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「国連・障害者権利条約特別委員会傍聴団」
参加報告

黒崎信幸

 「『障害者の権利に関する』国際条約への提案を検討するための特別委員会の設置」は、2001年12月19日の国連総会で、メキシコを代表とする28か国から共同提案され、採択されたことによってスタートした。
 このような決議案は1987年にイタリアから、1989年にはスウェーデンからそれぞれ提出されているが財政的な問題や、ほかの人権条約や規約にも障害者が含まれていることが理由で進展しなかったと聞いている。しかし、それらの条約や規約は各国政府への拘束力が弱いことから、国際ハビリテーション協会(RI)の総会や、世界障害NGOサミット等で「障害者の権利条約制定」の掛け声が高まり、今回の特別委員会が開催されたが、「既存の人権条約などで障害者問題を対応すべき」という意見もあり予断を許さない状況の中で、今回の行動は「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム組織委員会が、各障害者団体の代表者を派遣し、国連における権利条約の審議を傍聴し、できれば各国代表に対してロビー活動を行うというものであった。
 傍聴団は7月17日に結団式を行い、A班(7月29日~8月5日)と、B班(8月3日~11日)の2班に分かれて出発した。私はA班に入り河端静子氏、松友了氏、藤井克徳氏、丸山一郎氏、江上義盛氏他、計10人で行動した。したがってここで報告する内容は、7月29日から8月2日までのものであることをあらかじめ承知されたい。
 米国では、昨年のテロ以来警備が厳しくなり、国連近くの事務所で面倒な手続きし、顔写真を首からぶら下げて、会場に入ったのはかなり審議が進んだころであった。議長席にはエクアドルのルイス・ガレゴス氏が座り、副議長席にはスウェーデンのカリーナ・マーテンソン氏の姿があった。
 29日から始まった一般討論は、提案国のメキシコから始まり、デンマークがEUを代表して、現実的で実施可能な条約を望む発言があった。ほかの国の発言もおおむね条約の実現を支持するものが多かったが、既存の条約・規則の実施を優先すべきという慎重論も少なからずあった。
 条約の性格上、障害者NGOの参加について議論された。NGOの参加を制限しようというアメリカ等、一部の国からあったが、ほとんどの国がNGOの参加を歓迎する発言が多かった。しかし、NGOの参加は国連ではほとんど前例がないことから、特別委員会に限ってNGOは、1.すべての公開の会合の参加を認める、2.時間の許す範囲で発言を認める、3.時間人制約がある場合、代表が意見を述べること、4.公式文書の配布を受けられ、書面で発言を行うことができる、ことの確認があった。
 委員会3日目の午前に行った国際連合日本政府代表部本村次席大使の発言は、アジア太平洋障害者の十年の取り組みや、最終年記念フォーラム事業、障害者プランの紹介が中心で、肝心の障害者の権利条約については「幅広い議論をするべきである」という消極的なものであったが、NGOの参加については歓迎すると賛意を示した。
 午後4時から日本政府代表部と懇談会が開かれ、水上公使他2名が出席して、国連の仕組みや本国との関係の説明があった後、特別委員会における発言については、外務省の人権人道課が、内閣府や厚生労働省に障害者権利条約に関する方針を聞いて作成したが、日本政府に障害者の権利条約について、基本的な方針は決まっていないことによるもの、また、条約に関係なく国内の障害者政策によって、障害者のおかれている状況は良くも悪くもなると言っている。障害者NGOを日本代表に入れることについては「本国の内閣府や厚生労働省に働きかけてほしい、国連で議論しているエイズ問題の委員会には、厚生労働省の専門家が日本代表になっている」と柔軟な姿勢を出している。
 一番肝心の「『障害者の権利に関する』国際条約への提案を検討するための特別委員会の設置」議題をどうするのか、ということについても1.障害の原則と権利、2.公民権、3.経済的・文化的権利、4.第三世代、と議長がまとめていたが最後まで確認できないまま、B班と交代した。
 特別委員会は2週間にわたって開かれたので、できれば継続して傍聴したほうが、全体像が把握できたと思うが、審議の雰囲気(お世辞にも緊張感は感じなかった)がつかめたことは良かったと思う。

(くろさきのぶゆき 財団法人全日本ろうあ連盟副理事長)