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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年5月号

私と補助犬

聴導犬に求めること

松本江理

私は聴導犬の美音(みお)と暮らして、10年になります。美音は近所の家で生まれた柴犬でしたが、最初から聴導犬にするつもりで譲ってもらい、しばらく私が育てた後、訓練所に入ることが決まっていたので、名前を決めるときも、私の聞こえない耳の代わりになって、「美しい音」を聞いてほしいという願いをこめて、「美音」としました。

美音の訓練を決めた頃は、「聴導犬」という言葉もその存在も、ほとんど知られていなかったので、私自身、イベントでその実演を見たときは驚きより、感動でした。

当時私は、結婚を前にして、耳が聞こえない自分に自信を失くし、できないことばかりを数え始めていたときでした。そんなときに、聴導犬の働きを知り、「こんな犬が一緒にいれば、耳の代わりをしてくれるし、大丈夫かも…」と思うようになったのですが、正直なところ、「普通の犬を飼うよりは音を教えてくれる聴導犬のほうが役に立つわ」というくらいの、いわば「ないよりあったほうが便利」程度の期待でした。

けれども、半年あまりの訓練を終えて晴れて「聴導犬」として帰ってきた美音との生活は、私の予想を超えるものだったのです。

「音」というものは人に何かを知らせるサインとして使われます。それは後ろを向いていても、寝ていても、聞くつもりがなくても、耳に入ってくるからです。つまり、聴覚とは人が意識していなくても、その人の意識に働きかけてくるものなのです。

けれども私たち聴覚障害者はその「音」に気づくことができません。そのため、常に不安と緊張を抱えた毎日を送ることになるのです。私も聞こえないことの不便さより、精神的な不自由さに苦しんでいました。けれども美音と暮らすことで、聴導犬が単なる耳の代わりではない働きを持って、その苦しみから抜け出すサポートしてくれることを知ったのです。

もちろん「音を伝える」ことが聴導犬の大きな働きです。けれども「音」は一日何度も起きるわけではありません。むしろ、必要な音が起こる回数、時間は微々たるものといえるかもしれません。しかしそれらはいつ起こるかわからないため、私たちは常に目を凝らし、神経を研ぎ澄ませて、緊張していなければなりません。ところが聴導犬がいると、実際に音が起きたとき教えてくれるのはもちろんですが、音が起きていないときも「音が鳴ったらこの子が教えてくれるから大丈夫」と思うことができ、ピリピリ神経を尖らせている必要がないのです。音のあるときもないときも聴導犬は私にとって大切な役割を果たしてくれるのです。

また聴導犬の働きはそれだけではありません。聴覚障害は外見上判断できない障害ですが、聴導犬と一緒にいることで、周りの人に「私は聞こえません、必要なときは手助けをしてください」と訴える力を持ちます。それにより私は車内放送や緊急放送を周りの人に教えてもらえ、助かったことが何度もあります。

このような美音との生活を通して聴導犬の役割を考えてみると、私はまず常にそばにいることが一番大切な役割なのではないかと思います。そばにいることで、緊張から解き放たれ、安心して自由に過ごすことができる、そして必要なときは耳の代わりとして音を伝えてくれる、さらに一緒にいることで対外的に障害を知らせ、それが必要な手助けを受けることにつながるのです。

決して華やかな活躍を期待するわけではなく、「常にそばにいてほしい」その存在そのものが聴導犬に求めるもっとも大きなことなのです。

(まつもとえり 聴導犬使用者「タッチの会」事務局長)