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障害の経済学 第22回

「世の光」効果なるもの

京極高宣

はじめに

 私の連載の第1回(本誌2000年1月号)で、いわば乙武(おとたけ)効果なるものを分析しました。その際は、あくまで経済的な生産性を単純に計算し、通常の障害者も経済活動に参加すれば、仮に乙武氏の生産性より極めて低くてもそれなりに貢献することを明らかにしてみたのです。もちろん、私はこうした論理には乙武氏のようなエリートを過大に評価するのではないかという、批判的な意見や反発が読者の中にでることは十分承知していたつもりです。その間、糸賀一雄の福祉思想を研究する中で、私は通常の経済学的思考がきわめて一面的であることを深く反省するようになりました。拙書『この子らを世の光に─糸賀一雄の思想と生涯─』(NHK出版、2001年2月参照)というのも、重度の障害をもつ人が必ずしも生産的な経済活動に参加しなくても、自立生活に意欲的に立ち向かえば、広く社会経済的な意味で、大きな社会経済的な効果を生み出すといえるからです。その点に関して、以下述べてみることにしましょう。

1 ガルブレイスの依存効果との比較

 かつてガルブレイスは『ゆたかな社会』(初版、鈴木哲太郎訳、岩波書店、1960年)の中で、先進資本主義においては急速な工業化により、単に消費者の需要が生産を喚起するのではなく、消費者ローン、広告宣伝などを引き金にして逆に生産が欲望を引き起こし、消費者の需要を創造する中で豊かな大衆消費社会が実現することを分析しました。こうした効果を彼は、依存効果(dependent effect)と呼びました。少し長いのですが、その部分を引用してみます。 
 「社会が裕福になるにつれて、欲望を満足させる過程が同時に欲望を作り出していく程度が次第に大きくなる。これが受動的におこなわれることもある。すなわち、生産の増大に対応する消費の増大は、示唆や見栄を通じて欲望を作り出すように作用する。あるいはまた、生産者が積極的に、宣伝や販売術によって欲望を作り出そうとすることもある。このようにして欲望は生産に依存するようになる。─略─欲望は欲望を満足させる過程【生産の意─引用者】に依存すること…を依存効果と呼ぶのが便利であろう。」(ガルブレイス前掲書、144~145頁)
 右に見たガルブレイスの考え方をひねって重い障害をもつ人に採用すると、次のように見ることができます。
 すなわち、糸賀が述べたように「この子らに世の光を」ではなく「この子らを世の光に」という意味で、経済的余裕が重度の障害者の自立生活を可能にするのではなく、逆に重度の障害者の自立生活を求める意欲が広義の社会経済的な意味での豊かさを生み出すのではないかということです。私はこれを、いわば「世の光」効果と名付けてみたいと思います。

2 糸賀思想と「世の光」効果

 さて糸賀一雄は、世の光について次のように述べています。
 「私が“この子らを世の光に”といったのは、世の光として自前で生きている姿、太陽や星のように自分自身で光っているということです。─略─おしめを毎日取り替えられている一人の重症の青年が、ある日、力んで一生懸命腰を持ち上げていました。その力が電気のように手に伝わって保母はハッとしました。─略─伝わってくるその響きに生命というものを感じさせられたのです。その喜び、驚き。これこそが自己表現、自己実現の姿なのです。」(糸賀一雄著作集3、382頁)
 また次のようにも述べています。
 「この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものである。─略─その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちの願いは、重症な障害をもったこの子たちも立派な生産者であることを認めあえる社会をつくろうということである。」(同上、112頁)
 社会経済的に見て、障害者の自立生活に向かう姿勢は、第1にそのこと自体が介護の軽減などに寄与するだけでなく、第2に周辺の人々に感動を与え、周辺を明るくし、第3に、強いては社会全体にも希望と夢を与えてくれるのです。こうした効果は、糸賀の言う意味での「世の光」効果なのです。もちろん、言い換えると、ある種の自立生活への希求がもたらす効果という意味で、依存効果ではなく自立効果(independent  effect)ということができます。こうした効果は、狭い経済学的見地からは見ることはできませんが、社会哲学的あるいは社会経済的な視座からは、立派な生産的効果を見ることができます。
 ところで私ごとで恐縮ですが、先般、日本社会事業大学で第9回介護福祉学会が開催された折に、ゆきわりそうの障害者や職員によるベートーベンの第九の合唱がアトラクションとして行われました。ドイツ人のゲストも含めて参加者に大きな感動を与えてくれました。これも障害者が発する光が私どもを照らした象徴的な事例ではないでしょうか。

(きょうごくたかのぶ 日本社会事業大学学長)