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二次障害考

いさぎよく、ありのままの自分を受容し、
二次障ガイに乾杯!

川上美也子

最悪の出会い

「二次障ガイって何なの? えー! 聞いてないよ、そんなの‥!」
 私が「二次障ガイ」という言葉を初めて聞いたのは、11年前のことだった。
 しかもそれは1種1級という判決にも似た残酷な判定を受け、すでに二次障ガイに襲われた後のことで、最悪の出会いだった。
 昭和から平成に変わってまもなく、5人目の妊娠後期を迎えた私は、首の調子がおかしいことが気になっていた。「まあ、妊娠後期にはいろいろ体調の変化があるから、いつものようにそのうち治る‥」と思い直し、4月、無事に出産した。そのうち‥、そのうち‥、がちっとも治らず、ますます首はぐらつくばかりなので、9月末、思い余って受診した。
「1種1級です」
 それまで2種3級だった私には、まさに青天のへきれき。ウッソー!と叫んだが時すでに遅し、後の祭りだった。
 ぐらつく首は非常に重い。3分もすると支え切れなくなり、壁にもたれて休む。休んだら家事が進まない。家族7人分の食器も衣類も洗って、掃除も炊事もしなくてはいけない。外には壁がないから買い物には到底行けない。当時ヘルパー派遣は週2回だった。
 1級の新しい身障手帳が届いたのは、判定後1か月以上過ぎていた。福祉サービスを受けるには、その手帳を持って3分どころか、かなり時間のかかる市役所まで出かけて、申請しなくては何も進まない。そして実際のサービス開始は、さらに1か月以上先だという。もう重度化して困り果てているのに、環境は2か月経っても何も変わらなかった。
 その現実の中で私は奈落の底にいた。肉体的にも精神的にもヘトヘトだった。時折言われる、「5人も産んだせいよ」の言葉に、さらに傷つき、打ちのめされていた。
 「壁をつけて歩きたい‥」の切実な思いは車イスに結び付き、ようやく念願叶って電動車いすが届いたのは翌平成2年の2月だった。が、しばらくは乗れなかった。車いすに対しての「自分の心の葛藤」を家族の笑顔と励ましでやっと乗り越えて外に出た。
 次に私を待っていたのは、周囲の目と、同じ質問攻めだった。「一体どうしたの?」いちいち同じ説明を繰り返す。プリントにして配りたいくらいだった。聞く人はまだいい。なかには私を見ないように、いかにも気の毒そうな顔をしながら目をそらす人もいた。駅で待ち合わせをした時、一緒にいた子どもが数えたことがあった。わずか10分ほどの時間で私たちを見た人は60人を超えたそうだ。最初は視線が刺すように痛く感じたものだ。
 人々の言葉は無責任で調子いい。「5人も産んだせいよ」が「5人もいて羨ましい」に変わる。そして口を合わせたようにみんなが、「無理しないで」「頑張って」を繰り返す。一体どうせと言うんだろう。笑いたくなる。

奈落の底から

 私の障ガイがまだ軽い時、重度障ガイ者のドラマを視て、「たとえ身体の自由を失っても心は自由、よろこぶという心の自由はどんな人にもありますよと伝えたい」と思った。
 そのことを、奈落の底で思い出した。「そうか、今こそ私自身が身をもって実践するチャンスがきたんだ。よっしゃ、いくぞ!」
 そうなると痛みも寝たきりになるかもしれない恐怖も、いつのまにか冒険心に変わっていた。わくわく、ドキドキ、心が躍った。

二次障ガイのおかげで

 現在、私は電動車イスで翔び回っている。まさに、二次障ガイのおかげである。まだ軽い障ガイのままだったら、必死に社会の中で頑張って、疲れ果てていただろう。7年前に数か月間寝たきりになってからなおのこと、私は堂々とゴロゴロして、母として長生きすることに徹している。そしてわがままに翔んでいる。12月に昨年3か所目である新潟市に、書の個展のために出かけた。この「書道」も実は二次障ガイとの出会いで、完全に寝たきりになる前にたとえ一作でも書き残したい‥というスペシャルパワーのおかげでできたのだ。
 たくさんの人との出会い、新しい自分との出会い、発見、感動‥‥、二次障ガイ様様だ。

好まない二次障ガイを遅らすために

 本人も動ける、周囲もできると思っている軽い障ガイのうちから、みんなで大事にしてほしい。のろいとか、できないとかで落ち込まないで、それでもやってる自分を誉めながら、現状維持のために堂々とボチボチやろう。福祉サービスも重くなった人に援助するだけでなく、軽い人が重くならないような視点での軽い人へのサービスを手厚くしてほしい。たとえばひとり親優先の保育園、3級当時に育てた私の、上の4人の子どもたちは皆、満2歳まで入れてもらえなかった。ぜひ一考を望む。
 結婚前や妊娠前の女性に、「もしかして産まれてくる子どものためにも、しっかり優先順位を考えて」と言うことがある。オッパイをあげるとか、スキンシップをするとかは、代わりがない第一優先。家事など日常生活で代わりにやってもらえることは第二。自分の障ガイと将来の展望、介助者とのかかわりを考えながら、長く元気でいること。
 5人目は抱っこできなかった私のお願い。
 母である自分が抱けないで、保母さんや家族や介助者に抱かれてよろこぶわが子を見ると、母親失格かと落ち込んでしまう‥。周囲の方々、そんな母親に声をかけてください。「あーら、さっすがお母さんねぇ、○○ちゃんの笑顔がとびっきり!」って。お母さんも自信を持って‥。○○ちゃんと10か月も一緒にいたのは、世界でたった一人、お母さんだけ。だれもかなわない二人の絆があるんだから。

万が一、二次障ガイを迎えたら

 ようこそ、ステキな世界へ!
 いさぎよくまず、ありのままの自分を受容しましょう。心は自由。発想の転換です。
 まだまだ続く人生、楽しく前向きに生きる先には、ニューアンドグッズ(新しいことといいこと)が溢れて、貴方を待っています。
 二次障ガイに乾杯!

 最後に、今年出版予定の、書とエッセイの私の著書に掲載する予定の詩を抜粋します。

 なりゆきを悲しんだら 悲しい人生
 なりゆきを苦しんだら 苦しい人生

 なりゆきを楽しんだら 楽しい人生
 なりゆきをよろこんだら よろこびの人生

(かわかみみやこ 東京都在住)