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1000字提言

初めは当事者間のバリアフリー

佐賀善司

 聴覚障害者団体のイベントに参加したつれあいが、「点字の資料が用意してあった」と感激して帰ってきた。翻(ひるがえ)ってわが視覚障害者団体は、他の障害者の参加も考慮して催しを企画したことがあっただろうか、と思う。
 視覚障害者の誘導設備としておなじみの点字ブロックが他方で車いすや松葉杖を使う人の歩行の妨げになっていることは周知の事実だが、では、視覚障害者には有効で肢体不自由者の邪魔にならない設備とは何か、弱視者が見やすく、知的障害者が理解しやすい表示はどうあるべきかというような検討が、異なる障害者の間でなされたことがあるだろうか。
 自前の足を持たない視覚障害者にとって、福祉センターなどの施設は電車やバスの便の良い市街地にあるほうが利用しやすい。他方、マイカー以外に手軽に利用できる移動手段のない車いす使用者は、公共交通機関の網の目から外れた郊外でも、十分な駐車スペースが確保できるところならばそのほうがいいだろう。
 だれかにとってのバリアフリーが、違うだれかのバリアとなる場合がある。そんな事態にならないために、私たちは異なる立場の人の発言を真摯(しんし)に聞かなければならない。私たち障害者は、健常者中心の社会に対しては自分たちへの理解を求めておきながら、異なる障害をもつ人に対しては意外に無関心だったのではないだろうか。ことに、歴史のある「○○福祉協会」というようなメジャーな団体にその傾向を見てしまうのは、私の偏見だろうか。
 私の住む県では、視・聴覚障害者情報提供施設の構想が具体化しつつある。「視と聴」というカテゴライズの是非はさておき、構想が発表されたとき既存の関係団体はこぞって視覚部門と聴覚部門の分離を県当局に求めたが、私は「それもおもしろいかもしれない」ぐらいに考えた。聴覚障害者の友人とはそれなりにコミュニケーションもできていたので「初めは混乱しても、必ずうまくいく。それに〈めくらとつんぼの喧嘩(けんか)〉という揶揄(やゆ)がまったくの嘘っぱちだと証明するいい機会じゃないか」などと不謹慎なことも考えた。
 ユニバーサル・デザインの社会を実現するために、まずは身内(障害者)の間のバリアフリーから始めたいものである。

(さがぜんじ 岩手県立点字図書館)