました。
 それは「療育」の目的が「発達」であり、「障害をもった個性」を否定し、健常に近づくことがよいのだという「発達至上主義」を番組がめざしている、という批判でした。実はわたしは、初めてこの番組を担当することになったとき「療育」という言葉が何のことだか分かりませんでした。専門家に聞いてみると「治療教育」という意味であり、教育や福祉の先人たちの実践の中から生まれたということでした。
 「療育」という言葉に、なぜある種の拒否感があるのか。少し勉強してみると、「治療」のためには「診断」が必要ですが、日本では幼児期や学齢期の「診断」が、実は障害のある子を地域の子どもたちと「分けて」「特別に扱う」ことに結びついていることが分かってきました。「特別に扱う」ために「分ける」、つまり地域の普通の生活から切り離すのであれば、「特別に扱う」ことそのものがいらない。それが、わたしたちの番組に対する批判でもあったと思います。
 しかし、一方で番組には「もっとこういう障害を取り上げてください」とか「専門家の連絡先を教えてください」という問い合わせや「同じような家族を見て勇気づけられた」という声も多く寄せられました。見ている方たちの「力になる情報」は流さなければならない。しかしそれが「特別」であるが故に、地域の生活と障害児を分けていく方向に背中を押してはいけないのではないか。番組では次第に、「親の会」やそれを支える地域の人たちのネットワークなどに多くの時間を割くようになり、専門家に話をしていただくときも、シリーズの最後は、必ず「地域で生きる」ということをテーマに話していただくように心がけました。出演者の一人、日浦美智江さんは「人はだれも他人の中で生きる。他人の中で生きる力をつけることが教育であり、障害があるなしにかかわらない」と話されました。これは、大切なメッセージだと思います。

これからのテレビの役割

 「療育相談」のような「当事者」へ向けて何らかの情報を提供するという方向とは逆に、当事者が抱えている問題を社会に向けて広く発信することもテレビの重要な役割だと思います。障害のある子の家族の取材の中からわたしは、「就学時健診と就学相談」「医療的ケア」「出生前診断」「遺伝子医療」などいくつかのテーマで番組を作りました。いずれも議論が分かれている問題で、賛否の双方が番組に寄せられ、反響をもとに同じテーマで繰り返し番組を作ることもありました。番組を見て「感動した」とか「役に立った」ということだけでなく、「違うと思った」「分からない」などの意見も寄せてもらって再度考える。一朝一夕に答えの出ない問題を、取材先や視聴者とのやりとりの中で継続的に考えることも、これからのテレビに必要なことだと思います。
 また、テレビには障害者や障害児を主人公にしたドラマやドキュメンタリーが数多くあります。最近では空前の視聴率を取ったTBSの「ビューティフル・ライフ」が記憶に新しいところです。わたしはドラマに関しては一人のファンとして見るにすぎませんが、この原稿に向かい、ダウン症のお子さんをもつあるお父さんの言葉をふと思い出しました。「障害をもつ人が主人公になることはすばらしいことです。でも障害をもつ人が主役でなく、脇役で、もしくは通行人などのエキストラで出るドラマがたくさん放送されるようになったら、障害をもつ人がごく自然に身近にいるという社会になったと初めて言えるでしょう」。
 この指摘は、ドラマに限ったことではありません。アメリカのある教育テレビのプログラムには、出演する子どもたちの各グループに必ず、障害をもった子どもが入っています。「障害児向け」と銘打った番組ではなく、一般の番組、ごく普通の子どもの番組にどれだけ障害をもった子どもも参加するようにできるか、を考える時に来ていると思っています。
 わたしたちのところには、障害をもったこの子が輝いて生きていることをみんなに見てほしいという声がたくさん届きます。つい先日も、気管切開をした西原海君(10歳)がスタジオに来たいと、飛行機に乗って訪れ出演してくれました。ご家族の「この子に力をもらっています」という言葉を伝え、わたしたちも力をもらえるように、放送に携わる一人として努力していきたいと思います。

(新番組「にんげんゆうゆう」【NHK教育・月~木曜日19時30分~20時】では、障害のある方々やお子さんも数多く紹介します)

(さかいりつこ NHK教養番組部)