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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年3月号

1000字提言

聞こえない子のフリースクール

澁谷智子

「○○君がぶったー!」。泣きながら先生の下に来る5歳の女の子。「どうしたの?」先生が手話で子どもたちに訊くと、小さな手からいろいろな答えが返ってくる。「だって、おもちゃを貸してって言っても、**ちゃん、貸してくれないんだもん」と○○君。「だからと言って叩くのは○○君が悪いよ。“ごめんなさい”を言わなくちゃ」と先生。

これは、聞こえない子ばかりが通う、龍の子学園の幼稚園クラスの風景だ。普通の幼稚園ではよく見られる光景かもしれないが、音声でのコミュニケーションが難しい聞こえない子にとって、こうした活発なやりとりができる場は貴重である。聞こえる子の中に1人ぽつんといる状態では、「☆☆ちゃんは聞こえないからみんな我慢してあげてね」とお客様状態で浮いてしまい、遠慮のない付き合いをすることがなかなかできない。しかし、龍の子学園では、先生の多くは聞こえない若者で、その公用語は日本手話である。何人かいる聞こえる先生も手話が堪能で、子どもが何を言ったのかを把握し、それに対して適切な返事を返す。基本的に読唇と発音が中心のろう学校では、子どもが100%わかる言葉でのこうしたやりとりが保障されていない。龍の子学園の子どもたちは、手話を使ってお互いに揉まれる中で、人間づきあいのルールを学び、知識を定着させていく。

こうした場は、親にとっても貴重である。言語訓練施設でもろう学校でも、わが子の限界や問題点ばかりを言われてきた親たちは、龍の子学園で「普通の子ども」として扱ってもらえることに、ほっと息をつく。親が子どもの訓練士となることを前提としている指導から解放され、ごく普通のお母さんと子どもに戻ることができるのだ。親たちは自らも手話を学び、子どもと普通の親子の会話をする。また、聞こえない先生たちを見ることで、自分の子どもが将来こうなっていくのだという肯定的なイメージを持つことができ、先の見えない不安から解放される。

さらに、龍の子学園は、聞こえない若者たちにとっても、自分の能力を最大限に発揮できる場になっている。ここでは、手話を堪能に使えるろう者たちは、自分のもっとも得意とする方法で、子どもたちの心をとらえ、親からも絶大な信頼を勝ち得ている。

聞こえない子と聞こえる親と聞こえない若者。手話を使って三者が生み出す力強い相乗効果は、当事者不在と言われる現在のろう教育に、希望の光を投げかけている。

(しぶやともこ 東京大学大学院)