音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

障害者差別禁止法に関する国際的動向

池原毅和

1 障害者差別禁止のアプローチ

 障害のある人の権利を守る法制のあり方としては、4種類のアプローチがあるとされます。第1は、障害のある人に対する差別や権利侵害に刑罰などの罰則を定めるもので、第2は、憲法で障害のある人の権利を明文化するもの、第3は、民事法に障害のある人の差別禁止を規定するもの、第4は、社会福祉法に障害のある人の権利を規定する方法です。
 罰則によるアプローチとしては、たとえば、雇用や企業活動、公共サービスの分野において障害のある人を差別した場合に2年以下の懲役や罰金に処するとする(ルクセンブルク、フランスなど)ものや、障害のある人に対する侮蔑的な言動やハラスメントを処罰の対象とする(香港では2年以下の懲役)ものなどがあります。罰則は、刑罰として科す方法と行政罰(わが国の交通反則金のようなもの)として科す方法があります。
 憲法に明文をおく方法としては、たとえば、わが国の憲法14条の「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により…差別されない」というような平等条項の中に「障害の有無」というような新たな一語を加えるというのが一般的ですが、交通アクセス権について具体的な権利規定をおいたり(フィンランド)、障害のある人の代表を議会などに一定数選出しなければならないことを定めたり(マラウィ、ウガンダ)、手話を用いる権利を規定する(フィンランド、南アフリカ、カナダ)憲法もあります。

2 それぞれのアプローチの効果と限界

 罰則によって障害者差別をなくしていくアプローチ、障害者差別が強く非難されるべき違法性の高い、人間の尊厳を侵す行為であることを明示する点で魅力的な反面、刑罰である以上、差別をしようとする者の故意や悪意という主観的な要素を犯罪の成立要件に加えなければならないという問題があります。障害のある人に対する差別は、必ずしも悪意に基づくものばかりではなく、ときには加害者本人は慈善的な意識で結果として極めて差別的な取り扱いをしてしまうことさえありえます。ここでは明確に意識された差別意志というものよりは、無意識の配慮のなさや人間存在のあり方についての想像力の欠如(ステレオタイプの発想)が問題なのです。しかし、故意や悪意を要件とする刑罰は、このような場面にはほとんど機能できないため、実際に処罰をされた事例はほとんど見当たらないと言われています。
 次に、憲法は国の根本法規ですから、そこに障害のある人の差別を禁止する規定をおくことは、障害のある人がそれ以外の人と同じようにかけがいのない尊厳を有し、他の人と同様に平等に取り扱われることが、その国の基本的な価値となることを宣言する意味を持っています。また、憲法は最高法規ですから、その下位のあらゆる法令は、憲法に反することはできないので、憲法に規定を置くことで一括して国の法制を変化させることも期待できます。けれども、憲法によるアプローチは、第1に、平等条項の中で「障害」と「差別」の定義がされていないので、結局、具体的な問題が起こったときに「差別」かどうかが明確にならないという限界があります。また、そのため実際の訴訟で、憲法規定を前提に具体的な権利救済の要求ができない(裁判規範として認められない)危険性も否定できません。
 さらに、憲法は基本的には、国家(公権力)と個人の関係を規定するものですから、私人間(民・民)の関係には直接適用されないという限界があります。これについては、国家行為同視説とか間接適用説によって、問題を解決する余地もなくはないですが、障害のある人に対する差別が、日常的な市民生活の中で多く起こりうることを考えると、市民生活における差別の問題をストレートに解決する法律があることが必要になります。
 従って、ADA法のような私的、市民生活レベルにおける差別問題を直接視野に入れた法制のあり方が、もっとも効果的だということになります。ADA法のように民事法のアプローチをとる国々はすでに相当多数に及んでいます。この中であらゆる社会生活の場面に関して網羅的な差別禁止規定を定めているのは、オーストラリア、カナダ、香港、フィリピン、アメリカ合衆国、英国などです。
 このアプローチは、刑罰や憲法によるよりも規定が詳細で、ほとんどの法において、差別とは何か、平等な取り扱いとは何かが定義されています。また、これらのアプローチの特色は、法の内容を実現するための手段を法律自体の中に規定していることです。それらのものとして伝統的な裁判所による解決のほかに、人権擁護あるいは機会均等化のための委員会やオンブズパーソン、全国協議会などを設置することを定めています。障害のある人に対する差別の禁止は個々の差別や人権侵害の救済にとどまらず、また、法の遵守状況をモニターする機関の設置もなされている場合が多く、大変多くの国で、法の遵守状況のモニターは障害者団体の代表者たちに任せられています。

3 社会福祉法のアプローチと民事法アプローチの違い

 比較法的に見ると、社会福祉関連法規に基づく差別禁止規定は個別の問題点を手直ししていくものにすぎず、社会福祉関連法では、障害のある人の問題について、メディカルモデルから人権モデルへの転換が明確にはかられていないといわれます。
 従来、一般の民事法は、19世紀的な市民社会(平等な市民相互の自由な契約に基づく自由競争の社会)を前提とした法制であり、そこから発生した失業や疾病、貧困という社会的な矛盾を社会法や社会福祉関連法が補っていくというように理解されてきました。けれども、その法制自体に市民社会を構成する市民像のステレオタイプ(教育のある健常な壮年男子)があり、疾病や障害などにより市民社会の自由競争に参加しえないと見なされた者は、慈善の対象として社会福祉関連法が手当をするという考え方に立っていたわけです。そのため、逆に社会福祉関連法の与える恩恵を受けるためには、第一条件として、疾病や障害の有無や程度が医学的に厳密に認定されなければならず、その認定を受ければ、市民社会ベースの生き方は障害ゆえに不可能と見なされ、特別な恩恵を受けて生活をする福祉ベースの人生を歩かされることになります。
 このように二つの法制は、社会の中に二つのレーンを作り、一つはメインストリームの競争レーンとし、もう一つはメインストリームから排除された人の恩恵レーンとしてしまったのです。二つのレーンは共にかかわることのないものとして、法制度が人々の生きる社会の領域を分離し、隔離してしまいました。社会福祉関連法のアプローチは、こうした前提を維持しているのに対して、民事法によるアプローチは、市民社会を構成する市民像のステレオタイプを修正し、市民像をより本来の人間の多様な存在のあり方に近づけて理解し、機会均等の前提条件を整備して、この分野でのレーンを一本化しようとする試みと言ってよいでしょう。

4 わが国の課題

 ADA型の差別禁止法は文明国の国際標準と言っても過言ではなく、2002年に札幌で予定されているDPIの世界会議などに向けて、差別禁止法の制定を現実的に進めていくことが重要です。アメリカと日本では状況が異なりますが、ADAの制定過程などを見ると、こうした法律は議員立法の手法で制定に推進力を付ける工夫も必要ではないかと思います。

(いけはらよしかず 東京アドヴォカシー法律事務所弁護士)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2001年9月号(第21巻 通巻242号)