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インドネシア
仲間を作ろう!!

チュチュサイダ
(ダスキン3期生)

インドネシアのこと、バンドゥンのこと

 インドネシアは大きな国です。人口は約2億人で島がいっぱいあるうえに、250もの異なる言葉があります。その中の一つがジャワ島です。インドネシアには、雨季と乾季の二つの季節しかありません。インドネシアには700万人ぐらいの障害者がいると言われていますが、街で障害者を見かけることはとても少ないです。障害者に対する人々の理解が低いため、障害を恥じだと考え、障害者を家から出すのはだめだと思う人が多いのです。障害をもつ子どもに対する親の理解度が低いのです。教育に関しても同じです。
 建物や街についてもバリアフリーのビルはまったくと言っていいほどなく、道路は段差が大きく、公共交通機関もバリアフリーではありません。ただ、外国人が行く場所はバリアフリーになっています。たとえば、空港、外資系の高級なホテルなどです。
 インドネシアでは、障害者が自分の権利を考えることはあまりありません。1997年に障害者の法律ができましたが、効果はまだまだです。その法律は教育や労働の権利を守るものです。たとえば、雇用の法律は100人の従業員に対し1人の障害者を雇用するというものですが、軽い障害の人にしかチャンスがなく、それもとても少ないです。そして、交通や施設に関するバリアフリーの法律はまだありません。
 私が住んでいる街はバンドゥンというところで、ジャワ島にあります。バンドゥンは首都のジャカルタから車で4時間ぐらいのところにあります。バンドゥンは山がたくさんあるのでジャカルタより涼しく、大学も複数ある学生の街です。加えて、有名な歴史的建築物である、アジア・アフリカ会議場というのがあります。私はこのバンドゥンの街が大好きですが、残念ながら、ここも他の街と同じように障害者に優しい街ではありません。

日本に来るまでの私

 私は生まれつきの障害者です。学校に入るために親と離れて暮らし、週末や休みのときだけ家に帰りました。でも、私はとても幸運だと思います、なぜなら、私の親はいつも私を応援してくれ、私が好きなことをやりなさいと言ってくれるからです。
 以前は、障害をもつ自分があまり好きではありませんでした。たとえば、写真を撮るとき顔だけの写真は好きですが、全身が写ったものは嫌いでした。鏡の前に立つのもあまり好きではありませんでした。そして、道やバスの中などで障害者と会うことも恥ずかしかったです。自分の生活だけを考えて、障害者の仲間になることはあまり考えませんでした。

生まれ変わった私

 2001年8月、私はダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の第3期生として、日本にやってきました。最初、戸山サンライズの周りで多くの重度の障害者と会った時びっくりしました。でも、少しずつ障害をもつ友達ができ、たくさん経験をして、私の考え方が少しずつ変わってくるのが分かりました。そして、インドネシアに帰ってから、何か障害者のために活動をしなければならないと強く思いました。
 2002年7月、障害者活動をしようという夢を持って、はりきってインドネシアに帰りました。帰った後、障害者の状況がひどくてショックを受けました。“これが現実だよ!!”と思い知りました。挫けそうになったけど、日本の友達やダスキンの研修生たちが励ましてくれて、また元気が出ました。特に、2002年10月にまた日本に行って、日本の友達やダスキンの研修生たちと再会し、世界会議で他の国の障害者と会って思いを分かち合うことができたことが大きかったです。また、ピアカウンセリング集中講座を受けて、自分の考え方がはっきりしてきました。
 ここで、日本からいただいた、一つの大きなプロジェクトを紹介します。それは、53台の車いすの寄付を受けたことです。富山養護学校、つくし工房の与島さん、坂井啓子先生、中谷桂子さんに大変お世話になりました。車いすをもらった人や子どものうれしそうな顔を見たら、私もうれしくて幸せになりました。日本の皆さんに心から感謝します。ありがとうございました。

今の私、これからの私

 私にとって障害者活動は、はじまったばかりです。帰国してから、仲間づくりを続けています。そのためにピアサポート、障害をもつ子どもと親のサポート、生徒たちと外に出かけるプログラムを行っています。それから、障害のある友達と楽しいことを計画しています。たとえば、一緒に水泳に行ったり、映画を見に行ったりなどです。
 5月には、大学でバリアフリーについてシンポシウムがあり、初めて自分の国で発表しました。7月13日には、12人の障害者と学生たちと一緒に街のバリアチェックをしました。道やビルが全部バリアフルでした。
 最近の新しい経験は、アメリカのADAの会議に出席したことです。もっと障害者のことを考えるようになりました。
 最後に、やはり経験をしないと何も分からないと思います。今は障害のある自分が好きになって、大切に思います。それと仲間を作るには愛が必要です。今では、ピアの意味を分かってくれる仲間が一人ずつ増えてきています。うれしい時、悲しい時、苦しい時、仲間といるといつも幸せです。
 社会を変えていくために、もっとたくさん仲間が増えるといいと思います。そして、私はこれからも障害者の活動を続けていきます。