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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年10月号

ワールドナウ

なぜ差別や不平等が作られるのかを考える:障害平等研修という取り組み

久野研二

日本において、Disability Equality Training(DET)もしくはその訳語である障害平等研修という名称を耳にしたことがある人はまだ多くはないのではないだろうか。私が障害平等研修という言葉を初めて知ったのは、今から5年程前、途上国の障害(者)問題を研究するためにイギリスに渡った時である。障害を障害者個人の問題としてではなく地域社会の問題として取り組むにはどうすればよいのかを考えていた時に紹介されたのが、この障害平等研修だった。

イギリスでは、障害者に対する種々のサービスの実施を明記したコミュニティ・ケア法(国民医療サービス改正法1989)、ならびに雇用やサービス、製品や建物の設計などさまざまな場面における障害者に対する差別を禁止し、雇用機会の均等化と全国規模の障害者評議会の設置を明記した障害差別法(Disability Discrimination Act 1995)の制定などにより、障害者の権利を保障することが広く社会一般に求められるようになってきた。その結果、行政はもとより多くの機関において差別的な対応を無くすための取り組みがなされるようになった。そういった障害理解の向上を図るための方策として、障害者自身の手によって1980年代後半から実施されてきたのが障害平等研修である。

障害平等研修は、従来よく行われてきた車いすに乗ったり目隠しをしたりして行う障害の疑似体験を通して、“できないこと(機能的側面)”としての障害に着目する啓発の取り組みとは異なる。というよりも、そういった方法とその理論的な成り立ちへの批判を基に作られたといっても過言ではないだろう。ここでは便宜上従来の取り組みを「障害啓発」と呼び、それとの対比を通して障害平等研修の特徴を述べてみたい。障害平等研修を簡潔に説明すると、以下の5つがその重要な要素といえる。

  • 障害を身体機能の問題ではなく、権利と機会の不平等という社会の障壁・差別として捉える
  • 障害の医学モデルではなく社会モデルを基礎にする
  • 単なる啓発や表層的な行為の変化ではなく、差別の原因とメカニズムを理解し社会を変えることを支援する
  • 「できないこと」や障害の機能的側面の理解しか強調しない疑似体験を用いない
  • 障害者本人が指導者となる

障害啓発と障害平等研修との大きな違いは、障害啓発の焦点が個人の機能(制限)であるのに対し、障害平等研修の焦点は社会の差別にある点である。つまり、前者は障害者個人の機能・能力障害に焦点を当てる「障害の医学モデル」に基づくのに対し、後者は障害を差別や権利・平等の課題と見る「障害の社会モデル」を基礎にする。

障害啓発の目的は、障害者の機能的な制限を知り、車いすの段差越えや視覚障害者の介助など、どのように介助し接するかという行為を学ぶことが主な目的であった。言い換えれば「困っている障害者を助ける」には「何」を「どのように」するのかを学ぶことを目的とした。それに対して障害平等研修は、障害を権利・不平等・差別の問題と認識することで、「なぜ」そのような差別的な社会が作られるのかその原因と構造を理解し、自らが社会を変革していくための行動を作り出すことを支援することにある。

障害平等研修とは、「何が」以上に「なぜか」を問うことを、「何をする」以上に「なぜする」を考えることを重視するものであり、「障害者にはやさしくしましょう」という標語によって「困っている障害者に対して手を貸す」という行為だけを変えようというものではない。「なぜ」障害が作り出されているのか、それを理解し、自らをそのような社会の変革者としていくことを支援することなのである。

研修の方法と内容

効果的な障害平等研修を行うには、最低でも2日間の日程が必要であると言われているが、現実には数時間程度の研修も多い。障害平等研修の柱は、障害を権利・不平等・差別の課題として捉える障害の社会モデルの視点を獲得することである。加えてそのような障害を無くしていくための手段・方法としての既存の法律や制度、アクセスやサービスなどについての理解を深めること、そしてこの「視点」と「手段」を基に、自分自身の生活や仕事を通してより平等な社会を実現していくための自分自身の行動計画を作り上げること、この3つが障害平等研修の内容の核となる(表1)。

