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欧米諸国の精神障害犯罪者対策に学ぶ
―精神障害犯罪者への対応はいかにあるべきか―

山上皓

1 はじめに

 我が国においては毎年800人ほどの精神に障害を有する犯罪者(以下、精神障害犯罪者と略称)が、刑法第39条の規定に基づいて、不起訴処分を受けるなどして釈放されている。我が国には、諸外国が備えている精神障害犯罪者処遇制度がないため、彼らは釈放されると同時に一般患者として医療の側に委ねられることになる。しかし、彼らの中には一部、少数ではあるが、強い犯罪傾向を持っていて危険な犯罪を繰り返す者たちがいることが、問題である。
 この制度的欠陥については刑法制定当初より気付かれていたが、我が国では膨大な数の精神病院の存在がこの欠陥を覆い隠す役割を果たしたこともあり、100年もの間改善されずに放置されてきた。30年ほど前にこの制度的欠陥を正す努力が法務省によってなされたが、精神医療の改革を求める世論の高まりのもとで法案は阻止され、以来この問題は長くタブー視されてきた。近年の精神障害者による重大事件の続発を受けて、政府は、この春に「心神喪失者等医療観察法案」を国会に提出したが、法案の評価については専門家や関連諸団体の間に賛否両論があり、反対声明を出された団体も多い。
 精神障害犯罪者問題については論議が錯綜しやすいが、筆者は、その最大の原因が、実態に関する正しい情報が欠如していることにあると考える。司法精神医療がすでに確立している欧米諸国においては、精神障害犯罪者は専門治療施設に収容されて治療を受けるため、専門家は無論のこと一般国民もその実態をよく知ることができる。これとは対照的に我が国では、不起訴記録も入院カルテも原則非公開とされ、司法―医療間の情報交換もなく、そのうえ、精神障害犯罪者が全国1000もの指定病院に分散収容されることから、一般国民はおろか、専門家と称する方々の中にも、その実態を知る者は稀で、偶々個人的に体験することのできた、その一側面をしか知らない方々がほとんどなのである。
 精神障害犯罪者をめぐる論議が錯綜しやすいのは、一部を知る方々が全体を論じようとするからで、当然のこととしてその論議には、実態を離れた憶測や誤解が混入しやすくなり、イデオロギーや偏見に囚われた極論も横行しやすくなる。混迷する議論の一端は、本誌に特集されている諸団体の見解にもうかがえるものと思われる。

2 日本における処遇の問題点

 まず、日本における精神障害犯罪者処遇の問題点を、筆者らの調査結果に基づき簡潔に紹介したい。
 精神障害犯罪者の一部には、強い犯罪傾向を併せ持ち、重大犯罪を繰り返す者たち(以下「重大犯」と略称)がいる。彼らの中には、表1に示す事例のように、何度も受刑していて刑務所内で発病したようなケースもあるが、このような事例でも次に事件を起こしたときからは、検察官により不起訴処分を受けて、医療の側に送られてくるのである。一般の精神病院がこのような事例に適切に応じられるわけはなく、この表からも、精神病院に送られてから、危険な犯罪が一層頻繁に繰り返されるようになったことが分かる。筆者らの調査は、さらに、処遇の現場に次のような混乱した状況が生じていることを明らかにした。
 1.不起訴とされた「重大犯」が、医療では対応困難という理由で入院を拒否され、そのまま釈放されてしまうことがある。
 2.入院した「重大犯」が、医師一人の判断で1ヶ月ほどで退院を許されてしまうこともある。
 3.「重大犯」が、入院先の病院で他患者を殺傷するような事件が、毎年全国で何十件も起きている。
 4.「重大犯」が、危険で病院の手に余るという理由で、強制的に退院させられることもある。
 5.事件を起こしては詐病を用いて精神病院に逃げ込むことを繰り返す「重大犯」もいる。
 6.職員や他患者にとって危険という理由で、生涯にわたって保護室に隔離される「重大犯」もいる。
 このように、犯罪者の処遇としてみれば、およそ法治国家とは思われないような無責任な事態が、司法の関知しない医療の場において、日常的に生じている。

