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具体的事件性

野澤克哉

 民法第一一条の準禁治産者から盲、ろう者削除の規定改正(一九七九年)、民法第九六九条の公正証書遺言作成に通訳人、筆談を加えるという規定改正(二〇〇〇年)などに権利を侵害されてきた当事者として、また障害者運動の一員としてかかわってきて、さらに今も多くの欠格条項の改正運動にかかわっていてどうも腑に落ちないことがある。
 それは「具体的事件性」ということである。つまり、日本では障害者団体が“こんな法律があったら困る”と言って裁判を起こすことができないということである。具体的にその法律によって権利を侵害される、たとえば聴覚障害のある医学部の学生が医師国家試験を受けようとしたら聴覚障害を理由に受けられない、または合格しても医師免許証を交付されないという場合であれば、具体的な権利の侵害なので裁判を起こすことが可能である。高等教育機関に学ぶ機会が十分にない障害者が多い現実から、こういう試験に挑戦できる障害者はさらに少ないという試験以前の問題もある。そのうえに欠格条項があり、さらに裁判権等というハードルまである。
 ドイツ、フランスには憲法裁判所があって、憲法違反の法律に対しては具体的な事件がなくても審査が開始できると聞いている。法治国家ならこれは当然のことではあるまいか。日本は法治国家というが、権利を侵害された障害者だけしか裁判を起こせないので、未だ障害者を差別している七〇以上もの欠格条項がある。薬剤師になるにせよ、医師になるにせよ、学ぶ保障も十分ないうえ、試験も障害者という絶対的欠格条項を盾に門前払いというのであれば、とても法治国家とは認めがたい。
 私は権利を侵害された者だけしか裁判を起こせないということにも強い疑問を持っている。それと民法九六九条改正の当事者として経験したことであるが、法改正を訴える場合、法務局に異義申立書を提出する必要があるが、この作成は素人にはとても時間的にも内容的にも困難である。弁護士や専門機関の協力がないととても作成はできない。日本の欠格条項はこのように幾重ものガードに守られているのである。一般の国民はこのようなことはほとんど知らないのではないか?
 今度、司法制度改革があると聞いているが、この面の改革もドイツ、フランス並みに実現してもらいたいと思う。併せてこの面で日本の法学者、国会議員の中には欠格条項の作成や承認に関与された方々もおられると思うので、ご自分たちのお立場をどのようにお考えなのか、ぜひお伺いしたいと思う。

(のざわかつや 関東ろう連理事長)