表1 障害平等研修の内容

  • 障害を生む障壁
  • 障害の「社会モデル」と「医学モデル」
  • 障害者自身の団体
  • 用語について
  • 権利と機会の平等
  • 障害者が経験する差別・抑圧
  • 障害者に関する固定観念とイメージ
  • 法律・制度・アクセス・サービス
  • 現在の社会問題と障害
  • 変革のための行動計画
  • 自立生活運動・プログラム
  • 介助制度とその整備
  • 統合教育
  • 雇用に関する諸問題

障害啓発では障害の機能的な制限の理解と介助に関するニーズと方法に焦点が当てられ、その方法も機能的に「できないこと」を経験する疑似体験がよく用いられるが、この疑似体験には限界がある。疑似体験では個人の身体機能不全のみが強調され、障害の本質である差別や排他的な社会の構造といった最も理解が必要である点が軽視され、差別や権利の問題としての障害理解を遠ざけてしまう可能性がある。

また、多くの障害者が自立した生活を送っているにもかかわらず、擬似体験では「できない・困難」という負の側面ばかりが強調され、障害者に対して負の価値付けがなされることが多い。障害者を「できない人」と見る見方を強め、かえって差別的な見方と障害者に対する家父長的な態度を強化してしまう可能性がある。障害の疑似体験を社会の障壁を経験するものとできるという反論もあるが、疑似体験でわかるのは物理的な障壁だけであり、単に「何が」障壁であるかを発見するだけで終わってしまう場合が多い。障害平等研修が重視しているのは、そのような障壁が「なぜ」作り出されるのか、その原因と構造を理解することにある。

だれが行うか

障害啓発では医療や福祉に従事するものが指導する場合が多いが、障害平等研修は障害者本人が指導者となる。その理由は、障害を社会的抑圧として直接経験したものだけが、障害という課題全体を現実のものとして教えることができる程に理解しているからである。

2005年現在議論が出されているものの、イギリスにおいても障害平等研修の指導者に関する公的な基準や資格制度はなく、指導者の育成もさまざまな組織が独自に行っている。障害者団体や自立生活センターなどに属している指導者も多いが、障害コンサルタントとして独立している人や企業の人的資源開発などを行う一般のコンサルタント会社に属している指導者もいる。自治体や企業に対して行う障害に関するコンサルタント業務や障害平等研修は、企業や組織が必要とする他のコンサルタントや研修と同様に専門的な仕事であり、それに従事する指導者も専門職と位置づけられている。

途上国での試み

この障害平等研修は、障害を差別・不平等として取り組むための具体的な戦略・ツールとして、途上国においても導入が試みられている。英国の開発系NGOであるOxfamと障害系NGOであるAction on Disability and Development(ADD)は、コソボにおいて障害平等研修指導者の育成を協力して行い効果を上げている(注1)。

私が関わっているマレーシアにおける障害分野のプロジェクトにおいても、障害平等研修の推進をプロジェクトの柱の一つとしている。マレーシア、特に政府の活動では地域社会に根ざしたリハビリテーション(Community Based Rehabilitation:CBR)を中心とした機能回復のためのリハビリテーションが中心となっており、「障害者が“健常者になる(機能的に“正常”に近づく)”ことでの自立と社会参加を支援する」ことは、質・量的な向上がみられている。その一方で「障害者が“障害者のまま(機能的な制限を抱えたまま)”でも社会に参加し自立していくことを支援する」ための取り組みは遅れている。そのため、プロジェクトでは、自立生活プログラムの推進などとともに、障害平等研修の指導者育成とその推進を行っている。

障害平等研修がイギリスで発展した背景には、障害の社会モデルが形作られたのがイギリスであることも大きいが、同時に他の被差別者の権利運動とともに障害者運動が活発であったこと、加えて、障害者の平等を進めるための政策の推進と反差別法の制定がある。日本においても障害を権利や差別の問題として捉える見方はすでに広まってきており、その視点を具体的な実践へと結び付けていく障害平等研修の必要性は高いと感じている。

(くのけんじ 国際協力機構 専門家:障害者福祉)

(注1)

Harris, A. and S. Enfield (2003) Disability, Equality and Human Rights: A Training Manual for Development and Humanitarian Organisations. Oxford, Oxfam.

※ なお、くわしい内容は、ジェーン・キャンベル、キャス・ギャレスピー=セルズ(共著)、久野研二(訳)『障害者自身が指導する権利・平等と差別を学ぶ研修ガイド:障害平等研修とは何か』、明石書店(税別1500円)、2005をご覧いただきたい。