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会議

「第2回障がいをもつ親とその家族国際会議」
に出席して

桑名敦子

 去る、5月2、3、4日、カリフォルニア州オークランド市にて、「第2回障がいをもつ親とその家族国際会議」が開催されました。スピーカーの1人として招かれた私は、10年前にはこの会議を主催したスルー・ザ・ルッキング・グラスのサービスを受けて子育てをしていたクライエントの1人だったという思いと、久しぶりに第二の故郷であるベイエリア(サンフランシスコ、オークランド、バークレーの総称)に戻って来られたうれしさで気持ちが高まって来るのを抑えきれないでいました。
 スルー・ザ・ルッキング・グラスは、障がいをもつ親や子どものいる家族を対象に子育てや親子関係の向上に関するサービスの提供、トレーニング・リサーチなどを行う機関で、今から20年前の1982年に自立生活センターの設立同様、自立生活運動の中から生まれた団体です。スタッフは心理学者、リハビリテーションカウンセラー、ソーシャルワーカー、結婚、家族、子どものためのカウンセラー、知的障がい者のための専門家、出産の指導員などで構成され、スタッフの80%近くは自分自身が障がい者か、障害をもつ子どもまたは家族に障がい者がいるというように、何らかの形で障がいにかかわっている人たちで占められています。
 障がいに関係なく、障がい者の子育て、家族形成をいろいろな方向からサポートするのがスルー・ザ・ルッキング・グラスの役割です。全国向けには障がい者の親権、養子縁組、子育て用具の開発、妊娠出産、知的障がいをもつ親へのサポートなどに関する情報の提供、紹介、専門書の出版、トレーニング、相談などが行われています。スルー・ザ・ルッキング・グラスのあるべイエリア周辺に住む家族のためには、カウンセリング、教育、子育て用具の開発、サポートグループなどの直接的なサービスをこれから親になろうとしている障がい者、すでに親となっている障がい者、障がいをもった子ども、障がい者の子どもなどに提供しています。
 私自身も11年前にベイエリアに住んでいた当時、何の準備もないままに生後7週間になる息子を家族の一員として迎えた時に、スルー・ザ・ルッキング・グラスのクライエントとしてお世話になった経験は、その後の親として自分が成長するうえで大きな影響を受けたことはいうまでもありませんでした。子育てのこの字も知らなかった私にとって、定期的に訪問してくれていたカウンセラーはミルクの与え方、子どもの寝かせ方という一般的な育児指導のほかに車いすに乗りながら子どもをお風呂に入れる方法や、子どもを抱っこしながら車いすで移動する方法、抱っこひもの改善など、障がい者が子育てをしていくうえで直面する問題に適切な答えをだしてくれました。
 また生まれつき左足に内反足という障がいをもっていた息子は、私たちの元に来ると同時にギブスで矯正が始まり、生後7か月には初めての手術を受けましたが、その時も他の部分での発達が遅れないようにと理学療法士がわが家に来て、息子の成長の様子を観察しながら、「順調に成長していますよ」と言ってくれるたび、不安だらけだった私は、新米母親としてどれだけ勇気づけられたかわかりませんでした。
 本来は昨年の10月に予定されていたこの会議は、9月に起きたアメリカのテロ事件の影響で半年遅れの開催となり、主催者側もその調整に苦労があったようです。しかし、ふたを開けてみると、出席者は全米はもとより、イギリス、オーストラリア、ウズベキスタン、フィリピン、ウガンダと海外からの参加者も含む研究者、行政関係者、弁護士、NPOの代表者、障がいをもつ親と多彩な顔ぶれとなりました。「知的障がいをもつ親」「障がい者の養子縁組」「障がいをもつ親の法的権利」「精神障がいをもつ親」「文化的背景を異にする子育て」など、アメリカにおいてもまだまだ一般的に論じられることが少ない話題が各セッションのテーマになっていました。
 私がスピーカーとして話す機会を与えられた三つのセッションは、今まで論じられることがほとんどなかった「障がい及び異文化、異人種を背景に持つ親の子育て、家族形成とは何か?」というテーマでした。当然のごとく、アメリカの中での子育ての情報の多くは、障がいをもたない白人の視点で書かれた物が主流となっています。そのような中、文化、人種を異にする障がいをもつ親は、障がいをもたない白人文化の中で起こる摩擦を感じながら生活していかなければならないことが多々あります。特に妊娠、出産、子育てなどは、非常にパーソナルなことなので自分が一番楽な形ですることが望ましい訳ですが、それが主流と異なった形になるときに本人も周りも異質ものを感じ取って気まずい思いをしたり、自信をなくしてしまうこともあるのです。そんな経験を私はセッションの中で「乳児の寝かし方」という例を挙げて話をしました。
 アメリカの育児書には子どもは生後すぐの時から子ども部屋に寝かせ、おむつやミルク以外で泣いた時は子どもが自ら泣きやむ習慣を学ぶために、親はむやみに子ども部屋に行くことを避けると載っています。しかし、親子が川の字になって寝るということが当たり前の文化で育った私は、息子を私たち夫婦の寝室に寝かせることに特別大きな抵抗もありませんでした。
 第一、車いすを使う私たち夫婦にとって、寝る前にベッドの側にミルクやおむつの準備をしておけば、夜中に何度起こされてもすぐに子どもの世話ができるというアクセスの面でも便利だった訳です。主流の文化よりアクセスを重視した子育てに対して「一緒に寝ていると自立心のない子どもに育つわよ」と忠告してくれるアメリカの友人もいましたが、今年11歳になる息子は、その影響もなく自立心旺盛な子どもに成長しています。
 このセッションに参加していた多くの方からは、「自分も通常の習慣より自分たちのやりやすい子育てをしているが、本当に子どものためにそれでいいのかどうかずっと不安だった」という声や、アジアの文化的背景をもつ人たちからは「改めてアジアの国々の子どもの育て方のよさを発見した」という意見が聞かれ、いかに私たちが障がいのない白人の視点から書かれた育児法にがんじがらめに縛られながら子育てをしているのかがよくわかったのです。
 障がい者が子どもをつくり、育て、家庭を築き上げていくうえでのアクセス、制度、文化面の壁はどの国においても存在しますが、この会議がこれからも続いていくことにより、障がい者が子どもを生み、育て、家族を作り上げていくという人間としての当たり前の行為がひとつの選択肢として容易に選ぶことのできる社会に近づけるであろうことを確信しています。  また次回の会議には、日本からの代表にもスピーカーとして参加していただき、日本という文化の中での障がい者の子育て、家族観を世界に向けて発信してもらいたいと希望しています。

(くわなあつこ アメリカ在住)