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ケアについての一考察

視覚障害者にとっての日常生活上のバリア

江村圭巳

 視覚障害者が日常生活を送るうえで困難だと思う点は、文書処理と移動だと思います。これらについて、日頃感じていることを少し書かせていただきたいと思います。

 私は、小4の娘を育てながら教育公務員として勤務している全盲の視覚障害者です。子どもと二人で暮らしているため、普通文字で書かれた簡単な文章を読み書きするという作業は、もっぱら子どもの仕事になっています。ただし、今だからこそ「子どもの仕事」という表現ができますが、2年ほど前までは、ほとんど隣人に頼っていました。もちろん内容にもよりますが、少なくとも急ぎのものなのか、差出人がだれなのか、ということが分かるので、少し気は引けますが、急ぎのものは職場に持っていって同僚の協力を仰いでいます。
 さて、いつの時代でも「視覚障害とは情報障害である」と言われますが、まさにその通りです。コンピュータやその他の機器の発達によって、私たちのそれはかなり改善されましたが、不定期に送られてくる郵便物や不在配達票、掲示、家族にかかわる連絡事項などには対応しきれません。娘が保育園に通っているころには、送り迎えの際に先生方と毎日連絡が取れたので、さほど不自由は感じませんでした。しかし子どもが小学校にあがると、連絡事項など書類の量は格段に増えてきます。なるべく担任の先生と電話で連絡を取り合いましたが、網羅しきれません。そこで、ファックスを使って、親しい友人に書類を送って読んでもらうことにしました。これはかなり有効でした。地域のサービスとして、ファックスによる書類の代読がありますが、残念ながら昼間働いている私には、利用不可能なサービスでした。
 書類の内容を把握することは、ファックスの利用や、隣人、友人に直接読んでもらうことで、なんとか解決できますが、書き込む、ということはさらに大変なことです。社会福祉協議会やボランティアセンターなどでは、ガイドヘルパー、ホームヘルパーなどの派遣サービスを行っていますが、これも私にとっては、二つの理由から使いにくいサービスとなっています。
 その一つは、事前に予約をして、できるだけ平日の昼間に設定することです。本当はとても便利なサービスなのですが、予定が立ちにくいことに加えて、自分の希望を言いにくい現実があります。もう一つは、プライバシーの保持の問題です。ちょっとしたことの代読・代筆については助かりますが、税金やその他金銭に関する内容などは、やはり頼みにくいものです。以前、銀行口座を開設する際、直筆で書けないので口座を開設できないと言われたことがあります。ボランティアの方と一緒に行って書いていただけばスムーズにことが運んだのではないかとも思いましたが、それだけのために事前に予約をするということのほうが、自分にとっては負担でした。
 障害をもっているから自分の好きな時間に用事を済ますことができない、というのはおかしな論理です。たとえば、身分証明書を提示することによって、担当窓口での代筆が可能になるなどということはできるのではないでしょうか。ほんの少しの理解と手助けによって、精神的なバリアが取り除かれると思います。
 次は移動についてです。地域社会のなかでは、一番援助の多い分野になるかと思います。私たち全盲者の多くは、盲導犬や白杖を使って歩いています。確かに以前に比べ、信号や横断歩道、駅やバス停などで声をかけてくださる方も増え、関心をもつ人が多くなったと言えます。その反面、無意識のうちに狭い歩道や誘導ブロックの上に荷物や自転車が置かれていたり、音響信号がうるさいと言う声を聞いたりすることがあります。総論的には障害者の住みやすい社会と言っても、自身の便利さの追求が優先されてしまうという、悲しい事実があります。
 私が以前住んでいたところは、点字ブロックが少なくて歩きにくかったので、直接警察署に「誘導ブロックの敷設」を頼みに行きました。年度末予算の消化期だったのか、運良く1か月ぐらいでブロックが敷かれました。結果的にはよかったのですが、疑問もありました。たとえば車歩道の段差や誘導ブロックは私たち視覚障害者にとっては便利ですが、必ずしもすべての障害者に便利だと言うことはありません。
 最後になりましたが、福祉サービスに関する件や施設・設備の設置については、個々の障害者を対象にするのではなく、健常者も含めて、さまざまな障害をもつ人同士が、住みやすい社会について意見交換することが、今後の課題になるのではないでしょうか。

(えむらたまみ 筑波大学附属盲学校教諭)