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フォーラム2000

有珠山噴火、障害児とその家族は・・・

桜井知津子

 三月三十一日、二十三年ぶりに有珠山が噴火しました。最大時には、伊達市、虻田町、壮瞥町の住民、一万五、八一五人が避難の対象となり、その多くが避難所生活を余儀なくされました。そんな中、避難所での生活が難しい障害児のいる家庭もありました。

噴火の前に

 三月二十八日から増え始めた身体に感じる地震は、二十九日には、さらに激しさを増し、頻発する地震のため、睡眠も取れないほどになっていました。そんな中、有珠山周辺の住民には避難するように指示が出されました。
 いつ噴火が起こるか分からない状況で、三十日に北海道肢体不自由児者福祉連合協会の事務局長より、伊達の肢体不自由児者父母の会の会長に対して、噴火に関連して、「何か困ったことがあったら、相談に乗ること、北海道保健福祉部障害者保健福祉課にコンタクトが取ってあり、道立施設の協力も得られる」との連絡がありました。
 そのため、噴火前に虻田や伊達市内の影響がありそうな会員のところに、その旨連絡を取り、何か困ったことがあったら、連絡をくれるよう伝えることができました。しかし、この時点でもうすでに、連絡が取れず、そのような準備があることを伝えることができなかった会員もいました。

安全を求めて

 緊張感の高まる中、三十一日に噴火、虻田町では、広範囲に避難指示が出され、子どもを連れ、必死の思いで避難した会員もいました。最終的には、二四の会員のうち一〇家族が避難することとなりました。噴火してすぐに避難の指示が出された地区では、伊達市方面への避難路が断たれていたため反対側の豊浦町方面に避難するしかなく、会員は伊達方面と豊浦方面に二分され、会員の所在を確認することが難しい状況になりました。電話もつながりにくい状況で、被害にあっていない会員を中心に電話や避難所を回って所在確認を行い、子どもたちや避難の状況の把握、今後のことに関して連絡を取り合いました。
 障害のある子どもの避難を考えるとき、その場所が安全なことだけでなく、医療機関との距離なども問題になってきます。医療のバックアップが必要な子どもたちに関しては、医療機関、療育機関への連絡が必要となりました。
 そんな中、札幌の療育機関に避難しようとした家族が、連絡の行き違いで伊達に引き返さなければならないといったトラブルも起こりました。
 伊達にある知的障害者の総合援護施設「北海道立太陽の園」では、道からの要請により、避難家族の受け入れが可能との連絡が噴火前にあったため、とりあえず親戚の家を頼ったけれど、子どもの状況で長くはいられないと、伊達に戻ってきた家族もいました。
 一般の避難所は、たくさんの人が仕切りなどがない状況で過ごさなければならず、夜大きな声を出すことがあったり、口からの食事が取りづらかったりする障害のある子どもたちは、食事をどうやって取らせたらよいのか、ほかの人たちに迷惑をかけるのではないか、子どもたちが眠れなくて具合が悪くなるのではないか、車いすでは利用できないなど、さまざまな理由により利用できないのが現実でした。
 道立太陽の園では、使われていない職員住宅を障害のある子どものいる避難家族に利用できるよう配慮してくれたため、最終的には、父母の会の会員家族を含め、五家族が職員住宅で避難生活を送ることになりました。そのほかには、札幌の療育センターに避難した母子、札幌の療護施設のショートステイを利用し、子どもを避難させた家族、親戚を頼って避難した家族などがいました。
 後で分かったことですが、地域の障害のある子どもの中には、避難所に身を寄せたものの、眠ることができず、一週間近くワゴン車の中で寝ていたという子もいました。また、虻田町に引っ越してきたばかりで、知り合いもいなかったという自閉症の子どもをもつあるお母さんは、避難を求められたとき、「この子を連れて、避難所に行くことはできない。私は、子どもとこの家に残ります、と言ったの」と涙をうかべて話してくれました。

混乱が続く中で・・・

 一万人を超す住民が避難生活を送る状況で、現地の対策本部では混乱が続いており、障害のある子どもを抱えた家族の困難をなかなか分かってもらえず、「ほかの避難している人たちも大変なのだから、障害者のいる家庭だけを優遇するわけにはいかない」といった対応を受けたこともありました。第一期の仮設住宅の申し込みに際しても、子どもの障害の状況、家庭の事情などを繰り返し訴えていたにもかかわらず、私たちの予想に反した厳しい結果が出されました。
 その後、有珠山の噴火は沈静化に向かっているとされ、自宅に帰ることができる家族が増えたため、徐々に元の生活に戻りつつあります。しかし、有珠山は、依然として噴煙を上げており、噴火直後とは違った問題もないわけではありません。降灰の影響で、喘息を起こす人が増えている状況で、体の弱い子どもを連れては、まだ家には帰れないと思っても、行政からは「避難は解除されているのだから、援助の根拠がない」と言われてしまいます。「分かってもらえない・・・」行き場所のない思いが積もっていきます。

今後に関して

 今回の噴火のような緊急時に、障害児のいる家族の所在をどこで確認し、だれがニーズの把握をするのか、緊急時における地域の施設や養護学校などが果たす役割はどのようなものなのか、またその際、行政の枠組みをどう乗り越え、早急に問題を解決していけるのでしょうか。逃げるときに、ここからは伊達市だとか、虻田町だとかを考えて逃げる人などいるはずがありません。
 たまたま、今回の噴火では、伊達の肢体不自由児者父母の会では、会長も事務局も噴火の被害にあわずに済んだため、会員の状況の把握や行政とのやりとりをすることができました。しかし、もし、会員全員が避難しなければならない状況であったら、だれがその役割を果たせたのでしょうか? 
 できれば、医療機関や療育機関、教育機関などとの連携が取れ、障害児とその兄弟や家族の状況を把握している行政機関などが、緊急時の所在の確認やニーズの把握、その解決に当たることが望ましいと思います。特にこうした自然災害で、複数の市町村の障害児者に被害が及んだとき、地域の障害児の状況を把握している児童相談所等が積極的に情報の収集に当たったり、避難にかかわる連絡調整等を担っていってほしいと考えます。
 安全と安心を求めた数か月、「私たちのしたような、心細い、悔しい思いをほかの人たちにしてもらいたくない」という母親たちの声を、どう生かしていくのか、それは今後にかかっています。
 今回の反省を踏まえ、私たちのような障害児者に関係する団体や障害者自身、行政機関などが協力し、災害などの緊急時にどう対応していくかを考えていくことが必要なのだと思っています。

(さくらいちづこ 伊達肢体不自由児者父母の会事務局長)