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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年11月号

1000字提言

自分をつくる仕事

五位渕真美

仕事に就くということは、私の中ではごく当たり前のことだった。今年8月から文京区内の自立生活センターで働きはじめた。大学4年間と、卒業後も2年間、モラトリアムのような時期を謳歌して、私の中ではちょっと遅めの就職として捉えていた。まぁ、人生80年と言われる現代、10年や20年たいしたことはないと今は思う。

働き始めてまだ間もないが、「働くこと」あるいは「仕事」について現実的に考えることが多くなった。以前受験した英語の面接試験での質問「あなたは同じ仕事を一生続けますか?」を思い出す。私は英語を使う時なぜか気分が大きくなりスケールの大きいことを言いたくなり、その時もこう答えた。「私はできる限り自分のしたいことをいろいろしてみたい」と。続いて、お決まりの「Why?」と聞かれる。もちろん私は「たった一度の人生だから」とつかさず返答した。

でも今は、一つの仕事に対する価値の偉大さに圧倒される日々である。私の仕事は自分の日常生活に大きくかかわり、プライベートと仕事を区別するのがまだ難しい。これまで生きてきた過程をも反映されている。言うなれば、自分の生き方がそのまま映し出されるような、そんな仕事をしているのだ。それだけに職責の重さもひしひしと感じる。ちなみに、私は電動車いすを使用し日常生活にほとんど全介助を要する者で、今年に入って憧れの上京を果たし、同時に一人暮らしを始め、就職をした。

たまに田舎に帰省するが、田舎とは茨城県北部の自然豊かな美しい農村であり、車いすには超不便なところである。ほとんどの村民が顔見知り状態の中、近所の人は私の現生活の話を聞いて驚き感嘆していた。彼(女)らにとっては信じ難い事のようだ。

仕事を持つということは、障害と何ら関係のないはず。だから働くことは当然だと思っていたし、そのためにそれまで努力してきた私には新鮮な出来事だった。

私たちが今現在を生きているのは、それぞれの賢い選択と強い決定によるものである。今の自分には今の仕事が必要であり、課題であり、最高のものであると思う。他人事ではなく、自分ならではの仕事がしたい。未来の自分につながる仕事をしていきたいと願って止まない。もっともっと「自分になる」ために。

(ごいぶちまみ スタジオIL文京)