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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年7月号

列島縦断ネットワーキング

滋賀 ねっこ共働作業所の取り組み
―従業員全員と雇用契約―

白杉滋朗

「対等・平等」を基本に

昨今、障害者作業所(認可・無認可)は一般就労に比べて工賃(賃金)をしっかりと出せていないと内外の批判の矢面に立たされています。確かに、「施設から地域へ」を叫びながら、地域生活を送るうえでの必須条件である経済保障は確立されているとは言い難い状況です。障害者の働く場としての作業所がそれを実現することは、地域福祉を支える基盤の重要な一つになることは間違いありません。ただ少数ですが、これから述べる作業所制度を活用し、補助金の導入を行いながら事業を展開し、経済保障を行っている所が全国にあります。そこは障害のある人もない人も対等平等の関係で共に働き合おうとする場で、私たちは「共働事業所」と名付けて活動を広げていこうとしています。

私たち自身、補助金を得ながら働く場を経営することは、一般就労が叶わない現状の次善の策であると、ずっと考えてきました。しかし、人間の尊厳を踏みにじるかのような過酷な労働現場を一般就労に見るとき、一般就労を障害のある人の就労支援の出口として第一義的に考えてもよいのかどうか、疑問を持つこともしばしばです。同時に、障害のある人に勧められないような職場は障害のない人にとっても決して優れた労働環境であるとはいえません。そう考えると私たち共働事業所の実践は障害者運動の中から発展してきたがゆえに、ひととしての尊厳を尊重し、働く者が障害のあるなしにかかわらず同僚として対等であり、支えあっていくという姿勢は、現在の労働環境に対して一石を投じるのではないかと考えています。

開業当時は苦戦続き

共働事業所を自認するねっこ共働作業所の開業は1975年4月、今から30年前です。業種は印刷業。当初は謄写輪転機を使った孔版印刷、その後、活字や機械をそろえ活版印刷も開始しました。印刷の工程はたくさんのパートがあり、さまざまな障害のある人が参加できる機会があるのではないかというのが印刷を生業とした理由のようです。しかし、当初は印刷経験者がいるわけでもなく、若さだけが取り柄の素人集団でした。やる気はあるが、経験(技術)もお客さん(市場)も資本もないなかで、事業は苦戦を強いられました。売り上げをみんなで分配すると月1万円そこそこであったといいます。今思えば、20歳を少し出たばかりの若者にしかこのような冒険はできなかったのかもしれません。

県からの補助金で何とか運営が軌道に…

ここで「ねっこ」の説明に付け加えなければならない点があります。「共に働く」ことを標榜する集まりは、とことん平等を追求します。「共に」と言いながら儲けの配分に格差があってはなりません。100を生産する者も10しか達成できない者も、ひととして暮らすコストは同じ、ならば等分配を!という訳です。言うのは簡単ですが、それなりの生産(売り上げ)が伴わなければ理念に基づく実践を維持することはできません。ねっこではさまざまな努力を試みながら創設以来30年、この理念に沿って何とか奮闘しています。

とは言え、先にも記したように開業当初から十分に生活できるだけの仕事があったわけではありません。障害のない人はアルバイトをし、障害のある人は福祉手当(当時は障害基礎年金の制度はありませんでした)をもらいながらの模索を続けましたが、こんな事業は早晩暗礁に乗り上げました。そこで「公的な支援をしてもらえないものか」と行政との交渉を行いました。折から、ねっこなどとは違う考えで共同作業所運動を始める方々もありましたが、共通した課題は「金がない」ということでした。

そんな作業所の取り組みや要望に県や市町村が着目をし始め、1978年、滋賀県で共同作業所に対する補助金制度が開始されました。しかし、授産施設に対する「措置費」的な意味合いの補助金にねっこのメンバーは悩まされることになります。つまり「補助金は障害者の頭数で出すが、その使途は『世話』をする職員の給料にせよ」という訳です。「共に」を標榜し「平等」を実践するねっことしては理念的に相容れない注文です。しかし、「背に腹は変えられず」激論の末、補助金を受け入れることになりました。

「補助金の使途」という呪縛から解放されるためにもそれをはるかに上回る利益を上げなければなりません。ゆっくりとではありましたが、ねっこも技術革新を行い徐々に力をつけていきました。活版印刷に加え、オフセット印刷機も導入し、仕事の幅を広げました。製版・版下段階でも、タイプ植字から写真植字(写植)に移行(現在ではマッキントッシュPCによるDTP)し、コツコツとした努力の積み重ねでお客さんの支持が少しずつ得られるようになってきました。

雇用関係を結び、分配金も上昇

業界内で少し名を知られるようになった1985年、開業10年にしてようやくほとんどのメンバーと雇用関係を結べるだけの分配金(ねっこでは賃金をこう呼びます)を支払えるようになりました。以来、本当にゆっくりとではありますが分配金の額も右肩上がりに上昇し、メンバーの数も20人を数えるようになりました(うち障害者は12人)。現在、障害のあるなし年金のあるなしにかかわらず、もちろん生産性にもかかわらず、月最低12万円、親元を離れ自活生活をする者には18万円を保障しています。

就労支援というと有期限でトレーニングを施し一般就労へつなげていく、そして受け皿としての就労の場にジョブコーチなどを配置し、就労の継続的安定を図ろうとする施策が主流であるかもしれません。それに対してねっこは、自らを就労の場として確立していこうと考えています。共に働くことの模索で獲得したノウハウは、一般事業所に優越した財産ではないかとさえ信じています。

社会的事業所制度の創設

滋賀県では県内における障害者雇用低迷の打開策として、次のような制度を創設して、障害者の就労支援を後押ししています。2000年より作業所の中に機能強化型共同作業所として事業所型類型を加え、本年(2005年)より社会的事業所制度を創設しました。この社会的事業所制度は働く障害者従業員全員と雇用関係を結ぶことを義務付けるもので、作業所の従来の範疇を越える考え方です。また、社会的事業所には障害者従業員の経営参画や、障害者問題の啓発活動を事業所内外で展開することをその要件に加えるなど、従前の社会福祉事業としての福祉工場等に比べ、極めて先進性、社会性の高いものになっています。これは滋賀県における障害者雇用の新たな場を創設すると同時に、この社会的事業所が地域における障害者雇用のモデル事業として機能することを目的としています。

ねっこも今年度からこの社会的事業所制度に参画し、努力をしていきたいと考えています。厳しい経済状況が続き中小零細企業には困難この上ない時代ですが、この目的達成のためにも不況に負けない経営努力を重ねていきたいと決意しているところです。

(しらすぎしげお ねっこ共働作業所)