表1 犯罪歴先行型頻回反復例の典型例

事例249 M 男性 37歳
犯行No. 罪名 処遇 犯時年齢

追跡調査結果
(昭和56年~60年)
15 殺未  入院1月
16 傷害  入院3月
17 暴行  入院中


備考
覚醒剤使用歴あり
アルコール嗜癖あり
疾病利用ないし病状
誇張の傾向あり
器損   18歳
2~3 窃盗 懲役18月 19~20歳
窃盗 懲役15月 21歳
傷害 罰金 24歳
6~8 傷害 執行猶予 31~32歳
傷害 懲役8月 33歳
  (発病)   34歳
10 傷害 入院2月 35歳
11 殺未 入院2月 35歳
12 傷害 入院3月 36歳
13 器損 入院2月 37歳
14 傷害 入院3月 37歳

3 欧米諸国における取り組み

 欧米諸国は早くから、精神障害犯罪者を一般の患者とは区別して処遇してきた。精神障害を有していても犯罪者である以上は処遇に安全を期す必要があり、処遇基準も一般の患者と区別するのが当然とする考えによる。処遇の実際を考えても、処遇基準の大きく異なる者を一緒に処遇することは、効率も悪いし、事故も起きやすい。区別して処遇することから、専門医療としての司法精神医療がスタートしたのである。この種の施設は、一時は巨大な収容所と化して問題とされたこともあるが、その反省のもとに、施設の小規模化、地域化と社会復帰の推進を図ることで、司法精神医療は大きく進歩した。近年では、司法精神医療の最大の関心が地域での患者のサポートに向けられるまでになっている。
 「重大犯」に対して、社会復帰を目指す効果的な治療を提供するには、一般医療の何倍ものコストがかかる。年単位の治療に適する良好な居住環境、患者個々のニーズに応える多様な治療プログラム、患者数に倍する看護者の配置、退院に向けての慎重な社会生活訓練、退院後の住居の提供と定期的な訪問等々、欧米諸国は高いコストを負担して、精神障害犯罪者の治療と社会の安全とをバランス良く実現する、質の高い司法精神医療システムを構築してきた。
 司法精神医療の確立は、欧米の精神医療の脱施設化、ノーマライゼーションの流れを加速する役割も果たしている。イギリスではこの20年ほどの間に一般精神科病床数は3万床へと大きく減じたが、その間にも小規模司法精神科病棟の整備は進み、司法精神科病床総数は約3000床に達している。

4 英国の司法精神医療システム

 イギリスの司法精神医療システムは、次の3層の基本構造を持つ。
 1.ハイセキュリティー・ホスピタル(全国3施設、定床各400床)
 2.リージョナル・セキュアユニット(各施設、数十床平均。全国総計1400床)
 3.外来及びコミュニティーケア施設のネットワーク
 ハイセキュリティー・ホスピタルとは、安全に最大限の配慮を要する、危険で犯罪傾向の強い患者を引き受ける病院で、ブロード・ムアら3病院がある。かつて医療、管理面で社会の批判を受け、近年大幅な施設、機構の改善が図られた。ブロード・ムアのベッド数は約400床、医師は18人、看護者は約700人である。年間予算はおよそ100億円で、患者一人あたり約2400万円である(数字はいずれも2001年の英国施設視察時のもの。以下、同様)。
 リージョナル・セキュアユニットとは、治療可能性の高い精神障害犯罪者を地域内で処遇するための施設で、全国各地区ごとに人口100万につき20~30床を目標に、開設が進められている。ロンドン郊外のデニスヒル・ユニットを例に取ると、広い建物に病棟は1棟、入所者は25人で、統合失調症が最多であるが、反社会性の傾向を伴うものが多い。医療スタッフは精神科医が5人、看護者50人で、1シフトの最少看護者数は昼8人、夜6人とされる。他に約10人のコメディカルスタッフがおり、治療共同体の理念に基づく質の高いチーム医療が提供されている。患者ごとに個別に治療プログラムが組まれ、暴力や自殺のリスクアセスメントが定期的にされている。施設の外側の警備は厳重であるが、施設内の雰囲気はあたたかく、開放的で、スタッフ、患者間の交流が密にある。施設の年間予算総額は約7億円、患者一人あたり約2600万円を要する。入院期間は2~4年程度である。
 精神障害犯罪者用コミュニティーケア施設の例として、ロンドン市内にあるホステル「ニューホープ」をあげると、11人の男性患者を、合計12人のスタッフ(日中4~5人、夜間3人)で、24時間ケアをしている。患者にはゆとりある個室が与えられ、共同のキッチンやリビング、リラックスルーム、芝生の敷かれた中庭、パソコンルームなどもある。患者はここでの暮らし、スタッフとの関わり、コミュニティーでの教育活動等を通じて、自尊心を高め、対人技術を向上させ、有益な活動を見出すよう援助される。患者はここで1年半から2年暮らし、より自立度の高いホステルや、一般住居等へと移って行く。

