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ケアについての一考察 第11回

人工呼吸器をつけて普通学校に通うわが子

折田みどり

人工呼吸器をつけた普通の小学生

 わが家の息子、涼(十一歳)は、Werdnig-Hoffmann病(乳幼児型進行性脊髄性筋萎縮症)で、生後六か月から人工呼吸器を付けています。二歳で気管切開をして以来、二十四時間の人工呼吸管理が必要です。身体的には目と手足の指先がかすかに動かせるだけで、首も座っておらず、座位を取ることも自力で起き上がることもできません。生活全般にわたって全介助が必要です。また、経管栄養や気管内吸引などのいわゆる医療的ケアが必要で、二十四時間片時も目が離せません。
 コミュニケーションは、まばたきと、かすかに動く指先を利用してブザーなどを鳴らすという手段を用いて辛うじて取れるといった状態です。ここまで読むと、ものすごく重度な障害で自宅から一歩も出られないような子を想像されるでしょうが、彼の場合、体は寝たきりですが、生活は全然寝たきりではありません(笑)。
 想像するのが大変難しいかもしれませんが、彼は、寝たままで乗れるストレッチャー式車いすに人工呼吸器などの必要な機器類を積み込み、車いすに横たわった姿のままで、毎日地域の小学校に通う普通の小学生です(「学校大好き!勉強大好き!」と言うあたりは、今時には珍しい子かもしれませんが・・・)。
 学校では、そのストレッチャーに乗ったまま授業を受け、体育などもそのままで参加しています。もちろん友達と遊ぶ時もストレッチャーに乗ったままです。遠足やプール、自然学舎などさまざまな学校行事も、先生方の創意工夫によりすべて参加できています。地域の友だちとともに普通学級で机を並べて学校生活を送ることは、彼にとってごく当たり前のことでしかありません。

学校でだって医療的ケアは必要なのよ

 そんな彼が生活するうえで最も欠かせないケアが、痰の吸引などの医療的ケアと呼ばれるもので、これをしなければたちまち生命に危機が及ぶことになります。学校生活においてもそれは同じなわけですから、学校に通っている以上、そこでもだれかがこのケアをしなければなりません。全国でもこういった「経管栄養・酸素吸入・痰の吸引・人工呼吸器の使用・導尿など」の医療的ケアを必要としながら学校に通う子どもは年々増えており、学校での医療的ケアの実施を求める声は多くなってきています。
 ところが、何かあった時の責任を負いたくない教育行政は、「医療的ケアは医師法で禁止された医療行為だから学校ではできない」と理由付けをして、医療的ケアが必要な子には、学校への親の付き添いを求めたり、親が付き添えない子どもは、養護学校でも通学さえもさせてもらえない(訪問教育)ということが平気で行われています。
 それにしても、医療行為だから医師、医療関係者しかできないと言いながら、医療関係者でもない親がやるのはよいというのも変な話です。
 義務教育の場で、たとえ医療行為であってもそれを理由に親の付き添いを求めることは明らかに障害を理由にした差別と言えますし、いくら教育行政が整合性のない言い訳を並べ立てたところで、子どもたちが教育を受ける権利は保障されなければならず、医療行為だからできないで済ませていい問題ではないはずです。さらに言えば、その子が生活していくうえで必要不可欠なケアを拒否するということは、その子の生きる権利をも疎外することになりかねず、人間としての尊厳にかかわるとても重大な問題につながっていきます。
 医療的ケアは、「教育の場だからできない」ではなく、「教育の場だからこそ、なおさら保障されるべき」ことなのです。

たったひとりの子どもの人権を守るために

 さて、彼は現在、池田市立石橋小学校の五年生ですが、実は彼の場合も四年間、学校への親の付き添いを強制されていました。前述のように池田市教育委員会も、彼が生活するうえで必要なケアを医療行為と決めつけ、学校現場ではできないとして、医療的ケアをすることを緊急時でさえも頑なに拒否していたためです。
 しかし、この四年間、親の付き添いをなくすべく交渉と運動を重ねた結果、二〇〇〇年四月から「池田市重度障害児介護員学校派遣事業」が市単独事業として制度化、実施されることになり、親の付き添いがなくても学校に通えるという当たり前のことが実現することになりました。
 この事業は、医療的ケアを行うための介護員(有看護資格者)を福祉行政より学校現場に派遣するというもので、福祉行政が学校現場に入り込むという異例の形になっています。おもしろいことに、この介護員は、昨年度までは教育委員会に雇用されていた介助員で、雇用先が福祉に変わっただけで医療的ケアをしてもよいということになったのですから、ちょっと不思議です。要は、最後に責任を取るのはだれかというところで、結局のところ、教育委員会はどうしても責任を取りたくなかったということのようです(笑)。
 どちらにしろ、派遣事業自体の中身はまだまだ貧困ですが、池田市が、たったひとりの子どもの人権を守るために新事業を立ち上げたということは、多いに評価できるのではないかと思います。また、どこの自治体でも人権を守るという視点で本気で取り組めば、このぐらいのことはできるはずです(もちろん当事者側からの突き上げも必要ですが…)。

ありのままの自分たちで

 たとえ医療的ケアが必要であっても、子どもたちがありのままの自分で、自分らしく生きていくためには、必要なケアが必要なときに、当然の権利として受けられるだけの社会システムが必要です。必要なときに必要なケアが受けられれば、障害があっても当たり前に社会参加ができるわけですから、それが、現在のように、親が付き添わなければ学校に行けないような、いびつな形でしか社会参加できないのは、社会の側に問題があるのです。
 どんな子も、たったひとりの尊厳あるかけがえのない人間として存在するということを、私たち大人は決して忘れず、一人ひとりが地域の中で生き生きと暮らし、自立した社会参加ができるようなサポートシステムをぜひともつくっていくべきだと思います。

(おりたみどり 大阪府池田市在住)