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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年11月号

親の立場から

想いがかなうあったらいいなの支援とは?

伊藤あづさ

はじめに

授かった子どもの発達の様子が少し普通とは違うかもしれないと気付くきっかけは何でしょうか?

自閉症の子どもたちは「言葉の遅れがある」「抱き心地が変」「視線が合わない」などとよく言われます。一方近頃では、アスペルガー症候群・広汎性発達障害などと呼ばれる、知的な遅れを伴わない発達障害の子どもたちも増えています。この場合は、特に自閉症としての特性に気付きがないままに(あるいは気付くチャンスが少なく)幼児期を迎えてしまうため、親子共に「心が通じ合わない」という居心地の悪さを感じます。

親は、保育園や幼稚園でついつい他の同年代のお子さんとわが子を比べ、やんちゃをして叱られたときの物わかりの悪さや、訳も解らずグズグズと言う姿に、ついついイライラがつのります。

子どものほうは、本当はその障害の特性から、状況が判断しにくかったり、「大好きだよ」という表現の仕方を知らないだけなのですが、その特性を周囲の大人が知らないために大きな誤解を受けて育ちます。「コミュニケーション障害」だということを知るまでに時間がかかればかかるほど、子どもと親や身近な人たちが、互いにボンディング(絆)形成のために大切な「心のバランス」を失ってしまうこともあります。

本人はもちろん親や周辺の人たちが「楽しく安定した」生活を営むために、どんな支援があったらうれしいのでしょうか。

「あったらいいな」の第一歩

それは障害特性を知り子どもの「違い」を認めること

わが家の一人息子幸太朗は小学4年生です。いわゆる自閉性障害の特性として挙げられる「言葉の遅れ」「視線の合いにくさ」「抱き心地の悪さ」は感じられない乳児期を過ごしました。しかし、どこか「変」という感情はいつも付きまとっていました。集団で遊べない・他の子どもと同じことができないわが子に、いたたまれなくなったことがいくたびかありました。その都度、「みんなと一緒」ができないわが子に苛立ったものです。子どもにしても、自分の困っていることや伝えたいことをうまく表現できないことを、周囲がわかっていないことから受ける理不尽さに、いじれたくもなっていたのでしょう。子どもの成長に楽しさを感じられない時期だったように思います。今この時期を振り返って思います。地域格差のない、発達障害の「早期発見」「早期介入」のシステムが確立していれば、こんな悩みを持つ親は少なくなるのにと。

4歳で告知を受けた直後、信頼できるドクターと療育の専門家との出会いがあり、わが子が普通の人とは「違う」世界で生きていることを知りました。その「違い」を知ることで、それまで「困ったこと」だと思っていたことは、本人の問題ではなく、周辺環境を本人にわかりやすく整えることや、周囲の適切な対応で親子共に「楽」になることを知りました。この「楽になる」ことはとても大きな転換でした。面倒だなと感じていた子どもとの関わりがスムーズに進むようになりました。「楽しい=うれしい」子育てができるようになっていきました。

子どもの障害を知らされた時の親の混乱を穏やかに受け止め、「希望」の見えるしっかりとした「特性理解」を可能にしてくれる「専門性」のある支援者の存在は、一番身近な家族が、見た目にわかり難いわが子の状態を「障害」として認め、受け入れるための大きな支えとなります。「大丈夫だよ」の一言は、希望への架け橋です。

そして「想いがかなう」こと

幸太朗が「自閉症として」、楽しい生活が実現できていることは、「想いがかなう」ことの積み重ねによって実現したように思います。これは知的なレベルに関わらず、TEACCHやATACなど、自閉症の特性に合った支援の方法で周囲が対応を心がけることが早期に実現できた成果だとも感じています。発達障害の子どもたち一人ひとりをしっかりとアセスメントし、ジャストフィットの「療育」が一人でも多くの子どもたちに実現できたらいいのにと願います。

おわりに

「自己決定が自立につながる」という中邑賢龍先生の言葉に出会ったとき、とても大きな衝撃を受けました。自閉症の子にとって「自己決定」ってどんなことだろうと考えました。そして、「自己決定って、想いがかなうから実現するんだよね」と幸太朗との生活を通して学びました。自己実現に裏付けられた「自己肯定感」を育み、「大切で愛されている」と本人が実感できる子育ては、一つ一つの「あったらいいな」を諦めずに実現していく、親としての終わりのない挑戦なのかもしれません。

(いとうあづさ 社団法人日本自閉症協会宮城県支部長・NPOみやぎ発達障害サポートネット代表世話人)