音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

ほんの森

梅原猛・日比工著
魂の言葉

評者 花田春兆

 冒頭で共著者の梅原氏は――あなたのような病に悩む人は世の中に数多いと思います。しかし、あなたのような詩や小説の書けるのはほんのわずかの人であると思います――と書かれている。
 敢えて反論する非礼を冒す気はないのだが、私ならさらにもう一言――よし、書ける人はいたとしても、それを認め指導しアドバイスし、より広い世界へのステップを用意してくれるような、良き師に恵まれるのはさらにわずかな人に限られるでしょう――と加えずにはいられない気がする。
 私の知る限りでも脳性マヒで、高踏的な詩を書き、心象的な文章を綴る人に事欠くことはない。
 自己の存在意義を実存主義に託そうとした人はいたし、小林秀雄に魅かれていた人も何人かいた。
 が、評価する指導者に恵まれず、世に出られないままに終わろうとしている。
 梅原氏と師弟の往復書簡で、著書をともにできる日比君の幸運を思わないわけにはいかない。
 もちろん詩や小説ではないにしても、ここにある文章は日比君ならではのスタイルを持つ点で、他に書ける人はいないことになろう。
 そう、バタ臭く哲学的で、難解でもあり、詩的な飛躍に満ちた表現にちりばめられている。(もしも、明快で現実的で日本を語る梅原氏の書簡が挿入されていなければ、私は日比君の文章に付き合いかねたとも思えるほどだ)
 逆説的になるかも知れないが、コミュニケーションを阻害する言語障害をもつがゆえに、言葉というものの持つ不可思議な力に異常なまでの執着を示し、欠落した不自由な身体のゆえに、スポーツする肉体に神秘なまでの美と詩と意義を見い出し、トイレ以外には机の前を離れぬ動きのない生活ゆえに、流れ去る音楽の神髄に触れることを得、それらに触発された思考を、独特な文体によって結晶させたのが、この書なのだ。
 だから、根ざしている原体験や、障害者施設で遭遇した生命に至らないただの命の存在とか、ボランティアなり福祉職員の中に見られる意識の欠如なり誤った処遇に対しての批判という感性は同じだとしても、その目標や表現方法は、社会への適合・平等をめざす障害者運動の大勢とも、日本のことしか知らない私とも、かなり異質なものを含んでいる。
 しかし、異質だからこそ敢えてたまには触れる必要があるのだろう。欠落させてしまっているかもしれないものに気付くために。

(はなだしゅんちょう 俳人)