5 新法案の意義

 新法制定の最大の意義は、精神障害犯罪者に対して、初めて責任ある処遇が国の手によって行われるようになることである。法案には、遅れている我が国の司法精神医療の確立に必要な次の二点がしっかりと押さえられている。
 1.専門治療施設の整備(英国の司法精神医療をモデルとし、充実した治療環境の整備、困難な治療への取り組みに十分なだけのスタッフの配置が、国費によって保障される)。
 2.退院後のアフターケア体制の整備(保護観察所が精神保健観察官を配置し、治療施設と連携して、責任あるフォローアップをする)。
 ところで、この法案では、審判において「入院治療をしなければ再犯のおそれがある」と判定された者に入院命令が下されるが、この点をついて、「再犯予測は不可能」と唱え、法案に反対される方々が多い。
 確認すべきは、この法が反対論者の言う意味での「再犯予測」など求めてはいないという事実である。人の行動の予測など元々できるものではなく、法がそれを求めるはずもない。必要とされるのはリスクアセスメントであり、これは精神科医が臨床場面で(保護室収容や外泊許可の際などに)日常的に行っているのと同種のもので、これを「予測は不可能」などと言って控える医師などいはしない。あえて誤解を招く表現を用いてまで反対のキャンペーンを張られる方々の姿勢に、疑問を感じる。
 この法案が入院命令の根拠として求めているのは、対象とする患者の、「再犯のおそれ」についての評価で、それは今日我が国の精神科医が日常的に行っている措置診察での「自傷他害のおそれ」の評価と、本質的に異ならない。実際の措置診察では、患者が自傷他害行為にまだ及んでいない場合でも、危険性の評価に基づいて入院の要否を判定している。これに対し本法案の対象とする患者は、直前に重大な犯罪行為を実際に行い、精神鑑定の結果、精神障害のため判断力を失った状態で犯行に及んだと判定された者たちである。「要入院」と判定されて当然のケースがほとんどで、判定の実務にさしたる困難があるとは思われない。
 この法案に反対意見を表明されている団体は数多いが、患者団体が反対されることについては、無理もないことと筆者も思う。この国の精神医療の歴史と現状を思えば、患者たちが国の動向に過剰なまでの疑念を抱くとしてもやむを得ないだけの事情がある。しかし、法学や精神医学等の専門家の方々には、誤解や偏見を捨てて、法制度の欠陥が生み出している悲惨な現状を、本来なら防げる事件も防げず、事件が起きても誰の責任も問われず、被害者が泣き寝入りするほかはない不幸な現状を、直視していただきたいと思う。批判することはたやすく、法案を阻止することもあるいは可能かもしれないが、そうすることが現状を肯定し、事件を続発させ、自身が加害の一端を担う結果となることも十分自覚していただきたい。
 本法案のもとで我が国にも欧米並みの司法精神医療が確立され、それが精神医療全体の発展に繋がっていくことを心より願っている

(やまがみあきら 東京医科歯科大学教授(犯罪精神医学))

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2002年9月号(第22巻 通巻254号)