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二次障害考

頑張ることを求められた時代
ポストポリオ

―私の場合―

東俊裕

 私は現在48歳。妻と子ども2人の4人暮らし。生まれは1953年1月で、生後1年5か月後、ポリオに罹患した。母の話によれば、急に足が立たなくなり、それから1週間ほど高熱で意識不明の状態が続いたそうだ。結局のところ、右下肢機能全廃、3級の障害認定を受け、以来現在に至っている。
 ポリオ全盛時の障害者は私も含めて、身体的にも精神的にも障害者が社会に適合するよう頑張ることを求められる時代に育った。思えば、これまで、右足にアパラート、両手には松葉杖の姿で、どれほどの道のりを歩いてきたことか。雨が降っても傘もさせず、同級生が先に行っても待ってくれとも言わず、重たい荷物は杖と一緒に握りしめ、たとえ4階でも5階でも汗をかきかき登りきり、何十本もの杖とアパラートを履きつぶしてきた。ポストポリオが待ち受けているとも知らずにである。
 杖で歩ける者には、車いすは御法度であった。私自身、司法試験の浪人中に身障スポーツと出会う(82年、29歳のころ)までは、車いすに乗るなどとは思いもしなかった。しかし、車いすは、杖の世界とは全く違った世界を与えてくれた。あくまで私にとってであるが、杖は、私を健常者社会に適合させる道具であったが、車いすは障害者の仲間入りをするのに大きなきっかけとなった。身障アーチェリーや車いすマラソンを始め、やがて、自立生活運動にかかわるようになったが、最初に、ポストポリオの話を聞かせてくれたのは、自立生活運動のリーダーの1人である中西由起子さんだった。アメリカのリハビリテーションギャゼットの情報を基に、その話をしてくれたが、その当時は大したことはないだろうと高をくくっていた。
 実際に、異常を特に感じるようになったのは94年(41歳)ころからで、右手の親指に力が入らなくなってしまったのだ。具体的に言うと、親指の付け根の筋肉が手のひら側も手の甲の側もなくなり、親指と人差し指の先端をくっつけて○を描けない状態である。
 こうなっては、ポストポリオに違いないと思い、北九州の大きな病院に診察にも行ったが、はっきりした原因は不明とのことであった。そこで、地元のリハビリ関係の病院で診断したところ、腕の神経伝達速度が格段に遅いということが分かり、ステロイド剤を使用した療法を試みようということになったが、治療は薬の副作用を抑えるため、食事療法を併用する必要があるということで、3か月の入院を要した。入院中は、ステロイド剤の服用と指のリハビリに明け暮れたものの、残念ながら、結果としては、ほとんど回復することはなく、現在も、たとえば、ホッチキス、爪切り、はさみ、はし、ドライバー、ワイシャツのボタンかけ等右手の親指を使う作業などは思うに任せない状態が続いている。
 入院以後、医者から無理なことはやめるように言われたこと、弁護士稼業が忙しくなり、練習の時間もとれないこと等もあって、今は車いすマラソンからは手を引いている。
 また、握力がかなり落ち、重たい書証を杖をついて持ち運ぶのが大変で、指や腕に負担をかけると、さらに悪化する危険があるので、日常生活のために車いすを常用することにしてしまった。
 しかし、その結果、体重が増え左足の筋肉の衰えが目立ってきた。昔のような杖の生活に戻るのは、もうできないかもしれない。足をとるか、手をとるのかの選択を迫られている格好であるが、しかし、社会を変えれば、車いすでも快適な時代が来るだろうと、あまり深刻には考えてはこなかった。
 ところが、最近では次第に左手も筋肉が落ちており、進行具合が気になっている。症状が固定していればそうでもないが、進行していると感じるときは、さすがに、やばいかなという気持ちになる。
 しかし、かといって、このまま放っておけばどの程度まで進行するのか、対策を講じるにしても効果が期待できるのか、全く情報を持たないので、日々の業務に追われ、何もしないまま、時間だけが経過している状況である。
 有効な治療の情報でも入れば、治療したいという気持ちもあるが、少し我慢すればいいかという気が先に立ったり、障害をありのまま受け入れることが自立生活運動の第一歩などと理屈を付けて納得させたりもしているが、実際にキーボードも打てないような状況になれば、生活のリズムや仕事の仕方などが全く変わってしまう。そうなってからでは遅いのか、そこまでは進行しないのか、そこら当たりの見極めができればと思っている。
 このごろ、女性を中心にポストポリオに関する運動が盛んである。なぜ女性を中心に盛り上がっているのか。男性のポリオ障害者は、潜り込んだ社会の中ですでに力を使い果たし、立ち上がる力も残っていないのか、諦めが先に立つのか、その社会的背景論議は別にしても、ポリオ世代全体の大きな運動となることを期待しているところである。

(ひがしとしひろ 全国自立生活センター協議会権利擁護委員会・弁護士)