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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年2月号

文学にみる障害者像

ドナ・ウィリアムズ著、河野万里子訳
『自閉症だったわたしへ』

中島虎彦

「生まれて初めて見た夢を、わたしは今でも覚えている。(中略)あたりは一面真っ白の世界。何ひとつなく、どこまでも果てしなく白い世界。そこをわたしが歩いている。そしてわたしのまわりにだけは、明るいパステルカラーの丸がそこら中にいくつも浮かんで、色とりどりにきらめいている。そのきらめきの中を、わたしは通ってゆく。きらめきもわたしの中を通ってゆく。うれしくて、声を上げて笑いたくなる」

ここには自閉症の本質がよく表れているという。ドナは昼間でも飽くことなくこの夢を見ようとした。しかしそれでは大人たちから不審がられるので、しかたなく聞かれたことをオウム返しに答えるようになり、無理解な母親から平手打ちを食らう日々が3歳半まで続いたという。

これは自閉症者自身が世界で初めて自らの精神世界に踏み込んだ本として、欧米でベストセラーになった。治療にあたった医師によると、自閉症児は1万人に4人くらいの割合で、女子はさらにその5分の1というから、ドナのような例は非常に珍しい。原因は「胎児期や乳幼児期に生じる脳の発達障害によるもの」らしいが、詳しいことはわかっていない。しかし、単に自閉症にとどまらず文学的な普遍性をそなえた本であることがわかってくる。だれにも覚えのある思春期のころの「自分と世界との関係の取り結びかた」に喘いだ日々をほうふつとさせてくれるのである。そういう意味では青春小説を読んでいるようだ。

さて、ドナは1963年、オーストラリアで決して裕福とはいえぬ両親から生まれた。口絵の写真をみると、だれとも焦点を合わせず靄(もや)のようにかすんだ目をしている。一瞬、心霊写真の類ではないかと思わせるくらい。幼児の頃からすでに「わたし」と「まわりの世界」との違和感に苛まれていたことが具体的にわかる。

「きれいだなあと思うものや、さわって気持ちのいいものや、自分のフィーリングにぴったりくるものだけを食べた」

という偏食から栄養不良になり、医師に診察されるうち、

「人々は皆、敵に見えた。そして皆、わたしに武器を向けているように見えた」という。母親は接し方がわからず養護施設に入れると息まき、

「あんたは私の人形なのよ。だからあんたを殴ろうが壊そうが、私の自由よ」

と言い放つ。かくいう母親も早くから人生と誇りを奪われ、自分の世界に引きこもった人だったのである。すると数少ない理解者だった父親が母親に暴力をふるい、今度は母親がドナに暴力をふるうという悪循環だった。

「2人のうちのどちらにも、抱きついたことはなかった。抱きしめられたこともなかった。(中略)人からあまり近寄られるのも好きではなかった。触れられるなどは論外だ」

痛々しいが、自閉症は親の育て方に起因するとばかりは言えないらしい。ドナは言葉を覚えるにつれてだれかとコミュニケーションを取りたくなるが、それができないもどかしさから自傷行為(叩く、かみつく、髪を引き抜く、カーペットに排尿する)に陥る。

そんなドナを安らがせてくれたのは、自ら創り出した架空の世界の住人たちだった。ウイリーやキャロルというキャラクターになりきって外の世界に対するようになる。その間アイデンティティーは姿を消していた。いよいよ多重人格の傾向が始まるのである。

「いい子」や「社交的な娘」を演じているかぎり、養護学校は嫌いではなかったし、小学校ではむしろ成績がいいほうだった。女優になって自動操縦されているような感じだったという。しかし孤独だった。まわりの子どもたちも次第にドナを「変な子」と見るようになりイジメを受ける。家庭内の暴力はますます荒れくるい、ドナは深夜徘徊したりする。さすがに10歳の頃「自分には何かが足りない」と感じて悪夢を見るようになり、眠るのが恐くなった。その頃のことをふりかえって書かれた詩である。

