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ワールドナウ

東チモールの障害をもつ人々

長田こずえ

 東チモール(2001年11月現在)は、まだ国連の臨時政府の下にあり、今年1月以降完全に独立するまで、国連と東チモールの人々の選挙で選ばれた代表が力を合わせて、新しい民主的な国家再建のためにがんばっている。筆者は昨年の1月より7月まで7か月間、幸運にも国連の出向職員として、東チモールの国造りに参加した。
 この報告書は、筆者が東チモール国連臨時政府、社会労働局の社会福祉課長として、障害者班を立ち上げるために行った調査より抜粋したものである。そして、ここで表明した意見は筆者個人のものであることをおことわりしておく。

東チモール

 1999年8月30日に東チモールの人々は、国民の8割を超える圧倒的多数で、インドネシアから独立の道を選んだ。この民主的な選択を受け入れなかったインドネシア統合派の民兵たちは、怒りに狂い、国土の7割を完全に破壊した。学校、病院、一般の住宅、道路、その他通常の人間の生活に必要なもろもろの物を破壊し、多くの人々を虐殺した。現在でも、インドネシア領の西チモールには、元インドネシア統合派の民兵を中心に、約25万人の難民がそのまま居住し続けている。東チモールの全人口が約85万人であるから、これは4分の1以上に上る大変な数である。
 国民一人あたりの経済総生産額は500ドル以下、平均寿命は50歳以下、人口の8割が専業農業に従事して、食べていくだけで手一杯、いわゆる貨幣経済には参加していない。国連の統計によると、アフガニスタンやアフリカの最貧国と同じレベルにある。

障害者の統計

 障害者の統計は存在せず、したがってパイロットスタディーを頼りに概算するしかない。カンボジアトラストという、地雷の犠牲者の活動で有名な英国のNGOが2000年1月に行った調査によると、東チモールにおける障害者の割合は国民全体の1.5~2.5パーセントで、この中には視聴覚障害者は含まれない。したがって、障害者すべてということになると、もう少し多いと思われる。身体障害者だけで少なくとも1万から1万7000人くらいはいるはずである。義足や車いすなどのサポート器具が必要な人は、全国民の1パーセントはいるということである。ただし、カンボジアやアンゴラなど他の内戦後の国とは違い、地雷の被害者はいない。しかしこのほか、数多くの人々、特に子どもたちや青少年が内戦の悲惨さを経験した結果、精神的な障害をきたしているケースが多い。精神面でのリハビリも必要である。したがって、障害者統計は他の最貧国とほぼ同様と見てよいだろう。

サービス機関と障害者の活動

 まず、国連臨時政府の社会福祉課障害者班。この部署は筆者が着任したときにはまだなかったが、筆者がここにドミンゲスとジョキンという2人の優秀な青年(どちらも男性)を採用した。2人は障害者の福祉、訓練を専門に担当している。まだ昨年の6月にできたばかりで、まともに予算がついていないため、現在、この唯一の政府の障害担当機関は、他のNGOや外国の慈善慈悲団体などをサポートしている。そして、自分たちが有能な職員として自立してやっていけるようになるための訓練などに忙しいが、それとは別に他の国連機関や政府機関、NGO、ドーナー国、民間企業などと協力して障害者の権利を守る法律、規律を作り上げるのもこの班の課題である。しかし、職員が2人しかいないし、優秀だがまだ経験不足であり、予算もほとんどない状況なので、当分の間は外部のサポートが必要かもしれない。日本の障害者団体などにぜひ支援をお願いしたい。

メアリーノール修道女会

 メアリーノール修道女会は、東チモールの首都デリーから山間部を車で約2時間走った山の真ん中の町、アエリューにあるカソリックのNGOで、過去数年間ここでCBRプロジェクトを運営している。コミュニティーの中で障害者を探し当て、彼らのニーズに耳を傾け、★啓蒙→□□★運動を行っている。そして、何よりも義足やリハビリ、車いす、手術などが必要な障害者を、CBRを通して病院やリハビリ専門施設に紹介することでかなり成果を上げてきた。これまでに約700人の障害者をインドネシアのフローレス島にある病院や、リハビリ専門施設に送り込んだ。つまり、インドネシア統治時代にはインドネシアの近隣の島にいかないと、まともなリハビリ施設はなかったのだ。現在、独立宣言後はこれも政治的に不可能になり、時々訪れるオーストラリアなどの医師団に頼るしかない。
 現在この新しい独立国、東チモールにはたった18人のチモール人医者と約8人の理学療法士しかおらず、義足を作る技師などはほとんどいない。前述のカンボジアの義足リハビリプロジェクトで有名なカンボジアトラストが東チモールに参加しようとしている。しかし、資金繰りに悩んでいるようだ。偶然だが、前述のメアリーノール修道女会もカンボジアでワットタンという職業訓練プロジェクトを運営している有名なNGOである。妙なところに東チモールとカンボジアの接点がある。

Aishun Foundation

 次は、デリーの郊外、デルタにあるAishun Foundationという現地のNGOを紹介する。ここはカソリックの神父によって2000年に建てられた、障害をもつ子どもと青少年のためのホームである。現在は約20人の子どもたちが、マリオ・カルドスを含む3人の先生たちと一緒に生活をしている。ここで生徒たちは通常の生活を行うためのスキル、その他絵画、音楽、彫刻、そしてパソコンなどを習っている。著者はこのホームを何度か訪問したが、経済的な支援が必要と感じた。Aishun Foundationによると、毎日の食費や交通費、その他の経費をまかなうのに台所は火の車だということである。
 首都デリーには現在、ここ以外同様のセンターはない。このセンターがなくなったら、この最貧国でいったいこの子どもたちはどうなってしまうのだろうか? 心配である。

アクティブ リハブ活動

 国連開発機関に勤めるナイジェルというリハビリに関心のある、コンピュータ関係の職員が始めたボランティアグループのアクティブ リハブ(active rehab)という活動は、注目に値する。著者もこのグループの参加者であったが、これは東チモールの障害当事者が集まり、自分たち自らがお互いに助け合いながら自立生活をめざす、能動的な活動である。
 “アクティブ リハブ”というコンセプトはもともと北欧で生まれ、ポーランドなどヨーロッパを中心に広がり、マレーシアなどでも広まっている。これは、車いす使用者が政府指導のアクセス改善を気長に待たずに、アクセスの不十分な現状の中でいかにして車いすを使いこなすかという目的で始まった、車いす使用者の自立運動である。
 具体的には、段差のある道をどのようにして乗り越えるか、あるいは普通の階段を手すりにつかまりながら、車いすでよじのぼりきる方法を習得するといった内容である。もちろん指導者は熟練した車いすの使用者で、アクセスのない環境で車いすを使いこなす技術を慣れていない人に教える。また、基本的には医者やリハビリの専門家も参加するのが理想的だが、東チモールでは、障害者とその家族、そして外国人ODAワーカーやチモール人のボランティアたちである。交通費や飲み物代、場所の提供などみんなで協力して活動を続けていたが、東チモール完全独立以後、経済的なサポートを行っていた国連職員有志などがいなくなるとどうなるか、少し心配である。でも何とかやっていくだろうと、東チモールの人々のバイタリティーを信じている。
 がんばれ 東チモール!

(ながたこずえ ベイルート・レバノン)


◎本稿の東チモールNGO等に経済的な援助を個人的にしたい方は、著者nagata@dm.net.lbまで連絡をいただきたい。送金方法を教えます。