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障害者権利条約制定への飛躍の年に

松井亮輔

地域会議開催のいきさつ

 2002年の国際リハビリテーション協会(RI、現加盟国84か国、本部ニューヨーク)アジア太平洋地域会議(4年ごとに開催)は、もともとはオーストラリア・ゴールドコーストでの開催が予定されていたが、同会議を招致したオーストラリア障害者リハビリテーション協議会(ACROD)から、内部事情(財政問題など)でその開催が困難になり返上したいとの申し出が、昨年8月下旬リオ・デ・ジャネイロで開かれたRI年次総会の直前にあった。そこで同総会中、急きょアジア太平洋地域委員会を開き協議したところ、アジア太平洋障害者の十年推進キャンペーン会議や障害者インターナショナル(DPI)世界会議開催がすでに決まっている日本で、それらの会議とリンクした形での開催要請が決議された。その決議を受け、総会では満場一致で同地域会議及び2002年の年次総会を日本で開催することを決定した。
 このように同地域会議は、当初から日本開催が予定されていたのではなく、いわばハプニングで急に決まったわけであるが、2年という極めて限られた期間の中でもそれなりの対応をし得るという日本への信頼と、特にアジア太平洋障害者の十年推進でイニシアティブをとってきた実績が各国から高く評価されたことが、わが国にお鉢が回ってきた主な理由と言えよう。
 RIアジア太平洋地域会議の日本開催は、1965年(第3回汎太平洋リハビリテーション会議)に続いて2回目である。前回の同会議は、わが国におけるリハビリテーションの概念や技術の普及に大きく寄与したとされるが、今回は、専門家団体と障害当事者団体が連携して障害者権利条約制定に向けての取り組みなどを進める絶好の機会となると思われる。

障害者権利条約制定への動き

 2002年は、RIにとって創立80周年目にあたる。それを記念して、同年の年次総会に間に合うよう80周年誌出版などの準備がプロジェクトチームを中心に進められているが、RIにとっての最重点課題は、障害者権利条約制定に向けての国際的努力の結集である。同条約については、一昨年ロンドンで開かれた年次総会で採択された「RI2000年代憲章」の中で提案され、その制定をめざして国連・社会開発委員会や人権委員会、並びに各国政府などへの働きかけが積極的に行われてきた。
 じつは、こうした条約の提案は、はじめてのことではなく、1987年にはイタリア政府が、また1989年にはスウェーデン政府がそれぞれ国連総会で「障害者差別撤廃条約」として提案したが、いずれも財政上の問題や、他の人権規約・条約に障害者も含まれているなどを理由とする反対多数で否決された。そして、その妥協策として実現したのが、1993年の「障害者の機会均等化に関する標準規則」である。しかし、国連・社会開発委員会の特別報告者であるベンクト・リンドクビスト氏も認めているように、同規則はあくまでガイドラインであり、それを遵守するかどうかは、各国政府の自主的な判断に委ねられている。障害者に一般市民と同等の権利を保障すべく各国政府に障害者施策推進を義務づけるには、同規則の一部手直しなどでは不十分であり、条約化が不可欠というのが、RIの主張である。
 昨年3月、RI加盟国でもある中国障害者連合会の主催で北京において開かれた「世界障害NGOサミット」では、「障害者の完全参加と平等達成のための法的拘束力をもつ権利条約制定」を主な内容とする「新世紀における障害者の権利に関する北京宣言」が採択された。同サミットに参加したDPI、世界ろう連盟(WFD)、世界盲人連合(WBU)、国際育成会連盟(II)及びRIの各代表は、同宣言をベースに障害者権利条約制定に向けて国際、地域及び各国レベルで協力活動を展開することに合意している。
 また、昨年末バンコクで開催された2000年キャンペーン会議で採択された「アジア太平洋地域における障害者の権利推進に関するバンコク新千年紀宣言」でも、障害者権利条約制定がうたわれている。
 RI2000年代憲章の取り纏(まと)めで中心的な役割を果たしたアーサー・オライリーRI前会長をはじめ多くの関係者は、同条約が実現できるかどうかの山場は、2002年の国連総会にあると見ている。そうした意味でも、同年に時を同じくして、日本で主要会議を開催するDPIとRIの動きが、国際的にも注目されている。
 同条約制定には少なくとも5年単位の取り組みが必要であり、そのためのエネルギーをいかに持続し得るかも関係団体にとって大きな課題であろう。にもかかわらず、同条約の制定は、2002年で終了するアジア太平洋障害者の十年以降も引き続いて、障害者の完全参加と平等の実現に向けての国際的努力の継続が担保されるが故に、極めて重要である。関係団体が総力を結集することにより、2002年が同条約制定に向け、一大飛躍の年となることをこころから期待したい。

(まついりょうすけ RIアジア太平洋地域委員会委員長)