「砕け散った夢、割れたガラス/壊れた過去から響いてくるこだま/あちこちにばらまかれた人の名前/どれも皆、なくても生きてゆけるものなのに/心の底にたまっては、暗い影に姿を変える/そして影は情け容赦なく/わたしという人間を、引き裂く」

世の中は相変わらず戦場か仮面をかぶって演技する舞台でしかなかったが、やがて生き残るため「規則に従って試合をする」よう追い込まれてゆく。共学の中学校に入るとトラブルメーカーのレッテルを貼られた。何度も学校を替わるうち、鎮痛剤や精神安定剤や睡眠薬を飲むようになる。そんな中でも予知能力を覚えたり、クラスの子たちの白昼夢を見るようになった。またピアノは大好きで習ってもいないのにすらすら弾くことができた。このころ同級生たちと不本意ながらも性体験をもつ。

5歳でミシン工になるが、3日でクビになる。次のデパート販売員は評判がよかったが接客態度が悪く配置替えされる。そのころスケート場で知り合った男性と同棲するが、すぐに暴力をふるわれるようになり、給料も貢がせられた。あとはお定まりの転職と引っ越しのくり返しだ。あれだけ触れられるのを毛嫌いしていたのに、一方で早熟な男性遍歴には首をひねってしまう。家を出て母親と離れられただけでもましというところか。

7歳で精神科の女医メアリーと出会いセッションに通うようになる。温かく手を差し伸べてくれたので、架空の人格について告白すると、精神分裂病と診断される。無性にふつうの人に見られたくて、8歳で高校に復学し心理学に没頭する。アルバイト先で残飯を口に入れたりする苦学生だった。欧米の若者たちの自立心の旺盛さには頭が下がる。クラスでは孤独だったが、女友達からドナの姿に励まされていたと言われ、自分も人の役に立てるのだと勇気づけられる。

メアリーのようになろうと大学に進むが、講義についてゆけずにしばらく落ち込む。21歳のとき郊外に越してから自然とのふれあいに安らぎを得る。その中で本当の自分はまだ完全には目覚めていないと思う。そんなときブラインやティムという学生と出会い、お互いに同じような精神世界に住んでいることを察知する。同棲もするがどうしても過敏な者同士で長続きしなかった。食物アレルギーにも悩まされ、さまざまなクリニックに通い食事療法を身につけ、ようやく穏やかな人間になってゆく。

26歳で一切の束縛から逃げるように渡英した。喜劇の劇団に入り、仮面のキャラクターでうまく演じたりするが続かない。その頃ショーンという男性と知り合い、かつてないほど本当の自分のままで付き合えた。たとえばキスをしてわっと泣きだしたりするが、

「それが本当のわたしである時にした、わたしの生まれて初めてのキスだった」

という告白には胸がしめつけられる。その後ベルギー、オランダ、ドイツなどを放浪しながら(大変な行動力と衝動性である)、ロンドンに戻ってくるとそれまで心の中にたまりたまった思いを吐き出すようにタイプライターに向かった。それをメアリーに見てもらい出版を勧められたのがこの本である。

荒療治ともいえるこの出版を機に、ドナは古いキャラクターたちとは休戦協定を結ぶことができた。「書く」という行為のセルフ・カウンセリングぶりがわかる。以後は他の患者たちを訪問して回り、親身なソーシャルワーカーとして意外な手腕を発揮するようになる。

しかしまだ本当の自分との対決が終わったわけではない。続編の『こころという名の贈り物』(新潮社、1996年、2000円)で、さらに辛い自分探しの旅が描かれている。

一番最近の消息としては、先年NHKの特番「わたしの世界へようこそ」で恋人との同棲の模様が放映され、ドナは部屋の天井に吊るしたブランコで揺れていた。相変わらずのマイペースぶり。この障害と付き合うにはいかに根気強さが必要か痛感させられる。

(なかしまとらひこ 評論家)

○『自閉症だったわたしへ』ドナ・ウィリアムズ著、河野万里子訳、新潮社、1993