触法精神障害者問題について
長尾卓夫
はじめに
日本精神科病院協会では、これまで触法精神障害者に対するわが国の法的・体制的不備を指摘し、新たな法の立ち上げを訴えてきた。このたび「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」が5月の国会に上程され、衆議院法務委員会・厚生労働委員会において数回審議されてきたが、国会会期日程の都合により次期国会において継続審議となっている。
この法案に至るまでの日精協での論議や経過について触れてみたい。
日精協提言について
日精協では、日精協誌で触法精神障害者の問題については、何度か特集を組み注意の喚起を行ってきていた。平成12年1月に正式に「触法精神障害者プロジェクト」が結成され、同年4月から「司法精神医療プロジェクト」と名称を替えて活動を行ってきた。その中で同年10月にまとめたものが資料として挙げた「重大犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方についての提言」である。この提言は平成13年3月の代議員会・総会で、日精協の公式見解として承認された。
平成13年1月より、保岡法務大臣の私的勉強会から立ち上げられた法務省・厚生労働省の合同検討会が開かれるようになり、4月に開かれた第3回検討会において、筆者がこの日精協提言に基づいた意見陳述を行った。提言の内容説明については紙面の都合上割愛するが、厚生労働省のホームページにも全文が出ているので参照していただきたい。
こうした流れの中で池田小学校事件が起き、事件の犯人が精神障害者で措置入院歴があったとの報道がなされ、重大犯罪を犯した精神障害者の処遇に関しては大きな政治課題となり、自民党および与党の「心神喪失者等の触法及び精神医療に関するプロジェクトチーム」が作られ、法整備に向けて急速に動き出した。日精協では8月に「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇に関する新たな法制度について」をまとめて提案した。その骨子は(1)精神医療の範疇を越えた対応が必要であり、司法判断を行う趣旨の新たな立法措置を求める、(2)司法精神医療裁判所(仮称)の新設を各県にして、裁判官の他精神科医などが評議に加わる、(3)司法精神医療病棟(仮称)の新設を原則国立病院に行い、費用は国費によるものとする、(4)退院後の保護観察制度の導入、(5)司法精神医学研究所(仮称)の設立、などである。
こうした流れの中で法務省・厚生労働省の合同検討会や自民党、与党プロジェクトの報告書が出された。それらを踏まえて、今回の新法(案)が上程されたものである。
新しい法律(案)について
今回の新しい法律案については、殺人、放火等の重大な犯罪行為の精神障害者が心神喪失等の状態にあるときに、地方裁判所において裁判官と精神保健審判員(精神科医)の合議によって処遇の要否を決定すること、鑑定入院命令によって鑑定を行うこと、決定に不服の時は高等裁判所に抗告できること、入院決定を受けた場合は、指定入院医療機関(国公立病院)において入院治療を受けること、6か月ごとに退院許可もしくは入院継続の申立を裁判所に行うこと、通院決定および退院後は、指定通院医療機関において通院治療を受けるとともに保護観察所(精神保健監察官)による精神保健観察を受けることなどが決められている。これらの事項については、日精協が提案していたものにほぼ合致するものであり、新法案を支持するものである。
ただ入院治療については、指定入院医療機関における自己完結型となっていることは、もう少し柔軟性を持たせて、症状が軽減した場合に、地域の病院に移行して治療できる形があってよいのではないかと思われる。また精神保健監察官については、十分な精神科医療保健の幅広い知識が求められ、その育成をどうするのかが問題であろう。しかし、取りあえず新法を立ち上げ、不都合が出た場合には手直しをし、より良いものにしていくことが必要であると思う。この法案により、これまで日本において遅れていた司法精神医学が発展し、ひいては一般病院がさらに地域に開かれ、ノーマライゼーションが進むものと期待している。
(ながおたくお 社団法人日本精神科病院協会副会長、医療法人恵風会高岡病院理事長)
【資料】
重大犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方についての提言 |
精神障害者のノーマライゼーションを進めるために○精神障害者に対する誤解・偏見をなくすことが必要○そのためには国民の精神障害者に対する不安除去が必要 ○重大犯罪を犯した精神障害者がどのような処遇や治療がされているかの情報がない ○殺人を犯しても刑にも問われず、入院治療もしない例があることに国民のコンセンサスは得られない ○被害者・その家族にも不十分な情報とやりきれない不全感を残している ○精神障害者にも裁判を受ける権利 現行司法制度の問題点○検察で不起訴処分とされる精神障害者は89.4%殺人の場合83.8%、強盗85.2%は不起訴 ○不起訴の根拠とされる鑑定は簡易鑑定が多いが、簡易鑑定さえないことも多い ○簡易鑑定は各都道府県により異なるが、ごく短時間の診察によって診断される傾向 ○不起訴とされた犯罪を犯した精神障害者は、措置診療へ ○措置診察によって入院不要とされることもある ○その場合に再び司法の手に戻せない 現行の精神医療における限界(司法制度の必要性)○重大犯罪を犯しても措置症状がなくなれば1週間でも退院可能○治療抵抗性で対応困難な例では他の入院者や看護者の安全が守られない場合がある ○現在の医療制度上での人員配置では対応困難 ○そのために過剰な長期隔離や早すぎる退院もある ○重大犯罪を犯した入院者に対する精神科医師および病院の責務は過大である ○退院後の再発・再犯を防ぐフォローシステムの欠如 重大犯罪を犯した精神障害者処遇についての提言○司法制度と精神医療の相互補完が必要○重大犯罪を犯した精神障害者は裁判にかけるべき、精神障害者も裁判を受ける権利がある ○重大犯罪を犯した精神障害者の入退院には裁判所の判断を入れることが必要 ○退院後の司法による保護観察的なフォローシステムが必要 ○重大犯罪を犯した精神障害者の人権に配慮した治療施設の創設 ○司法精神医学教育の確立 |