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編集後記

 1月の中旬に悲しく寂しい出来事がありました。友人が末期ガンで亡くなった…。障害をもつ子どもの親御さんたちと一緒に施設作りの学習会を始めて10年余、都下で障害者施設の統括園長をしていました。施設だけでなく生活寮、パン屋さん、デイサービス事業と必要に迫られ押されるように事業は拡大していきました。新たな施設建設の話も出ていたようです。頭の中はいつも子どもたちや施設のことで一杯だったと思います。私が施設見学に行った時、園生から「先生、また釣りに行こうね」と声をかけられて、「ああ、今度行こうな」と笑って答えていた姿がよみがえってきました。お飾りの園長ではなく、いつも園生と行動を共にしようとしていたから、親しく話しかけてくる子どもたちも多かったのだと思います。食堂には園生たちと同じテーブルに園長の席がありました。園にいる時はなるべく子どもたちと一緒に、という彼の姿勢でした。月命日の今月、学園葬が営まれますが、祭壇にではなく、園生たちに交じって、きっと彼はその中心にいることを信じています。

(S)


 昨年12月にハノイで開催された「RNNキャンペーン2001ハノイ会議」。ベトナムの各県からも700名近い障害当事者の人たちが参加しました。今月号のグラビアで会議の様子を紹介しましたが、車いす利用の参加者が多いような気がしました。
 会場で目を引いたのは、三輪の車いす。思わず写真を撮らせてもらいました。展示会場にも車いすが何台か展示されていましたが、三輪の車いすもありました。
 ちょうど車いすを利用している参加者が帰る場面に遭遇しました。彼は通常の二輪の車いすから、写真を撮らせてもらったような三輪車いすに乗り移り、今まで乗っていた車いすを三輪車いすの後ろにくくりつけて、さっそうと(?)会場をあとに帰っていきました。その様子は、この国で生活している車いす利用者の日常の一部を見せてもらったような感じでした。
 道路は、車の数よりバイクや自転車の数が多いことから、三輪車いすは、車いす利用者の「自転車」の役割をしているのかも、と写真を見ながら改めて考えています。

(K)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2002年2月号(第22巻 通巻247号)