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文学に見る障害者像

村上春樹著  
『ノルウェーの森』

岡本直

 ビートルズのヒットナンバーの曲名を借りた『ノルウェーの森』は、1987年に刊行された作品であるが、刊行とともに、たちまちのうちにベストセラーを記録し、上下巻併せて430万部という長編小説としては空前の売れ行きを見せた、村上春樹の代表的な作品である。今までの多彩な比喩表現を取り入れた村上氏の作風から一変した、純粋恋愛小説に分類される作品であるが、登場人物は皆、精神の傷つきやすさあるいは病を持った青年である。

1 物語の概要

 物語は、37歳となった僕ことワタナベトオルの乗った飛行機が、ハンブルク空港に到着する場面から始まる。飛行機のスピーカーからビートルズの「ノルウェーの森」が流れ始める。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、大学の同級生の緑など、もうすぐ20歳になろうとする秋の出来事を思い出し、僕は激しく混乱していた。
 神戸から東京の大学へ進学した僕は、19歳の5月、電車の中で偶然、直子と再会する。直子も僕と同じように、神戸から離れて東京の大学に進学していた。その後、僕と直子は、出会いを重ねるが、互いに距離を置いた関係が続く。僕も直子も、互いの親友であり、直子の恋人であるキズキを無くしたあと、心の空白を埋められないまま、そして人を愛されないまま、大学生活を送っていた。直子が20歳の誕生日を迎えた日、僕は直子の部屋で誕生祝をするが、直子は堰(せき)を切ったように涙を流した後、僕と直子は、肉体的に結ばれる。
 その3日後、直子は東京を去って行く。直子との連絡が途絶えたあと、僕は、大学2年となり、同級生の緑と出会う。瑞々(みずみず)しい生命感を発散させる緑と、死の静寂の世界を象徴する直子。その年の秋、直子から僕に手紙が届く。手紙によると、直子は4か月前より精神の変調を来し、京都の人里はなれた山奥にある精神障害者の施設で療養していた。僕は、その翌日、直子に会いに京都に赴く。「阿美療」(フランス語で友人)と呼ばれる療養施設に着いた僕は、直子のルームメイトのレイコさんから施設の説明を受ける。レイコさん自身も、過去に精神変調を来し、精神病院に2回入院歴があり、その後、再発により7年も施設に療養していた。そこで、僕は直子から、小学校6年生の時に、17歳の姉の自殺を自分が発見し、その後、感情が出せなくなったこと、さらには幼なじみのキズキとは精神的には愛し合えても、肉体的には自分の体が無意識のうちに拒絶してしまい、姉と同じく17歳でキズキを喪ってより、自分が人を愛せなくなったことを告白される。
 京都で直子と別れた僕は、直子と手紙のやりとりをくり返すが、次第に直子の病状が進行し、直子の手紙が滞り勝ちとなる。大学2年となった僕は、その年の春、大学の寮をでて、アパートでの単身生活を送る準備を始める。そして、直子には「二人で生活をしたい」という手紙を送る。しかし、僕は直子を外の世界へ連れ出そうとしながらも、緑の存在が抵抗しがたい大きなものとなっていることを自覚する。その数か月後、レイコさんから送られてきた手紙には、直子の病状が悪化し、もはや専門病院での医学的治療が必要な状況であることが知らされる。そして、その年の夏、直子は奥深い森の中で自殺する。
 僕は、激しい失意と混乱,彷徨の後、その年の秋、上京したレイコさんと二人だけで死んだ直子のための葬式をやり直す。その場面で、レイコさんは、直子の好きだった「ノルウェーの森」をギターで演奏する。そして、レイコさんは、数年ぶりに施設外の生活を、一方、僕は緑に連絡を取る決意をする。しかし、僕は自分のいる場所がわからなくなる。

2 作中人物の障害者としての生き方、そして当時の社会側の対障害者観

 作中には京都の施設で生活する二人の精神障害者、すなわち直子とそのルームメイトであるレイコが登場する。直子は病状の悪化により、17歳で自殺したキズキ、自分の姉の後を追うように自ら命を絶つが、ここでは、不安を抱きながらも、社会復帰に挑戦しようとするレイコの生き方に焦点を当ててみたい。
 前述したように、レイコは、大学4年時に発病し、精神病院に入院するが、退院後、家族、さらには社会から精神障害ゆえに偏見と冷遇にあい、24歳で再発する。その後、精神病院に再入院するが、退院後も社会から身を潜めて生活していた。そんな中、理解ある夫と結婚し、一児をもうけるが、31歳に知り合いの家族から、過去の精神病院入院歴を暴かれ、周囲への被害妄想と幻聴に悩まされるようになる。最終的には、自分から夫、子どもから離れ、京都の施設に7年も入所していた。直子をはじめて訪れた僕と二人きりになったレイコは、自分の身の上話を聞かせる。その際、レイコの語りは、この小説のひとつのテーマである「精神を病むということ」とはどういうことなのか、つまり人間として「まとも」であるとはどういうことなのか、という問題を扱っている。
 小説の中で、レイコは「この施設にいる患者は皆、自分が不完全であることを知っているから、お互いを助け合うの。私たちはお互いの鏡なの。そして、お医者は私たちの仲間なの。私たちのような病気にかかっている人には専門的な才能に恵まれた人が結構多いのよ。だから、ここでは私たちはみんな平等なの」と述べ、僕に「第一に相手を助けたいと思うこと、そして自分も誰かに助けてもらわなくてはならないと思うこと。第二に正直になること」を勧める。レイコの語りを借りながら、作者である村上春樹は、精神を病んでいるとされた人の方が「まともな」感じ方や考え方をするのに対して、いわゆる世の中の「まともな」人たちは「僕」から見ると、異常としか思えない、といった逆説的な主張をしている。それは、後述するように、この小説の一番の特徴である、「生と死、そして病気と病気でない二つの世界の内包、あるいは連続性」に関係してくるテーマである。
 僕に語るレイコの態度は、長い療養生活の後、自己の精神の病あるいは障害を受容し、そして人生の真理や教訓を獲得した人間として、死の世界に導かれる直子と生命感あふれる緑の間で苦悩する僕に生きる指針を与えてくれる。直子の自殺後、レイコは直子の洋服を贈与されたことで、死んだ直子の分身として施設から僕の住む外の世界へとやってくる。そして「強くなりなさい、もっと成長して大人になりなさい」と僕の成長への脱皮を支持する存在となる。その後、レイコ自身も、外の世界へ復帰しようとする。

3 作者の障害者観

 まず、京都の障害施設の設定に作者の障害者観が投影されていると考えられる。すなわち、京都の施設は、いわゆる外の世界から隔絶された世界であるが、障害者および彼らを取り巻くスタッフが分け隔てなく平等に助け合い、そして障害者が自給自足できる一種のユートピアとなっている。その世界そのものは、今でいうノーマライゼーションを具現化したものであるのは自明である。執筆活動を海外に拠点を置く作者ならでの障害者観とも言えるが、ここで大事なことは、作品の時代背景が1960年代から70年代を前提とし、その時代に前記の療養施設の作者の発想は先駆的である。おそらく作者は、1960年代に欧米で流行した反精神医学、すなわち、従来の伝統的精神医学が狂気イコール病気と仮定してきた視点への異議申し立て的な思想を取り入れた可能性がある。そして、先に述べたレイコの語りにみられる、『精神の病の中にもまともさがあり、まともな人間にも病がある』という逆説的であるが、それゆえに両者の共存の必要性にも触れている。
 最後に、この著作は、反復される大切な人々の自殺や死(キズキ、直子、直子の姉)、それに対極的に存在する瑞々しい生(緑、レイコ)を織り混ぜた作品であり、僕を中心とした喪失と再生の物語である。小説全体が、「生と死、動と静、障害と非障害、施設と外の世界」など異なった世界を内包し、そして相補的に連続させた一つの作品となっていることが特徴である。村上春樹の物語は、失意と自閉の時代に、人間同士の理解、他人や社会との接触とは如何なるものかを提示している。

(おかもとすなお 北千住和光ビルクリニック精神科医)